寒い時には寒いところへ旅行

白銀の世界で温泉に入りたい!

昨年11月で満願となった坂東巡礼のメンバーで白川郷に行ってみよう、という事になりましたが、宿が確保できず、これは諦めました。
しかし、冬、白銀の温泉に行ってみたいと、代わりになるような、JR利用していける計画を起ててみました。
しかし、これまでの10人乗りワゴン車とは違い交通費は結構掛かってしまいます。そうかと言って雪知らずの静岡県人が車を運転して雪国へ行くのはやはり怖いです。
当初の計画は、8年前に塩の道を歩いた時の最終日に泊まった、大糸線沿線にある姫川温泉に行って翌日に同じコースで帰ってくる、というものでした。
しかし、同じコースで帰ってくるのもつまらないもの。
それに行く時、列車の待ち時間で甲府市内(といっても甲府城趾だけ)や松本の観光をして行くので、帰りに寄ってくるような所もありません。
姫川温泉から大糸線を逆方向に北へ30分も進めば北陸新幹線も停まるJR糸魚川駅に出ます。北陸新幹線を利用すれば1時間足らずで金沢に到着出来るようです。

計画変更し、金沢へ!

そこで、計画変更して帰りは金沢経由で帰ることにしました。
交通費は9,000円ほど余計に掛かってしまいますが、金沢で5時間ほど時間をとっても、夜7:00前には清水に帰って来れそうです。
同行の皆さんに話したところ、それで行こう!という事になりました。

出発!

甲府駅
甲府駅到着

初日、朝早いですが、6:07清水発の列車に乗り、富士からは身延線に乗り換えて行けば、鈍行でも9:21甲府着となります。
ここで中央線に乗り換えになります。特急あずさの切符は既に清水駅で買ってあり、乗車までには1時間以上の待ち時間があります。駅の中にいてもつまらないので、こんな時でもなければ行く事もない、駅近くにある甲府城趾に行ってみました。

甲府城趾

甲府城は天正11年(1583)一条小山に徳川家康の命で築城された城で、別名舞鶴城(まいづるじょう、ぶかくじょう)と呼ばれていました。

強東風に捲らる縁の旅雑誌 一秀

天守台は残っていますが、築城当時に実際に天守があったのかどうかは不明のようです。江戸時代には、初期の幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代を通じて統治の拠点となっていました。
1873年の廃城処分となった以降も甲府城は県庁主導の殖産興業政策より建物などは壊され、内堀が埋め立てられて官業施設化されていきました。
さらに中央線の開通と甲府駅(甲府城清水曲輪跡にあたる)の開業により城跡は南北に分断されてしまいました。

甲府城
内松陰門より城趾内へ
天守台から見る本丸跡

甲府駅から出て5分も東に歩けば甲府城趾の入り口に辿り着けます。
入り口にある案内図を見て「内松陰門」から城趾内に入りました。

梅の香や甲州野梅か甲府城

かなり段差の高い石段を登り切ったところが本丸跡で、その東側に天守台が残っています。
城趾は広大な面積があり、とても1時間程度で回れるものではなさそうです。
結局北半分をチョコっと見ただけでした。でも、清水から遠いところではないので、いつか時間を掛けてゆっくり見てみたいと思います。

山茱萸の蕾黄ばみし旅の門

特急あずさ 指定席券あるのに座れない!

甲府駅に戻りました

甲府駅に戻り「特急あずさ」を待ちます。
10:36入ってきた「あずさ」に乗り込みましたが座れず!
あずさは全席が指定席になっているので指定席券が必要です。でも座席未指定とはいえ、同じ金額の指定席券は買ってあるのに座れないとは?

まさか座席数以上の指定席券を売ってしまっているわけでもないのでしょうが、回ってきた車掌さんに聞いたら説明してくれました。
しかし、この説明がさっぱり要領を得ない話で分からず仕舞いで終わりました。

結局、茅野までは立ちんぼになってしまいました。
茅野では大勢降りてくれたのでそこからは座る事が出来、あーー、やはり楽ちん
身延線鈍行のシートとは違います。

松本 中町通り・縄手通り

特急あずさ

11:39 松本駅到着です。まずは腹ごしらえをしなくては!
白壁の家が並ぶ中町通りまで行くと蕎麦屋さんがありました。少し待ってようやく席に座る事が出来ました。
蕎麦は期待していなかったのですが、かなりいける美味しい蕎麦だったのは意外でした。
ここから縄手通りを廻って駅に戻れば時間も丁度良い時間になりそうです。
松本から乗る大糸線は信濃大町以北まで行く列車は本数も極端に少ないので予定の列車に遅れるわけにはいきません。
松本は9年前に「塩の道」を歩いて以来で、やはりあの時の記憶は懐かしい思い出です。

中町通り
四柱神社

大糸線で北へ、北へ!

