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今日には結願出来そう!
昨年から回り始めた四国遍路も今日中には八十八ヶ所、最後の札所である「大窪寺」まで回って、八十八ヶ所結願の日になりそうです。
四国八十八ヶ所遍路の結願後のお礼参りは和歌山県高野山の奥の院となっていまるので、今日中には和歌山に渡り、明日の朝イチに高野山に向かいたいところです。
まずは最後の6ヶ所クリヤー目指して4日目がスタートしました。
昨夜泊まった「府中湖パーキングエリア」はスマートインターですから、ここで降りて一般道で今日最初の札所である83番一宮寺に向かいます。といっても時間はまだ5時半を過ぎたばかりです。府中湖のスマートインターを出たのは早朝の5:40。かなりゆっくり行ったところで6:00前には到着してしまいます。
早すぎてまだ通勤通学のラッシュにもなっていません。すんなりと今日の最初の札所83番 一宮寺に到着しました。
納経所が開くまでにはまだ2時間ほど待たなくては成りません。車の中にいても仕方ないので、境内の散策をしてみました。
四国霊場83番 神毫山大宝院 一宮寺
四国遍路を始めてから、まだ誰もいない境内を散策することが多くなりました。観光客でごった返している大きなお寺しか知りませんでしたから、静かなお寺の境内は初めての経験でした。
ローソクをあげ、線香を立て、写経を納め、納め札を納め、般若心経を唱えていつものルーティーン完了。これを大師堂でも行って一旦車に戻りました。
一台車が増えていて、自分と同じ年齢くらいの女性が乗っているようです。
することも無いので暫くは車の中で寝ていましたが、外に出てみると、この車の女性も外に出ていました。そこでいろいろ話をしている中で、この方が一枚の錦の納め札を見せてくれました。納め札の色は四国遍路の回数によって色が変わるのは前に説明しましたが、錦は100回以上です。この方の納め札という訳ではなく、以前頂いたもののようです。

そこには回数も書かれていました。624回、男性で年齢は76才と書かれていました。錦の納め札は各自が個人的に作るのだそうで、1回分が88ヶ所x2枚ですから少なくても176枚必要になり、この製作費もそれなりに掛かるようです。
しかし、624回ともなると、成人してから始めたとしても56年間で624回。1年で11回を越えてしまいます。こうなると人生の殆どを四国遍路に費やしている事になります。四国遍路の案内などしている先達さんだったのでしょうか。
この女性との話が弾み、そのうちに納経所が開く時間になりました。生憎雨が降り出して、四国遍路を始めてから初めて傘を使いました。
近所の奥さんから、何かTVの番組で見たらしく、一宮寺で売られていた水琴鈴という水琴窟のような音を立てる鈴の話を聞きました。忘れなかったら土産に買ってくると言っておいたので、忘れずにこれを買っておきました。
残り5ヶ所になりました。
四国霊場84番 南面山千光院 屋島寺
一宮寺を出てじきに家からの走行距離が1000Kmを越えました。これから先の道程を考えると全行程は千数百Kmになりそうで、昨年の走行距離2200Kmとの合計は4000Kmに届きそうです。この歳でよくも走ったものだ、と我ながら感心。

一宮寺から屋島寺までを直線で結ぶと高松市の中心部を突っ切っていくようになりますが、ナビの指定は市内のラッシュを避けているのか、一旦南に遠ざかる方向に行くようなルートでした。しかし、こんなに大きく迂回しなくてはならないの?と思うほどに遠回りしてやっと屋島に上がる屋島スカイウェイの登り口に到着です。
屋島は高松市の東、標高293メートルの半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られています。
その南嶺にある屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられています。朝から雨模様の天気で、屋島スカイウェイも霧が濃く、駐車場に到着しても濃い霧で何も見えず、はて、どっちに行けば良いのか?
ここも30年程前に一度来ているのですが、その時の記憶はゼロ。携帯のマップで自分の位置を確認して、ようやく屋島寺の位置が分かりました。
四国霊場第84番 南面山千光院 屋島寺

