スタート地点となる笠置駅まではどう行こうか?
車で奈良まで行ってそこから奈良線、関西線と乗り継いで行く方法がまず考えられますが、これでは奈良まで行くのに時間が掛かり過ぎます。それに電車を乗り換えて笠置駅まで行くのにも無駄な時間を食ってしまいそうです。
そこで、東海道ウォークでも歩いた「関」まで車で行き、そこから関西線で行く事にしました。これなら乗り換えなしでスタート地点の笠置駅まで1時間ちょっとで行けます。
それに、今まで乗ったことのない関駅以西に電車で行くというのも楽しみです。
折しもこの時期、関西線沿線の桜は満開。長閑な里を走る電車(そういえばディーゼルだった)に揺られ、笠置駅に到着。
笠置駅周辺の桜も見事に咲いていました。
駅前にあった、満開の桜の下のこの像はいったい何なのか?
帰ってきてから調べたところ、どうやらこれは後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府倒幕運動の戦い(元弘の変)の様子を表したもののようでした。
いよいよここからが柳生街道ウォークのスタートです。柳生までのコースは川沿いに上がって行くコースと、笠置山に登り、そこから下って行くコースの二つがありますが、自分たちが選んだのは後者の笠置山越えでした。
8:10am、スタート
スタート直後から笠置山への急登です。朝一番の坂道は肺の障害を持っている自分の身にはかなり厳しいスタートになりました。
50分ほどで笠置寺に到着。
笠置寺は磨崖仏で知られ、寺の本尊も巨大な岩に掘られた弥勒菩薩となっています。寺が開かれたのは1300年も前と言いますから歴史はかなり古く、開基は大海人皇子(天武天皇)と伝えられています。
二月堂のお水取りを始めたと伝わる実忠がここの窟で修行していた時に窟の奥に進んで行くと弥勒菩薩の住む兜率天に至りました。そして実忠がそこで見た行法を人間界に伝えたものがお水取りと伝わります。
この寺は元弘の変の時、後醍醐天皇を匿ったとして、北条軍によって全山を焼かれ焼失しています。
笠置寺の境内には本尊の弥勒菩薩以外にもいくつもの大きな磨崖仏があり、境内をゆっくり回ればまだまだ見るものがありそうです。
笠置寺から出ると、ここからは柳生に向かってずっと下りになります。柳生に入る手前に「阿対(あたや)の石仏」と呼ばれる磨崖仏がありました。
何とも変わった名前ですが、これはかつてこの近くにあった寺の名が由来となっています。
正面には阿弥陀如来、左に小さな地蔵菩薩が彫られていて、子供のない人がこのお地蔵さんに豆腐を供えると願いのままに子供を授かるといわれます。また子供の出来たお礼には千個の数珠をあげるのだそうです。
柳生に入りまず目に入るのは右手の山の中腹にある枯れた白い巨木「十兵衛杉」です。柳生十兵衛が植えた松と伝わり、もしこれが事実とすれば樹齢は350年程になります。
残念なことに昭和48年、二度の落雷を受けてその後枯れてしまいました。しかし枯れて40年、今なお堂々と立ち続ける姿には圧倒されます。
これから先には食事を摂れるようなところも無さそうなので、ここ(柳生の十兵衛食堂)でいつものようにビール付き昼飯となりました。

柳生石舟齋→柳生宗厳
柳生宗矩(むねのり)
柳生十兵衛→柳生三厳(みつよし)

また柳生石舟齋が一刀で天狗を切ったら翌朝には石になっていたと伝わる一刀石など、柳生に係わりのある所を山を上り下りしながら何カ所か周った後、先を急ぎ忍辱山に向かいます。

正長元年ヨリ
サキ者カンへ四カン
カウニヲ井メアル
ヘカラス
読み下すと
「正長元年より以前の、神戸(かんべ)四箇郷における負債は一切消滅した」
といった内容になります。
ここから阪原峠(かえりばさ峠)を越えると目の前には広い田園風景が広がります。満開の桜の木もあちこちに見えて長閑な田園光景です。

この先には鎌倉時代に建てられた「南明寺」があり、本堂内には平安時代に造られたと言われる釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来の三体の座像が安置されています。

朝からずっとアップダウンの連続でかなり足が悲鳴を上げていますが、今日のゴールである忍辱山まではもう少しです。
遺構が保存展示されている「水木古墳」や夜支布山口神社(やぎうやまぐちじんじゃ)を越えた所から街道は大きく迂回して大回りになっています。
何故こんなに迂回する必要があったのか?少しでも単純に距離は短くしたいところなのでしょうから、わざわざ大回りしている理由が分かりません。
夜支布山口神社は平安時代の延喜式にも出てくる式内社で古い歴史を持っています。
ここを越えてからが最後の試練です。忍辱山まではかなりの勾配の山道を歩かされ、ようやく国道に出ました。ここが今日のゴールとする忍辱山(にんにくせん)です。バスが来るまでにはまだ時間があったので、今日のうちに圓成寺の参詣は済ませておく事にしました。
バス停のすぐ先から右に入るとすぐに圓成寺の境内で、大きな池の畔を進むと山門に辿り着きました。

