坂東観音巡礼第7回

坂東巡礼第7回

今回で全てを回ってしまう予定でしたが、詳細を検討してみたら少し無理があるようでした。少し無理しても、というのならば廻れない事もないようでしたが、最後くらいはノンビリと観光しながら廻ろうと言う事になりました。
思い返してみれば、最初の頃は近場だったので、時間的な余裕も出来てお寺ばかりではなく巡礼路近くにある観光地に寄ったりも出来たのですが、回を進める程遠くになっていき、お寺を廻るだけで精一杯になっていました。
と言う事で今回は一泊二日でノンビリ、栃木県の3寺と茨城県の2寺を廻ってくる事になりました。
泊まりは奥日光の湯元温泉で、ここで坂東巡礼始まって以来の一泊旅行となりました。

今回も一秀翁に俳句を頂いていますので掲載させて頂きます。句数はこれまでに何句になったのでしょう。

嫌われし十薬今日は愛らしく 一秀

第17番 出流山 満願寺(出流観音)

満願寺の風格ある山門

清水を前回と同じ4時に出発。かなり早い時間ですが、後々時間に追われる事になるよりは良いでしょう。
海老名からは最近よく通る圏央道に入って久喜JCTで東北自動車道に入り北上し栃木インターで降りました。そこからは北西に暫く進みます。

満願寺近くになると蕎麦屋さんが沢山ありましたがこの辺りは「出流そば」と呼ばれる蕎麦の産地のようです。
それにしても、こんなに沢山の蕎麦屋があって仕事になるのか?と思うほどの蕎麦の里です。
予定よりはかなり先行出来て、8:00には今回最初の訪問地である満願寺に到着しました。早いといっても清水を出発して既に4時間が経っています。日本が狭くなったとは言え、やはり栃木は清水からは遠い地です。
寺も何処にあるのか分かり難かったのですが、ようやく境内に入れました。
境内は誰も居ない様子で静かなもの。それに参拝時間も8:30からとなっているようです。

本堂

本堂の参詣などは時間外でも問題はないようでした。
歴史は古く、今から1200余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、天平神護元年(765年)日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山されたと伝わります。

十一面千手観音

本堂(大御堂)は、後小松天皇の応安元年(1368)、足利義満公の寄進によって、観音堂として建立されましたが、元文五年(1740)の大火により、堂塔はことごとく焼失し山門を残すだけにとなりました。

組み木に施された見事な龍の彫刻
一体いくつの龍が彫られているのか。

現在の大御堂は明和元年(1764)に再建されており、それ程古い建物ではありません。。
大御堂の本尊は弘法大師作と伝わる千手観世音菩薩となっています。
本堂から1200mほど登ると懸け造りの奥の院に行けるようですが、今回は諦めました。最近までは2019年の台風による被害で入山できなかったようです。しかしこれも今年に入って再開されているようでした。

誰も居ないようなので御朱印も誰か来るまで待つしかないようです。これだけの大きなお寺に誰も居ず、本堂も開放しっぱなしというのも驚きです。
8:30になり受付が開き、ようやく御朱印を頂けました。

第19番 天開山 大谷寺(大谷観音)

定休日で門はしっかり閉じていました。

満願寺から1時間ほどで大谷寺に到着しました。十数年前に一度訪れて以来の大谷寺です。
ところが山門は閉まっていて、案内には「定休日:火曜日」の文字が!
そりゃないだろ、静岡から来てんだよ!
誰かいたら文句の一つも言ってやりたくなりますが誰も居ないようでした。

木曜が休観日とはおや 大谷木曜が休観日とはおや 大谷

大谷石の下にすっぽりと嵌まりこんでいます。

このすぐ近くには大谷石の採石場に作られた巨大な観音像があったはずなのに、何処にあるのか?
一度来ていると言うのに.....
もたもたしていたら近くに居た若い職人さんが隠れ入り口を教えてくれました。
ようやく観音像の前に出たら、大谷石に刻まれた観音像はさすがに大きいです。
この観音像は平和観音と名付けられ、太平洋戦争の戦死者を追悼するために終戦後間もない昭和23年から6年かけて大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた高さ26.93メートルの石造観音菩薩立像です。