霧の中、やっと屋島寺の赤い山門に辿り着きました。
晴れていればさぞかし景色も良いのでしょうが、この天気ではどうしようもありません。これまで雨に遭うことは無かったのに、最後の結願の日に限って雨に降られるとは....
坂も石段もないので体は楽です。瀬戸内海を見下ろせる展望台があるようです。しかし、この天気では行っても仕方ないと思い、御朱印を頂き、早々に下山です。
四国霊場第85番 五剣山観自在院 八栗寺
寺院には寺の名前(寺号)の前には山号が付いているだけだと思っていたのですが、四国霊場の各札所の名前を見ると、山号と寺号の間に「院」のつく院号があります。はて、この院号は何?
調べて見たら、どうやらこの院は寺の中で僧侶が生活する場所の事を言うらしく、院がなく、山号寺号の寺もあるようです。
というか、四国に来て初めてみたのが院号でした。しかし、何故四国の霊場には院号が着いているのか?
話を八栗寺に戻します。
しかし、車遍路なのですから、ここはケーブルカー利用が正解でしょう。
四国遍路では徳島、太龍寺のロープウェイ、雲辺寺のロープウェイ、そしてここ八栗寺のケーブルカーの三ヶ所で麓駅から山上への交通手段が用意されており、これらは「四国ケーブル」という会社で運営しているようです。確かに料金は高めですが、車遍路の自分にとっては有り難い存在です。
無理して狭い山道を車で行って、何かあったら一大事です。という事で、これまでは迷わずにこうして交通手段を利用してきました。
今回も1000円払ってケーブルカーで登りました。
このケーブルカーは昭和5年頃からあったようですが太平洋戦争時に供出のため、八栗寺の梵鐘とともに全て撤去されました。現在のケーブルカーは、昭和39年に開通したもので、既に還暦を過ぎている年代物です。形も今の時代にはない超レトロなデザインで、面白い形をしています。
ケーブルカーに揺られること4分、山上駅に到着しました。

八栗寺へは少し歩きます。最初に現れたのは多宝塔。その先に大師堂がありました。本堂まで行って、お参りをしてから、大師堂まで来るのも厄介です。ここは手抜きにもなりますが、先に大師堂にお参りして、本堂に向かいました。
あとで知ったのですが、多宝塔と大師堂の間から山門に向かう表参道があり、ここを行けば正式な順番で参拝できたようです。
これも事前の予備知識不足でした。
これで残り3ヶ所になりました。 ケーブルカーで麓駅に降りて、86番の志度寺に向かいます。
四国霊場第86番 補陀洛山清浄光院 志度寺

ケーブルカーの麓駅から志度寺までは10Kmもないので、30分程で到着しました。山門を潜ると境内は自然の緑に包まれ癒やしの空間です。剪定もされていない植木の繁茂するこの状態をいろいろ言う人も居るようですが、自分としてはこうした、自然形の緑に囲まれた境内は好きです。ただ、もう少し整理しておいたらどうか、と思うところもありますが、綺麗に整理されたお寺ばかりでもつまりません。少し気の抜けるこんな札所も良いものです。そんな緑の中に五重塔が立っており、なかなか絵になります。
このブログを書いていて知ったのですが、この志度寺の前にある「自性院常楽寺」には、なんとあの平賀源内の墓所があったのです。埋葬された浅草の総泉寺から分骨されたようで、なぜこの地に?と思ったら、源内の生まれ故郷はこの志度寺のある志度だったのです。
大河ドラマ「べらぼう」でも平賀源内が亡くなったばかりでしたから、分かっていれば是非ともお墓参りをしてきたかったのですが、今気がついているようでは.....。
四国霊場第87番 補陀落山観音院 長尾寺

いよいよラス前まで来ました。志度寺は志度湾に面した海の近くでしたが、長尾寺は少し南の方になります。
境内は広くその先に本堂がありました。
明治維新以後、長尾寺は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺で地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれているようです。広い境内もこの名残なのでしょう。
さて、残すは結願寺の88番大窪寺だけとなりました。
四国霊場第88番 医王山遍照光院 大窪寺

長尾寺から大窪寺までは十数キロあります。のんびり走ってもそれ程時間は掛からずに大窪寺に到着。日曜祭日なら参詣者も多いのでしょうが、今日は金曜日という事で寺の周りも境内も閑散としていました。
車遍路でもようやく二年がかりで来た88番目の札所ですからそれなりの感激があります。まして1番から千数百キロの道程を歩いてきた人達にはさぞかし大きな感激があるのでしょう。
時間を見ると12時半を廻っています。この先は山の中に入ってしまうので、食事をとるところも無いだろうと思い、門前の店に入り、ここの名物である暖かい「打ち込みうどん」を注文しました。