ここで昨年の東博「運慶展」でみた運慶のデビュー作である「大日如来座像」に再会できました。しかし、本堂の須弥壇に安置されているのかと思ったら、宝物館のようなところに安置されていました。
展示の仕方や照明の違いなのか、東博で見た時のような迫力は感じられませんでした。
やはり仏像というものは本堂の本来仏の居るべき所に安置された状態で見てみたいです。
路線バスに乗り、奈良市内までひとっ飛び。ホテルは以前も泊まった「ワシントンプラザホテル奈良」でした。
二日目、再び路線バスに乗り昨日のゴール地点となった忍辱山まで行き、スタートです。今日の歩行距離は昨日よりは少し短くなり、登坂も昨日ほどは無いはず(というより、殆ど下り坂.....の筈..)。でも、歩き始めはまたまた登坂です。
昨日から案内の看板はよく整備されていて地図も必要ないくらいですが、GPSのチェックが遅れると、時々肝心な所でミスコースしたりもしています。

圓成寺から一山越えると茶畑の中腹にあるのは「五尺地蔵」で周りは綺麗に整備されていました。でも周りの茶園は放棄されたようで、かなり枯れ込んできています。

ここを過ぎると誓多林の集落になり、立派なトイレの先にこの街道では有名な「峠の茶屋」がありました。ここの御主人と店の前で暫く話しが弾み、いろいろと面白い話も聞けました。
もう少し先の時間だったのなら甘酒でも貰っていったところですが、なにせまだ飲み食いの時間には早すぎます。

この先が石切峠で街道はここで二股に分かれています。片方は少し楽な道、もう一方は急な坂道の続く地獄谷石窟仏を廻っていくコース。雨の後は危険だからこちらは通るなとの情報もありました。
でも、最近雨は降っていないし…….
迷わず後者を選択し、急坂に向かいます。この選択は大正解でした。確かにザラザラした山道で、急坂、それに左右は切り立っていて馬の背状態の見た目にも危険そうな山道です。
しかしそれを引き算してもプラスになるのはこの山道の左右に今が盛りと咲く「ミツバツツジ」が群生していた事です。
本当にキレイでした。

でも、途中に分岐は無かったのは間違いなし。なら、このまま進めばある筈です。
どうやら道は間違っていなかったようで、ようやく「地獄谷石窟仏」に到着しました。
釈迦如来像とその左右に薬師如来と十一面観音。右壁面には如意輪観音、左壁面に阿弥陀如来坐像と千手観音の計6体が線刻されています。
そして、この石仏が柳生街道でも一番の見所といいます。
しかし、昨日から磨崖仏ばかり見てきて目が慣れてしまったためなのか、それに周りも金属製の人工物で囲まれているので、何となく感激も薄れてしまいました。
傷みを防ぐ為にはこうした設備が必要なのは理解できますが、鉄の柵で囲ってしまう以外に方法は無かったものか....。
先ほど分かれたもう一方の街道と再び合流した所にも石仏がありました。これには「首切り地蔵」の説明がありました。言い伝えによれば荒木又右衛門が試し切りをした といった話もあるようです。
下っていくと右上の崖に見事な磨崖仏が見えました。これが朝日観音でこれには1265年の銘が刻まれています。中央は弥勒菩薩で左右には地蔵菩薩が彫られ、東を向いている為に朝日に照らされ神々しく見える事からこの名が付けられています。
この先には夕日観音と三体地蔵。三体地蔵は見つかりますが肝心の夕日観音がありません。周りを探してみたらかなり上の方に夕日観音がありました。これは見つけにくいです。

高畑町まで行き、正面に見えたホテルのフロントで拝観料(協力金)を支払い、中に入るとそこに見えるのはピラミッドとも言える、石で囲まれた建造物です。これは「頭塔」と呼ばれているもので、その詳細についてはまだよく分かっていません。
東大寺に残る古い文書によれば、頭塔の建造は二月堂でお水とりを始めた「実忠」が進めています。これが何なのか?は諸説あり、奈良時代の玄坊の墓とも言われますが、寺には付きものの塔と同じ意味を持つ仏舎利塔と考えるのが正解のようです。
そこからは浮見堂経由で奈良駅まで下ってきました。奈良線で加茂駅まで行き、そこからは関西線で関まで戻り、まだ明るいうちに清水に戻ってくる事が出来ました。
これで現在計画中のウォーキングは全て終了しました。このまま止めてしまうのではなく、これからは1日か二日くらいで完歩できるショートウォークの予定で計画していく予定です。
お疲れ様でした。峠の茶屋や朝日観音、夕日観音を看板頼りに、他にも地味ながら幾つか見ながら、あの峠道を疲れた顔で歩いた事を思い出します。やはり若いうちに色々と行っておくことは、良い事ですね。
二日間で歩く距離もたかだか30kmにもならないという事で舐めてかかったこともあり、想像以上に苦労しました。
確かに年をとる前にというより、出来る事は出来るうちにやって置く事が後悔しない一番の方法と思います。出来なくなる事態は突然とやって来ますからね。