大谷石の採石場跡に作られた手掘りの平和観音

横に設けられた階段を登れば胸の横まで上がって行け、そこから見降ろすかつての大谷石採石場跡はかなり広いです。
大谷石と言えば以前はブロックの代わりに大谷石を積んだ洒落た塀の家がかなり見受けられましたが、地震対策ということなのか、最近では生け垣の方が主流になってしまったようです。
現在の大谷石の需要はどのようなものなのでしょう?
定休日では仕方ないので、ここは次回に再訪する事にして先に進みます。

中禅寺湖へ

旧日光街道杉並木

日光方面に行くのなら通り道になるので、旧日光街道の杉並木を通ってみました。
これは当時の杉の木がそのまま残っているのでしょう。東海道は松並木でしたが日光街道は杉になったおかげで、未だに残っています。
明治時代になり、国道を新設する時この辺りは東海道と違って余地が十分にあった事で、生き延びたと言う事でもあるのでしょうが、松より杉の方が長寿命でもあるのでしょう。
スギ花粉症が始めて確認されたのはこの杉並木の通る今市だったようで、スギ花粉症は徳川の残した悪しき遺産の筆頭とも言えるのかもしれません。
日光東照宮前を過ぎ、中禅寺湖へのイロハ坂を登っていき、登り詰める直前にある明智平へ上がるロープウェイに乗ってみようと思い寄ってみました。でも山の上を見ると霧に包まれており、とても遠望も望めそうもないのでこれは諦めました。
これまで中禅寺湖へは来ても明智平に上がった事は無かったので、今回は是非!と思っていたのに残念でした。
しかし、何故に明智平なのか?
ここでまたまた、あの「南光坊天海」=「明智光秀」説が頭をもたげてきます。

天海=光秀 説の真相は?

日光東照宮に隣接する輪王寺は天海が復興した寺で、西国巡礼でも廻った亀岡の穴太寺が焼けてしまった時には輪王寺から現在の仁王門が贈られたといいます。
光秀が亀岡城築城の際、穴太寺は用材として堂宇を壊されて流用され、また秀吉との間に起こった戦火にも巻き込まれて散々な目に遭ってきています。
こうした過去の謝罪の意味もあり、そのような縁から仁王門が穴太寺に贈られた?とも考えられます。
また、何故日光のこの地に明智平という地名があるのか?
これは天海が名付けたとされているようで、益々天海=光秀説が信憑性を帯びてきます。
となると、あの「本能寺の変」の首謀者は家康という事になってしまうのですが......
そろそろ昼飯の時間です。中禅寺湖畔で探しても有りそうで無いのが飲食店です。場所を変えれば洒落た店もあるのでしょうが、巡礼の身でそんな贅沢は出来ません。
やっと見つけた店でようやく昼飯にありつけました。
腹も膨れたところで、中禅寺湖の向こうに見える中禅寺に向かいます。

第18番 日光山 中禅寺(立木観音)

中禅寺山門。前は中禅寺湖です。

中禅寺湖の湖畔は明治時代に各国の大使館が別荘を建てたと言うだけに、日本とは違うヨーロッパの雰囲気を感じるような景色が広がっています。

沙羅の花ガラシャ辞世の句の如に

湖畔にある中禅寺に到着し、赤い仁王門を潜って境内に入ります。表側に仁王像を祀るこの門の裏側には風神と雷神が祀られていました。表の仁王像よりこちらの風神と雷神の方が出来も良く迫力は満天です。

雷神
風神

中禅寺は輪王寺の別院ともなっているようにどちらも勝道上人により建立されています。この寺の本尊は勝道上人が中禅寺湖上に見た千手観音の姿を桂の立木に彫ったと伝えられる観音像で、現在も地に根をはっているといいますが、これは確認は出来ませんでした。

五大堂からの眺め。

本堂の裏手高台に建つ五大堂には五大明王が安置され、そこから見る中禅寺湖を望む景色は湖の向こうに男体山、そして遙か西には日光白根山などがくっきりと見え、まさに絶景です。
秋の紅葉時には見事に色付くのでしょうが、その時は見事な渋滞も生まれるのでしょう。