暫く時間が掛かりましたが、出てきたうどんのボリュームにはビックリ。
歩いて来た人達にはこれくらいの量が必要なのでしょうが、運転している自分にはこれは多過ぎ。お店の人には申し訳ないけど、完食は無理でした。
量が多くて食べきれませんでしたが、美味しいうどんでした。
門前には結願寺の前という事もあり、いろいろな店が並んでいます。
多いのが、これまでに頂いて来た御朱印などを表装してくれる表具屋さん。御朱印を切り離して掛け軸にするのも良さそうですが、それはまたあとで考えても良いでしょう。歩き遍路では結願の感激に押されて、ここで注文していく人達も多いのでしょう。西国巡礼の満願寺である岐阜の華厳寺の門前にも同じような店が並んでいました。
これまでの札所では御朱印を頂くと、本尊のイラストの描かれた神を一緒に頂いて来ました。これをどうしようかと思っていたら、今回、これを入れて、ブック状に保存出来る専用の保存ブックを購入しました。頂く紙は無料ですが、入れるこのブックは3000円もしました。そう考えると、御朱印帳より高価なものになってしまいました。
後日談ですが、家に帰ってきて、これに一枚一枚セットしていたら、ギョ! 一枚ない!!
何処を探しても見つかりません。それも昨年廻った時の札所のものですから、見つかる訳も無く、これは諦めました。また、この先2回目を廻る事があったらその時にでも頂いて来ましょう。
四国八十八ヶ所遍路は完了しましたが、最後に高野山奥の院へのお礼参りがあります。改めて出直すより、徳島県から船で渡れば和歌山は対岸ですから、帰り道に済ませてしまった方が時間も旅費も助かります。
と言う事で、大窪寺から徳島のフェリー乗り場に向かいます。途中で予約は入れてあるのですが、1便早い時間の便に間に合ったら、空きがあれば乗船出来るようでした。予約を取ったのは18:55発でした。一つ早い便は16:25発ですから、これなら十分前の便にも間に合いそうです。
徳島港へ!
13:30 大窪寺を出発しました。16時の便でも3時間ありますから、十分に間に合いそうです。徳島港までの距離は約60Km。1時間半もあれば着けるでしょう。
30分ほど走っていると、お寺の案内標識が見えてきました。
走っている道路は、昨年の4月に廻った時に通った懐かしい道でした。
切幡寺、法輪寺、熊谷寺などの看板が出てきて、昨年は定休日で入る事の出来なかった風呂の前も通過しました。
思い返してみると、切幡寺や法輪寺を廻ったのは2日目でしたから、昨年の4月11日の事です。そして1年後の4月11日にまた同じ道を通っている偶然にはビックリです。それも静岡からは遠く離れた四国の地なのですから尚更の驚きです。
途中で道に迷いながらも何とか徳島・和歌山フェリー乗り場に到着しました。
時間を見ればまだ3時前です。予約は18:55出港の「あい」と言う船でしたが、その一便前の16:25発に十分間にあいました。というか、早く来すぎて出港までには1時間30分もの待ち時間になってしまいました。港なので近くに行くところもなく、時間を潰すには車の中で寝ているのが一番のようです。
出航時間が近づき、乗船となりました。フェリー代金は13,000円になりましたが、陸路を走って和歌山に行くことを思えば安いものです。それに眠っていても良いのですから安全面を考えても、ここはフェリーを使うのが正解でしょう。
16:25 徳島港出港
16:25出港しました。航路は徳島港から和歌山港までほぼ一直線なので、終始左には淡路島が見えています。船上からの夕焼けを期待したのですが、それほどの事もなく、陽は沈んでいきました。
和歌山港着は定刻通りの18:40。2時間チョット船に揺られていたら、和歌山港に到着です。既に暗くなっているので、知らない町の知らない道路を夜の暗い中走るのは不安で、嫌なものです。
4日目の宿は「道の駅かつらぎ西」
船中で探した今日の宿は京奈和自動車道にある「道の駅かつらぎ西」です。道の駅とはなっていますが、自動車道のパーキングエリアのようなもののようです。
和歌山港から和歌山市内を突っ切って和歌山ICから阪和自動車道に乗り入れます。このままでは大阪に行ってしまうので、途中からは阪和自動車道と別れ、京奈和自動車道に入りようやく今日の宿「道の駅かつらぎ西」に到着です。
ここまでの道路は道路幅が狭く怖い程で、夜の運転は疲れました。

和歌山市内のコンビニに寄って仕入れてきたお酒で、四国遍路結願を果たした記念すべき夜の大宴会?になりました。