伊豆88遍路4回目

少しずつ近くなってきたスタート地点

3月にスタートした伊豆88遍路旅も連休以来、天気に恵まれず、また各自の所要などでなかなか出掛けられない状態が続いていましたが、梅雨の時期真っ只中、少しは雨に降られる事も覚悟して第4回目となる遍路旅に出掛けました。

初回は修禅寺線の終点駅まで行って、更にバスで30分程南へ行った所がスタートでした。
この修善寺駅は三島駅からは12番目の終点駅でした。
回を重ねる毎に少しずつ北上し、今回のスタートは三島駅から5番目の伊豆仁田駅。当然ですが前回のゴールした駅です。

7:55am 伊豆仁田駅をスタートしました

16番札所 興聖寺

興聖寺に到着

この日の最初は興聖寺。伊豆仁田駅からは近く、10分程で到着します。境内では檀家の人達でしょうか、掃除の真っ最中でした。

この興聖寺の開基は南渓という和尚だったようです。南渓と言えば、NHKの大河ドラマ「直虎」でも度々出てきた龍澤寺の住職であり、また井伊家の参謀役でもあった南渓と同じ名前です。それに宗派も同じ臨済宗です。

この点を住職にお聞きしたところ、どうやら違う人物のようでした。帰ってきてから調べてみたところ、この興聖寺の創建は延徳元年(1489)で、南渓和尚は生年は不詳となっていますが、没年は天正17年(1589)となっている為、確かに時代が合いません。

境内掃除中の檀家の皆さん
先ずは1寺クリヤー

本堂内には町指定有形文化財となっている見事な鹿の襖絵があるようなのですが、檀家の皆さんが掃除の中では申し訳なく、これは諦め御朱印だけを頂いて良しとしました。

17番札所 泉福寺

これまでの田方郡から三島市に入ります。興聖寺から歩く事45分、ようやく17番札所の泉福寺に到着しました。伊豆88ケ所札所のなかでは少ない真言宗のお寺です。

泉福寺山門

伊豆88の札所全体に言える事ですが、幾つかの寺を覗いてはその殆どが小規模の寺で、特徴のないところが多く、一寺一寺のイメージがなかなか記憶にとどまらないのです。

お地蔵さん
こちらは六地蔵

秩父の観音霊場もそうでしたが、同じような建物が続き、やはり記憶にはあまり残りませんでした。ただしあちらの場合は殆ど木造で、建物には歴史の重みを感じられました。
と、言う訳で、この泉福寺の記憶があまり残っていないのです。境内にはお地蔵さんの石仏や、六地蔵などがあった事は記憶にあるのですが.......

暫し一休みです

18番札所 宗徳院

富士山をイメージした本堂の屋根

延暦年間(901-902)に空海によって創建されたといいますから、歴史はかなり古いお寺のようです。

伊豆に流されていた頼朝が挙兵後、鎌倉に入るまでの100日間、本尊の延命地蔵菩薩を祈願仏として詣でた、と伝わり、その後、創建された当時の真言宗から曹道宗へ改宗されています。

本堂の姿も少し変わっていて、遠くからでも目立ちます。勾配が極端に急な本堂の屋根は富士山をイメージしたもののようです。

この建物の姿に花頭窓は似合っているとは思えない
駒爪の橋

スタートから約5.5Km。御朱印を頂き、境内で暫しの休憩をとりました。

19番札所 蓮馨寺

宗徳院からは源兵衛川に沿って北上します。しかし、暫く進むと道が消えてしまいました。民家の裏の道が消えたその向こうには道がありますから、どうやらここを越えて抜ければ良さそうです。街道に復帰するとそこは「水の苑緑地」と呼ばれる源兵衛川の中流域になります。
ここでは運が良ければ三島市の鳥でもあるカワセミに出会える事もあるようでした。

これも源兵衛川の流れ
ショートカットして源兵衛川の木道を行きました
川の流れに幻惑されて、バランスを崩してしまいそう
石の水道橋のようです
時の鐘

この先で本来の街道を離れ、源兵衛川の木道を行く事にしました。この方がショートカット出来るので、距離も短くなるようです。

しかし、水の流れに幻惑されて体のバランスが取りにくいのです。こんなところで川に落ちたら悲惨!