中禅寺湖展望台からの中禅寺湖。

竜頭の滝

出来れば秋来たかった「竜頭の滝」

これで今日回る予定の札所は終わりで、あとは奥日光湯元のホテルに向かうだけです。
戦場ヶ原の手前にある竜頭の滝に寄ってみました。
この滝は何回見えても良いです。秋ならば最高の景色になったのでしょうが、仕方有りません。しかしここも人出は多く、一見コロナは終息したかのような雰囲気です。
滝の上までヒーヒーしながら登ってみました。
滝の上流に行ける滝というのも珍しいのですが、下はほぼ一枚岩で、その上を滑るように水が流れています。ここも紅葉なら.....
まぁ、仕方ありません。

巡礼の合間清めの滝めぐり

湯滝

上の湯の湖から直接流れ落ちる湯滝

時間は十分あるので戦場ヶ原の先、湯元温泉手前にある湯滝にも寄ってみました。この滝は湯の湖から直接流れ落ちている滝で、大きな一枚岩を流れ落ちています。
梅雨時と言う事もあり、また雪解けの水も多く、迫力ある滝を見る事が出来ました。

奥日光湯元温泉

3寺過ぎには湯元のホテルに着いてしまいました。こんなに早くなるようなら、もう一寺寄って来ても良かったとも思いますが、事前に調べて中では少し無理があり、これは諦めました。
湯元温泉の源泉は変わった雰囲気があるので、周りを散策してからチェックインする事にしました。
湯の湖湖畔から山の方に向かうと、突き当たりにあるのが「温泉寺」でここは先ほどの中禅寺と同じように勝道上人により建立され、ここもまた輪王寺の別院となっています。
この寺が珍しいのは寺内に温泉がある事で、昔は日光奉行の許可が無くては入る事は出来なかった温泉寺の温泉も今では誰でも入る事が出来るようになりました。

木道に巡る湯元やほととぎす

湯元温泉源泉

源泉

温泉寺の東に広がるのが「湯の平湿原」でその一角で湯元温泉の源泉が湧き出ています。小さな小屋が幾つか並び、この小屋の中にそれぞれ源泉があるようです。その周りでもアチコチでお湯が涌いていて、源泉にこれだけ近づけるところも珍しいです。
以前来たのは秋の紅葉時で雨も降っていたので周りは湯気で白く靄っていて、良い雰囲気だったのですが、夏のこの時期では白く見えるのは源泉の小屋の周りくらいで寒い時とは大分雰囲気も違い、チョットがっかり!。

亀の井ホテル

亀の井ホテル

今日止まる亀の井ホテルは4月にオープンしたばかりのホテルで、以前はリゾートマンションだったようです。湯元温泉の宿泊費は結構高いのですが、ここはリーズナブルで、食事もバイキング形式とはいえ、値段を考えたらまぁまぁの食事でした。

2日目

今日は北へ向かい、坂東札所のなかでは最北となり、最大の難所としても知られる日輪寺が最初の目的地です。
湯元温泉からは遠く、距離は約150Kmもありますから、時間も掛かります。順調に進んだものの、途中からは林道になり、やっと通れる程の狭い道になりました。対向車が来たらすれ違いなどとても出来ませんからどちらかがずっとバックする事になります。
ヒヤヒヤものの狭い林道を抜けて県道へ出たらようやく道幅も少しは広くなりました。峠を越えて下りだしたら、左・日輪寺の標識がありましたが、これはまたさっきの道のようにヤバそう。ここはパスして、少ししたで県道28号線から分岐している県道377号線を上がる事にしました。
かなり急傾斜の道路を上がっていくとようやく日輪寺の標識が出てきました。あまり広くも無い駐車場に車を入れると既に先客が居ました。
一組は湯河原から来たご夫婦で、どうやら自分たちはパスした方の道を上がってきたらしく、随分と怖い思いをしたようでした。ルート選択は自分たちの方が正解だったようです。
もう一人は大きなバイクで来ていた方で、こちらは狭い道も楽しいツーリングだったでしょう。

第21番 八溝山 日輪寺(八溝山)