14:13 松本発の大糸線に乗り込みました。
車内はほぼ満席状態でしたが、先に進むに従い乗客数は減っていき、乗り換えの南小谷駅まで乗っていた乗客は僅かな人数になっていました。この時期、大糸線の乗客はスキー客が殆どのようですから、その人達は南小谷に着く頃には皆途中で下車してしまいました。

春光や車窓に眩しアルプスを
白馬三山
松川から見る白馬岳

大糸線は電化されているのは南小谷までで、ここまでは特急あずさも来ています。この先までいく自分達は一両編成のディーゼル車に乗ってさらに北の平岩駅を目指します。
白馬を過ぎた頃から白銀の世界が広がっていましたが、南小谷から先は標高も少しづつ下がっていくので、雪も少しづつ減ってきているようです。

宿のある平岩まで行ったら雪は消えてしまうのだろうか?と心配になってきました。
4日ほど前、宿に連絡した時には雪は無いようでしたので、雪のない姫川温泉になってしまうのかも?

姫川温泉 平岩駅到着

でも、平岩駅に到着したらホームにも雪が積もって、駅の周りも真っ白です。駅の外に出たら、宿の主人が車で迎えに来てくれていました。
く事を覚悟していたので、これは嬉しかったです。
とは言っても歩いたところで10分も掛からないような近くなのですが。

白銀や焦がれ降り立つ無人駅

難解な信州割

宿に到着して、宿泊の手続きをしていたところ、コロナワクチンの接種証明を持っていれば信州割が使えるようでした。
皆さんには何も言ってなかったのですが、全員が持ってきていて、2000円分の地域クーポンを7枚貰えました。
しかし、明日はそのまま新潟県に入ってしまうので折角貰った1万4千円分のクーポン券も使う事が出来ません。
そこで主人が言うには、車で5分ほどの所に道の駅があるからそこで使って来たらどうですか? との事。
車は貸せて貰えるようです。
雪道は怖いけど、1万4千円惜しさに車を借りて出掛けました。
塩の道(千国街道)を歩いた時の道を行き、そのまま峠まで行くと雪の壁で通行止め。
道を間違えたのか?
一旦宿に戻ってみたら、自分達が進んだのは国道ではなく、今の時期は通行止めになっているのだとか。
国道は逆に、北に進んだところを通っているようでした。
道の駅の閉店まではまだ十分時間はあるというので、改めて出掛けました。
宿の主人がいうように5分では到着出来ませんでしたが、苦労の末やっと到着です。
買う物を揃えレジにいって、クーポンを使おうとしたらここからが一大事でした。

信州割クーポン取得カード(表)
信州割クーポン取得カード(裏)

紙のクーポンがそのまま現金代わりに使えるものと思っていたら、これは電子クーポンにしなくては利用できないらしいのです。
手順を教えて貰うと、以下のような厄介な手順が必要でした。

1.クーポン券の裏のスクラッチを擦って10桁の英数字を出す。
2.スクラッチの上にあるQRコードを読み取って信州割のサイトに接続する。
3.サイトに接続したらそこで、先ほどの10桁の英数字を入力する。
4.認証されたらここでようやく電子クーポンに変換する。

ここまでの作業でやっと1枚分完了。
スクラッチを擦って出てくる英数字の文字サイズが小さくてメガネ無しでは確認しにくく一苦労です。
同じ事を枚数分繰り返しましたが、どうしても認証できない券が2枚あり、結局1万円分しか電子マネー化出来ませんでした。
ようやく使えるようになりましたが、纏めて支払う事は出来ず、一人分の2000円づつしか使えないのです。
そのうちに、イライラしてきて腹が立ってきました。いったい誰がこんなシステムを考えたのか?
信州割はこれまでにも3回ほど使って来ましたが、これほど馬鹿げたシステムではありませんでした。
スマホを持っていなければ電子マネー化出来ませんから、結局貰ったところで使う事は出来ずに終わってしまいます。面倒臭くて途中で諦める人も居るのかもしれません。
それでも1万円欲しさにジッと我慢し、何とか買い物を済ませて宿に戻りました。
ここまでですっかり疲れてしまいグッタリです。

やっと食事になった

食事の前に風呂くらいは入りたいので、気疲れしてしまった体を引き摺って何とか風呂へ。
この温泉の涌湯量は毎分1トン半を越えているくらい多く、当然掛け流しです。
硫黄臭が少しあって気分的にも何か体に良さそうです。
流石に冬のこの時期では屋上の露天風呂には行く気にもなれず、そのまま食事になりました。
料理の内容は大したものではありませんが、歳とった最近では長野のあっさり単純な料理で十分になってきました。
それにあっさり料理だと完食してしまいます。こんな時、凝った料理では途中でげんなりしてしまって残してしまうものです。
まぁ、宿泊費から考えてもそんなに凝った高級料理が出るわけもありまん...