源兵衛川に沿って広小路まで来ると三島市の繁華街に出ました。蓮馨寺は広小路駅の裏手辺りになります。細い小路を奥に進むと正面に鉄筋コンクリート造りの蓮馨寺の本堂前に出ます。

蓮馨寺山門と本堂

その昔、ここの住職は芭蕉の弟子だったらしく、その縁で境内には芭蕉の墓がありました。
この石碑には「いざともに 穂麦くらわん 草枕」の句が刻まれているといいますが、これは分かりませんでした。

右)芭蕉の墓

御朱印も頂き、さて、そろそろ昼飯です。まだ時間も早いし、雨の心配も消えたようなので、少し先に進む事にしました。
三島駅の手前の食事処でビールとラーメンで昼食を摂り、さて、後半戦に突入です。

21番札所 龍澤寺

何故か20番札所は函南にあり、順番通りには廻れません。なので、次は21番札所の龍澤寺になります。
三島駅から更に北に進み、文教町まで行った所でミスコースに気がつき、後戻り。文教町というだけに、三島のこの辺りには緑が多く環境は良さそうです。

昼に呑んだビールが体に堪えます!

元の街道に復帰すると、その辺りからは段々と登りになっていき、息も絶え絶えに。
この辺りまで上がって来ると少しは静かになってきます。

暫く行くと左に上がっていく石段がありました。
登り口には「龍澤寺」と刻まれた立派な石柱が立ち、いかにも足に堪えそうな石段が奥までずっと続いています。
この様子では境内に上がるまでにはまだ少しばかり距離がありそうです。

龍澤寺 参道
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綺麗に整備された広い石段が続きます。ここまで来るとこの坂道でも足がパンパンに!
振り返ると
境内までの参道は綺麗な林に囲まれています

やっとの思いでようやく境内まで上がると、驚く程立派なお寺です。これまで廻ってきた20近いお寺の中でも一番大きなお寺でしょう。
修行寺となっており、僧堂をはじめ、大きな厨房やら、座禅の為の建物などが建ち並んでいます。境内の鐘楼も、始めて見る六角の鐘楼でした。

ようやく上がりきって境内へ
本堂のようです。龍の彫刻が見事!
珍しい、六角の鐘楼

名僧として知られる山本玄峰が大正から戦後に掛けて住職を務めており、終戦時の首相、鈴木貫太郎に無条件降伏を勧めたり、また、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したり、天皇を国家の「象徴」と定義する(象徴天皇制)よう発案するなど、その当時は著名人が多く参禅に訪れていたといいます。
道理で立派なお寺の筈でした。

山本玄峰って凄い人物でした。詳細はこちら

最近積まれた石垣のようですが、凄い高さです。

22番札所 崇福寺

龍澤寺をから次の崇福寺までの間には越えなければならない峠道が二つ程あります。まず最初の峠を目指して登り出しました。しかし、どうも地図のコースからは外れています。GPSで場所を確認したところ、どうやら一つ手前の道に入ってしまったようです。
このまま進んでも何とかなるだろう、と気楽に構えていたら峠を越えて団地に出ました。
しかし、このまま行っても離れるばかりのようなので、再び峠を越えて何とか街道に戻ろうとしますが、その為に越えなければならない坂道がとんでもない急坂。

沼津の街の向こうには大崩れが見えていました。

景色は良いのですが、それ以上に体が悲鳴を挙げています。
やっと元の道に戻り伊豆縦貫自動車道を越えると再び急坂が始まりました。既に十数キロ歩いて来ていますからこの登りには一苦労です。
この峠越えを過ぎれば後は下るだけ。
と、思ったら、崇福寺の手前にまたまた急坂が控えていました。
これを登り切ったら、これが本当の最後の坂道になり、登り切ったところが崇福寺でした。

崇福寺は、1590年に豊臣秀吉が小田原を攻めた際、出城となった山中城で出た戦没者を追悼するために創建された寺院

今日のラストとなった崇福寺の山門
本堂前で一休みです

ここで今日6つめの御朱印を頂き、前の通りに出たら、旧東海道のようです。
丁度10年前の今頃、ここを西に歩いて行きました。通りの雰囲気も何となく記憶に残っていました。
懐かしがってキョロキョロしながらバス停に向かい歩いていたら、バスが後ろから迫ってきていました。
慌てて走って間に合い、ようやくバスに乗り込み、三島駅に向かいます。
走り出してすぐに三島の松並木にあった「錦田の一里塚」。これもまた懐かしい風景でした。

今日は、当初の予定では三島駅までの10Kmで終える予定だったものが、+7Kmの17Km歩き、6寺を廻る事が出来ました。
しかし、最後の峠越えが体には堪えました。

次回で熱海峠越えはキツイので、登り始める手前の函南駅までとしますが、さて、スタートは何処にしようか?
崇福寺までバスで上がって、今回のゴール地点から正直にスタートするか、または修禅寺線の大場までいって、そこまでの間はパスして、大場駅からスタートするか?
次の20番札所は大場駅のまだ先なのですから迷うところです。

これで1番からの総歩行距離は約88Km。ゴールはまだまだ先のようです。

 

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