日輪寺本堂。赤が緑に映えています。

何とも凄いところにある札所です。標高は830m近くありますから、道路の無かった時代はさぞかし難所の21番札所だったのでしょう。

松蝉の声揃ひたる無住寺へ

役小角の創建で、大同2年(807)空海が再興したと伝えられています。
昔から「八溝やみぞ知らずの偽坂東」という言葉があり、これは坂東三十三ヵ所の中でも難所であるために省略する人が多く、八溝山は登るのが大変なので日輪寺の観音様を遠くから拝む巡礼者のことを「八溝やみぞ知らずの偽坂東」と揶揄した言葉。

再建されるまで本尊が仮安置されていた仮本堂。

明治時代に本尊以外を全て火災で失ってしまいましたが、その後1973年に現在の本堂が再建されています。
紅白が鮮やかな建物が新緑の中で映えますが、コンクリート製の本堂ではそれ程歴史の重みを感じる事は出来ません。しかし、この山奥で火災など出しても消火出来る事は殆ど期待できないでしょうから、耐火と言う事を考えてもコンクリート製にするしか無かったのでしょう。
本堂横に、再建されるまで本尊を保存していたという建物がありました。これは見るからに古そうですが、本堂を失った明治時代の築ですから見た目ほど古い建物ではないようです。

紫陽花や果ては何色我が人生

袋田の滝

水量は丁度良いのかも。

八溝山を下山すると袋田の滝の近くなので、ここに寄っていく時間はありそうです。それにそろそろ昼飯時で、何処かで旨い物を食べたいです。しかし茨城で美味しい物って何だろうか?
思いつきませんが、昼飯は蕎麦になるのでしょう。
でも、食事前に滝まで行ってみる事にしました。もう20年ほど前に一度来た事はあったのですが、滝その記憶はあるものの、周りの状況は全く覚えていませんでした。
前に来た時はそれ程凄い滝といった記憶は無かったのですが、久々に見た袋田の滝は、おーー、良いじゃん!

以前来た時は無かった展望台からの滝

以前には無かった展望台も出来ていて、エレベーターで上がる事が出来ました。
滝の前の展望台からは下から見上げるだけで、全4段になる滝の全貌は見えませんが、上の展望台まで上がると滝の全体が見え、なかなかの絶景です。
雪の時や紅葉の時は超絶景が現れるのでしょう。
車に戻る途中で昼食になりましたが、やはり蕎麦でした。

坂東や波打つ植田果てしなく

第22番 妙福山 佐竹寺(北向観音)

佐竹寺山門

今朝、日輪寺であった御夫婦が昨日佐竹寺を参詣したのは刻限を15分ほど過ぎた頃だったそうですが、そこに住職がいたのにも係わらず、御朱印は時間切れで頂けなかったと憤慨していました。
遠くから来ているのですから何とか融通してほしいものです。ましてそこに居たというのですから尚更の事です。
その程度の親切心も無い寺の御朱印なんてあまり有りがたさも感じませんが、33のセットなので何とか集めたいというこちらの弱みも.......
これまでもかなりの数の神社仏閣を訪れていますが、境内の写真撮影禁止は初めての事でした。
本堂の茅葺きはかなり傷んできていて、雨漏りもしている様子です。修理改修の募金なども募っているようです。しかし寄付を集める前に、すべき事がありそうです。
寺自体の歴史は古く立派なものなのでしょうが、何とも......

これで残る札所は5ヶ所

2017年の11月にスタートした坂東観音巡礼も既に足掛け6年目になり(個人的には2015年からなので足掛け8年目)最初の予定よりかなり時間が掛かってしまっています。
全ての原因はコロナウィルスによるものなのですが、現在の感染者数を見てみると、自粛が始まった頃に較べれば桁違いの新規感染者が出ています。
しかし、今回出掛けてみたら、どこも人手はそこそこあり、世の中は既にコロナは終息したかのような雰囲気です。
しかし、このブログを書いている今、コロナの新規感染者は何度目かの急激な増え方で、1週間前の倍という数字が出ています。
あまり酷くならないうちに茨城県に残る3寺と、今回定休日で御朱印を頂けなかった大谷寺は廻ってしまおうと今月末(7月末)の第8回目を計画中です。

巡礼のご利益なりや五月晴
但しプライバシー保護の為、オープンな物ではありません。

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