北国街道を行く 第1回2日目

2日目スタート

北國街道2日目です。昨日チェックインの時、急遽お願いした朝食を済まして 8:00 ホテルをスタートしました。

左)布引観音 直進)北國街道

北國街道は国道と千曲川の間を走る「しなの鉄道」に沿って北に向かっています。鉄道がいつも近くを通っているという事は、歩けなくなった時の逃げ道として、また緊急時にはトイレもあるので少しは気が楽になります。

遙か西には北アルプスの稜線が見えています。形から見ると北葛岳から蓮華、針ノ木に続く黒部湖南のアルプスの稜線のようです。ここからは80Km程の遠方の山になります。

遙か西に見える北葛岳、針木岳、蓮華岳

アルプスを 遠く望みて 植田風 一秀

手前の山頂にアンテナが見える山は多分、美ヶ原あたりなのでしょう。

北國街道の宿場は追分宿を出立して最初の宿場が小諸宿です。
ここから先は田中宿・海野宿(合宿)、上田宿、坂木宿、上戸倉宿・下戸倉宿、屋代宿、篠ノ井追分宿(間の宿)、丹波島宿、善光寺宿と続いていきます。
今日はこの中の上田宿までを予定していますが、はたしてそこまで行けるかどうか?

たかこの布あそび?

古民家風に作られた最近の建築のようです

暫く行くと進行方向右に古民家風の凄い建物が現れました。古い家なのか、最近建てられた古民家風の家なのか?

玄関には「たかこの布あそび」と書かれているだけで、一体何なのかさっぱり分かりません。
名前からすると端切れ屋さんのようでもあり、しかしそれにしては建物前の駐車場がやたらと広いです。それに駐車場入り口にある看板も今は何も書かれていませんでしたが、端切れ屋さんにしては大きすぎます。
後で分かったのは、どうやら着物をリフォームするような店のようでした。
元々は寿司屋さんだったらしく、その建物を利用して始めた仕事のようでした。
結局、建物自体も古民家という訳ではなく、古民家風に建てられた最近建てられたもののようでした。

同行の紅一点Tさん、今日はトイレが近く、しなの鉄道様々で、駅のトイレには何回となく助けられました。男ならどうって事もありませんが、やはり女性にとっては深刻な問題です。
しかし彼女曰く「必死になると疲れも忘れる!」 

力士雷田の碑

江戸時代の大力士 雷田の碑。手前の初代の碑は削られてしまい、単なる石塔になってしまっている。

東御市に入ると「力士 雷田の碑」がありました。江戸時代の大力士「雷田」はこの地の出身だったようです。
説明によれば碑文は佐久間象山の撰文・揮毫となっていました。
雷田の通算成績は現在では考えられないような記録を残しています。
江戸本場所在籍36場所中、通算黒星は僅かに10、勝率は実に.962 で大相撲史上未曾有の最強力士とされています。しかし、横綱免許は受けなかったので、大関で止まっています。というより、この当時は横綱制度が無かったような....

元々の碑は削って持てば子供が丈夫に育つとか、勝負に勝てるとか、まさにパワーストーン。こうした事から欠いて持ち去られ、僅か30年程で碑文も読めなくなってしまいました。
そのために、現在の碑は明治28年に建てられた2代目となっています。

田中宿

小諸をスタートしてから2時間半。田中宿に入ってきました。田中宿は隣の海野宿と合わせて一つの宿場の役割を担っていた合宿でした。

田中宿には古い街並みは残っていませんが、町の中は綺麗で、歩いていても気持ちが良いです。
明治初期、鉄道駅の建設計画があり、これは当初海野宿の北に予定していたようです。しかし、当時蚕種業が隆盛を極めていた海野宿にとって汽車が排出する煙が桑の害になると、猛反対の運動が起きました。
このため、鉄道駅は第二候補地であった田中に建設が決定し、明治21年(1888)には田中駅が開業され鉄道交通網の発展とともに田中の商工業も飛躍的に発展していきました。
一方、駅建設の反対運動の起きた海野宿では田中宿のような町の飛躍的な発展もなく、そのおかげでに古い街並みが残ったという事にもなります。
こうした鉄道が絡む明治時代の話は国内の街道沿いには沢山あり、当時鉄道が通った沿線はその後発展し、鉄道を嫌った土地は経済的に寂れていってしまい、結局百数十年経った現在ではその差は大きなものになってしまっています。

海野宿

さて、街道は田中宿を抜け海野宿に入っていきます。海野宿の入り口には日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神とする白鳥神社が鎮座しています。

白鳥神社 欅の巨木
拝殿と御神木

白鳥神社の歴史はかなり時代を遡り「源平盛衰記」に木曽義仲挙兵のくだりに登場しています。義仲は、治承五年(1181)海野氏を中心に、この近くの白鳥河原で兵を挙げました

海野の地は、奈良時代に海野郷といわれ、この地から献上された品が正倉院御物として残っている事からも、白鳥神社の創建は、奈良から平安にかけてと考えられます。
境内には欅、杉、槐の巨木が立ち並び、中でも拝殿前の欅の御神木は胸高周囲約5.8m・樹高30mにも及ぶ樹齢700年という大木です。
白鳥神社に参拝し、海野宿に入っていきます。