部屋の戻って先ほど苦労して買ってきた酒で二次会でしたが、2本買ってきた酒の1本は焼酎でした。
食事の時に十分飲んだので、今回は苦労して買ってきたうちの1本だけ空けて、つまみもやはり道の駅で買ってきたもので済ませました。
何時に寝たのか?記憶にありませんでした。

2日目 金沢へ

8年前には開いていた店も閉じていました。
雪の中で列車待ち

翌朝は8:00の列車に乗らなければならないので、朝食も少し早くしてもらい、駅までも送って頂きました。

最寄りの平岩駅の乗降客の一日平均人数は一人にも満たないようで、これから先どうなってしまうのか?

白銀の静寂に八十の身をおきて

8:00に一両編成の列車が真っ白な雪の中をやって来ました。糸魚川駅までは30分ほどで到着。北陸新幹線への乗り換え時間が僅か8分しかないので、遅れたら大変です。

8:00 平岩駅発

切符は買っておいて正解だった

今日の金沢までの切符は多分買っている時間は無いだろう、と昨日清水を出発時に買っておいたのは正解でした。

北陸新幹線「はくたか」

時間通りにやって来た北陸新幹線の「はくたか551号」に乗り込んだところ、席はガラ空きです。今回は難なく座る事が出来ました。
しかし、空いていた車内も富山ではほぼ満席になり、立っている人も出るほどの混雑です。

金沢

糸魚川から50分ほどで金沢に到着です。
荷物をロッカーに預けて外に出たら雨が!
入れたばかりのロッカーを再度開いて、傘を取り出し、再びのロッカー代500円。まぁ仕方ないでしょう。

世界で最も美しい駅にランキングされている金沢駅。もてなしドームと鼓門。

でも、結局傘は一度も開かずに済んでしまいました。クソっ!

駅前の鼓門で記念撮影してから、バス停探しです。駅前のバス停は数も多く、いったい何処で待てば良いのか?調べてきたつもりでしたが、少し違っていました。数年前のガイドブックで変わったのか?
バスで兼六園下まで行きます。ウィークデイというのに、バスはかなり混んでいます。おまけに道路も混んでいて、大した距離でもないのに結構時間が掛かってしまい、ようやく兼六園下のバス停に到着しました。

兼六園
兼六園の「雪吊り」

兼六園は四十数年ぶりになります。これだけ昔の事になると、来ていないと同じです。殆ど記憶には残っていなかったのですが、園内に入ると、あー、こんなだったか?と朧気な記憶が蘇ってきます。その時の写真を改めて見ても、やはり皆若いです。
古希を過ぎた今の身には20代のあの頃は夢のような時期だったと思えます。
意外だったのは、何十年ぶりで見たというのに、あまり感激もなく、園内至る所にあるあの有名な雪吊りも雪のない園内では所在なげです。

雪吊りや退屈そうに兼六園

これはTV番組などで見慣れた光景になってしまっているからなのでしょうか。

それにしても、この広大な園内の整備にはいったいどれ程の経費が掛かっているのでs。
園内に日本武尊像が立つ「明治紀念之標」があります。これは何を記念しているのかと思ったら、どうやら西南戦争における戦死者を慰霊するに作られたようです。

日本武尊像の謎

日本武尊像

この日本で初めて作られた銅像となった日本武尊像には以前から言われている謎があります。それは周りに鳩など沢山いるのに、この像に留まる鳥は全く居ないのです。鳥が来ないので、フンで汚れる事がありません。
偶然にも、この事については20年以上も前にラジオ番組でこの研究をされた方が出て説明されていた話を覚えていました。
後に「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」でイグノーベル賞化学賞を受賞した廣瀬幸雄さんという方で、鳩がとまらない理由は銅の融点を下げる為に使われるヒ素や鉛の量が一般的な銅像に比べると5倍にもなっている事が原因のようです。
しかし、何故ヒ素の含有の多い事に鳥の忌避効果があるのかまでは未だに解明されていないようでした。

