四国遍路8日目 呉・大和ミュージアム

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松山ー呉フェリーで広島県へ

 

松山港 フェリー乗り場

フェリーの出航時間は6:20。しかしいつものように5時前には目が覚めてしまい、車内の片付けです。そのうちに大きなハーレーに乗った若い人が来ました。
話をしたら、熊谷から来たといい、仕事で1ヶ月の休みが取れたので長期旅行に出掛けたのだそうです。こちらも四国に来て以来一人ですから、これまで、ゆっくり人と話をする事はあまりありませんでした。
乗船手続きをして、乗船です。このフェリーは松山を出て、呉港を経由して広島までいきます。私は呉までなので、フェリー代金は9,300円。この中に運転手の乗船料は含まれています。

フェリーを使わなかった場合は、今治まで行って、しまなみ海道で尾道に渡り、そこから呉まで陸路で行く事になります。フェリーなら2時間ほどで呉に到着出来ますが、尾道経由の陸路では3時間半、有料道路代も4300円を超え、燃料代も3,500円ほどかかってしまいます。ここはフェリーが絶対お得です。

もう一つのルート「とびしま海道」

とびしま海道と松山・呉フェリー

帰ってきてから見つけたもう一つのルートがありました。今治を出航してから小さな島に3箇所ほど寄港しながら岡村島に渡り、そこからは橋で繋がっている5つの島を渡りながら、最終的には呉市の東の端に上陸出来るルートで「とびしま海道」と名付けられています。
始発の便に限っては今治から岡村への直通便になっていて1時間ほどで岡村着になるようです。
これなら岡村島へのフェリー代金も安く、橋も最後の一つ以外は無料ですから、金額的にもかなり安く上がりそうで、料金も呉に行くフェリーよりは安く上がりそうでした。
ただ、とびしま海道を行く為には、前提として今治まで行かなくてはなりませんから、今回は現地で分かっていたとしてもこのルートを行くのは難しかったでしょう。
もう一日延ばして、今治の札所を回り終えていたらこの選択もあったのかもしれません。事前の下調べが足りなかったようです。
定刻に松山港を出港しました。車は一杯になっているようですが、客室はガラガラで貸切状態です。

船室はガラガラ
春の瀬戸内海を行く

大和ミュージアム

松山から呉に来た目的は呉市にある「大和ミュージアム」でした。ここには十分の一スケールの戦艦大和が展示されているのです。
大和ミュージアムと呼ばれていますが、呉市海事歴史科学館というのが正式名称です。

道路の先に潜水艦が! ビックリ❗❗
艦首
スクリューと舵
戦艦陸奥の主砲とスクリュー
大和の主砲を削った巨大な旋盤

大和の全長は263mでしたから、ここの展示されている十分の一スケールの大和の全長は26.3mになる巨大な物です。かなり細部まで作り込まれているようなので、以前から一度見てみたいと思っていました。実はカミさんと娘が以前広島に来た時、呉に行って大和の写真を撮ってきてくれ、と頼んだ事がありました。
今になって思えば、航空機での戦いが主流になりつつあったあの時代に巨大戦艦の建造など馬鹿げた事だったと思ってしまいます。しかし、10分の1でも凄い、と思えるのですから、当時この戦艦を見た人達は絶対に沈む事など無い、と思った事でしょう。

十分の一スケールの戦艦大和。ようやく見る事が出来ました
かなり精巧な作りです。
艦橋前の46センチ主砲
人間魚雷「回天」
零戦(本物か?)
大和の主砲砲弾
零戦の機銃

大和の他にも、人間魚雷や零戦のエンジンやら、大和の砲弾(直径46cm)他にもいろいろな展示物があり、大和以外は本物です。大和ミュージアムの横には大和の46cm主砲の砲身を削った巨大旋盤が建物一杯の大きさで展示されていました。

上から見た大和

また、ミュージアムの外には戦艦陸奥の本物の主砲、舵などの展示もされていて、機械好きの人には見るものが多く飽きる事も無いでしょう。
当時、大和艦内のカレーライスは美味しい事で評判だったようです。土産売り場に「まぼろしの戦艦大和カレー」が売られていたので土産に買ってきました。
帰宅後食べてみましたが、昔ながらの洒落っ気のないカレーライスで、子供の頃に食べたあのカレーライスでした。

てつのくじら館

海上自衛隊の呉資料館 入り口

道路を隔てた反対側には平成16年まで現役で働いていた「あきしお」という本物の潜水艦が陸揚げされて展示されています。
ここは海上自衛隊の呉資料館となっていて、入館料はは無料となっています。
無料の割に展示内容は迫力あるものが揃っていました。これを無料で公開してくれる海上自衛隊には感謝!

艦内の実際のサイズ
通路はかなり狭い。
想像以上に精巧な構造の魚雷
潜望鏡は2基あった。
ここは何だったか?

主な展示物は掃海作業関連のものが多く、これまではあまり感心のなかった掃海という仕事を興味深く見学する事が出来ました。
そして最後にお目当ての潜水艦の内部に入ります。
この艦は2004年まで実際に活動していた潜水艦「あきしお」。
小さい日本の潜水艦の内部はさぞ狭いのだろう、と思っていましたが、自分が想像してい程窮屈なものでもありませんでした。
しかし、密閉された中、それも水の中で幾日も過ごすにはかなりの忍耐力とそれを鍛える訓練が必要なのだと思えました。
中に食堂があったので、ここで昼食を済まし、これで今回の予定は全て終了しました。

静岡に帰るぞーー!

全行程図。8日間の走行総距離は2,200Km

静岡に帰らなくてはなりませんが、呉から静岡は遠いです。 距離は大凡650Km
、時間も休憩を取りながらでは8時間は掛かりそうです。
高齢者の事故の話題で騒がれるご時世ですから、何としても無事に無事故で帰らねば!
最後にトラブルも起こしたくないので、安全第一でゆっくり帰る事にします。
呉を出発が11:00AM、我が家への到着は19:10。やはり予定通りのほぼ8時間で帰って来る事が出来ました。
それにしても想像していた以上に四国は広く、それに疲れました。11年前の西国巡礼でも走行距離はほぼ同じ2200Kmでしたが、あの時と較べると11年間の体力の衰えを嫌というほど思い知らされました。こんな一人旅もそろそろ潮時かもしれません。
全体の走行距離は2200Kmにもなり、そのうちの丁度半分の1100Kmが四国内での一般道でした。7日間で殆ど一般道を1100Kmも走ったのですからもうじき後期高齢者になる身に疲れが溜まってくるのも無理もない事です。
帰ってきた直後は、疲れてしまい、暫く何処へも出掛けたくないと思っていました。でも、疲れが取れると四国遍路後半戦に早く出掛けたい思いが募り、帰ってきて1週間後には後半の計画を練っていました。やはり四国遍路には中毒性があるようです。
帰ってきたその夜、四国で大きな地震があった事を知り、驚きました。その震源が宿毛の道の駅のすぐ近くだったようで、あの道の駅はさぞかし派手に揺れた事でしょう。
そして、7月上旬には松山城の山麓で崩落事故があり死者も出てしまいました。ニュースの映像を見ていたらどうも見覚えのある景色で、確認してみたところ、松山城に行く途中迷い込んだ道路のようでした。
地震といい、この崩落事故といい、帰ってきてからの四国には大きな災害が起きているようで、お大師様の御利益はいったいどうなってしまったのでしょう。

 

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