海野宿の家並
街道と家の並びの間に水路が通っている

終日(ひねもす)を 風に委ねし 糸柳  一秀

海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しています。
江戸時代には旅籠も賑わった海野宿でしたが、明治になり宿場制度も無くなった為に人の往来も減っていきました。そこで旅籠の代わりに、この建物の広い2階を有効に利用した養蚕業へ変わっていきました。

先ほども出てきた鉄道駅建設の話も、養蚕で景気が良かった丁度この頃でした。この時に駅が作られなかった為、その結果、町の経済発展からも取り残されていきました。
でも、そのおかげで現在の街並みが残ったとも言えます。
世の中、何が吉となり、何が凶となるのかは、暫くの時が経ってからでないと分からないもののようです。

宿場内の蕎麦屋でようやく昼食になりました。昨日も昼は蕎麦、今日も蕎麦、この調子では明日も蕎麦になりそうです。

千代ちゃんや 各駅停車の 海野宿 一秀

少ーーしだけビールを呑み、さて、先に進みます。
ビールが利いたのか、海野宿を抜けたあたりで、早くも次の大屋駅に急ぐ二人。またまた駅のトイレに助けられたようです。

しなの鉄道 大屋駅

ここでゴール 国分寺駅

しなの鉄道 信濃国分寺駅

大屋駅から2Km程で次の駅「信濃国分寺駅」。さて、ここで今日のゴールとするか、それとも上田まで行ってしまうか。

4Km程歩けば今日の宿のある上田まで辿り着けます。
協議の結果、今日はここでゴールとして、電車で上田駅まで行き、折角時間が空いたので別所温泉まで行ってみる事にしました。
30分程待ってやって来た電車に乗り上田へ。そこでまたまた20分程待って、上田鉄道の別所線に乗りこみました。

別所温泉

別所線の電車

30分程で別所温泉駅に到着です。
時間も午後の3時過ぎという事もあるのでしょうが、平日の別所温泉は静かです。

別所温泉は信州の鎌倉とも呼ばれる、信州最古と伝わる温泉地で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれます。

別所温泉駅からは緩い坂道を上りまず国宝の八角三重塔のある安楽寺に行ってみました。この時間になってからの坂道はいくら緩い坂と言っても脚に堪えます。

安楽寺 国宝八角三重塔

安楽寺は信州最古の禅寺で、全国的に見ても鎌倉の建長寺と並ぶ国内最古の禅寺となっています。
坂道を上り、20分程で安楽寺に到着しました。境内裏手の坂道を更に登ると三重塔に辿り着きました。苦労して登ってきただけに、国宝八角三重塔は見事なものです。この八角三重塔は、長野県では一番早く国宝に指定されました。
全高(頂上から礎石上端まで)は18.75m。一見四重塔にみえますが、一番下は裳階と呼ばれる所謂ひさしで、これは階層には数えられません。
内部には禅宗寺院には珍しく何故か大日如来像が安置されています。

国宝 八角三重塔
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北向観音

土産屋さんが並ぶ向こうに北向観音

安楽寺から元の通りに戻ると反対側には北向き観音が見えています。長野の善光寺が南を向いているのに対し北向き観音は善光寺に向かい北向きになっているのだそうです。

北向観音境内
北向観音 観音堂
上田市方面

善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで知られており、善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。
建物の姿は一見ミニ善光寺にも見えるほど似ています。
境内の入り口辺りにあるお清めの水は慈悲の湯と名付けられ、これも硫黄臭のする温泉だった事にはビックリでした。流石、温泉地の寺です。

常楽寺

常楽寺は北向観音堂が建立された天長2年(825年)三楽寺(長楽寺、安楽寺、常楽寺を指して「三楽寺」といいました。現在、長楽寺は焼失し、北向観音堂の参道入口に碑を遺すのみとなっています)の一つとして建立されました。
北向観音の本坊であり、ご本尊は『妙観察智弥陀如来で全国的にも珍しい阿弥陀様です。常楽寺へは山の中腹を横なりに行く道を行けば良さそうです。

常楽寺参道
茅葺きの常楽寺本堂

登る事も無しに常楽寺本堂前に出ました。茅葺屋根の本堂が良い雰囲気です。本堂内の格天井は当時の色彩をそのまま残す物らしいのですが、残念ながら見る事は出来ませんでした。

石造多宝塔(国重文)

本堂裏の北向観音の霊像が出現したと伝わる場所には、弘長二年(1262)の刻銘のある石造多宝塔が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。この多宝塔は高さ2m85cmの安山岩で出来ており国の重要文化財に指定されています。

春蝉の声 茅葺きの古刹にて 一秀

さて、電車の時間までおおよそ20分。そろそろ駅に向かわないと次の電車までかなりの時間を待つ事になってしまいます。

ホテルへチェックイン

しなの鉄道 上田駅
相鉄フレッサイン上田駅前

予定していた電車に間に合い、5:13pm 上田駅に戻ってきました。
今日の宿は上田駅前の「相鉄フレッサイン上田駅前」
何故か疲れた2日目の北國街道でした。

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