園内を流れる水は、もともとは金沢城の防火用水として犀川の10Km程上流から引かれた辰巳用水を利用しています。
そろそろ昼飯時なので、近江町市場で豪華海鮮料理を!と思っていた計画とは大分違いますが、近江町市場の評判がイマイチなので、園内の食堂で済ませました。
腹も膨れたところで、兼六園の向かいにある金沢城公園に向かいます。

金沢城公園

金沢城石川門
重厚な鉄版で覆われた石川門。

石川門から城内に入ります。
城内はかなり広いので、一部を見るしかありません。その中でも一番見たかったのが一般的には「多聞櫓」と呼ばれる五十間長屋で、これは武器や什器等の倉庫でした。内部に北の守り神となる多聞天を置いたことから多門櫓と呼ばれました。

橋爪門続櫓
五十間長屋
菱櫓

建物は平成13年に菱櫓や橋爪門続櫓などと一緒に復元されたものです。
五十間長屋の見事な石積を見ながら橋爪門を潜って進んだ右手が二の丸のあった場所になります。

石垣の博物館なる金沢城
百万石の威容や今に

このまま城内に留まったら駅に着くのが遅くなってしまいそうなので、二の丸跡から下り、玉泉院丸庭園を上から見ながら鼠多門から城外に出ました。金沢城公園にはまだまだ見るべきものは沢山ありそうです。また何時か来ることがあったらその時にはゆっくりと見て回りたいものです。

五十間長屋から続く橋爪門続櫓
玉泉院丸庭園

尾山神社

鼠多門から出たところに前田利家と側室である松を祭神とする尾山神社があります。
参拝客は自分達のような高齢者は余り見えないようで、圧倒的に若い人達です。
翌日が金沢大学の入試日になっていたので、合格の願掛けに訪れていた受験生も多かったのかもしれません。

前田利家と松を祭神とする尾山神社拝殿。

尾山神社の歴史はそれほど古いものではなく、利家が薨去した時、二代利長は守護神としていた物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀しました。これが卯辰八幡宮で、その後明治6年に現在の地に社殿は新築されてこれが尾山神社となりました。
そして、平成10年に正室であるお松の方も合祀されています。

神門

神門
三層になっている神門

明治8年に建てられたという神門を潜って通りに出ました。
この神門も変わった造りで、和漢洋の三様式を混用した異色の門として全国に知られています。第一層には戸室石を用いてあり、第三層は四面五彩のギヤマン張りで、もとは御神灯が点灯され、その放つ光は金沢の街を照らし、また遠く日本海を航行する船の目標となりました。第三層目に設置された避雷針は、日本最古のものと言われています。

金沢駅ビルで買い物

バスが通る通りまで出て、金沢駅に戻ってきました。
列車の時間までには1時間以上もあるので、土産の買い出しです。金沢駅ビルの中にある金沢百番街(あんと)には、みやげ、食事、ショッピング等、沢山の店が揃っていて、土産の調達には困りません。
美味しそうなお菓子類が多く、見ているだけで、買いたくなります。これではキリが無いのである程度買ったところで自重。
同行の7人で一体幾らの買い物をしたのでしょう。

特急しらさぎ

午後2時48分金沢発名古屋行きの特急「しらさぎ」

清水までの切符は金沢駅に到着した時に購入してあるので後は列車が来たら乗るだけです。
予定の1本前の特急しらさぎ12号に乗ることが出来ました。金沢が始発駅なので勿論座る事が出来ました。
14:48 金沢駅発。
この特急列車は名古屋行きなので、そのまま乗っていれば名古屋まで乗り換えなしで行けますが、米原で東海道新幹線に乗り換え、ひかりで名古屋に向かった方が清水への到着時間はかなり早くなりそうでした。

少しでも早く帰ることが出来るに越したことはありません。
米原で東海道新幹線ひかりに乗り換え、名古屋で静岡に停まるひかりに乗り換え、18:56 には清水駅に帰ってきました。
4時間で金沢から帰ってこれるのですから、日本も狭くなったものです。

自分にとっては、十数年ぶりの長距離鉄道旅行になりました。いかにも旅行をしている気分には浸ることが出来ましたが、鈍行のロングシートでは結構疲れます。それに、腰が痛くなり苦労しました。
グリーン車などを使えば楽になるのでしょうが、今度は旅費が!
また何時か、今度は腰も万全な状態で鉄道旅に出掛けてみたいと思います。

動画も公開していますが、プライバシー保護の為にID とパスワードを設定してあります。
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