板東観音巡礼第6回

板東巡礼再開

昨年秋にようやく復活したと思った板東巡礼もその後のコロナ感染者増加でまたまた出かけられなくなってしまっていました。
年明けから今年は寒い日が続いてきましたが、春めいてきた3月頃からウィズ・コロナの風潮が一般化し出しはじめ、新規感染者が一日4万人以上出ている中でも出掛ける人が多くなってきました。

春暁やコロナ禍故の巡礼に  一秀

そんな状況ならば板東巡礼も再開してはどうか?という事になり、サクラも早々と葉桜と変わった4月21日(木)、千葉県に残っていた3寺を参詣し、これで残りは10寺になりました。

久しぶりの首都高

首都高速を抜け千葉県に入りました。

混雑は避けたいので、少し早いのですが混雑前の首都高速を抜けようと朝4時に清水を出発。
最近では圏央道も出来た事から、首都高速を通るのは何年ぶりかの事で、自分がここを運転して通ったのはもう20年以上も前の事になるようです。
アクアラインから千葉県に入る事も考えましたが、この日、アクアラインでは事故があり渋滞していたようです。
今回は首都高を選んで正解でした。

そんな甲斐あって、6時には首都高を抜ける事ができました。
湾岸線から京葉道路へ乗り、松が丘ICで降りれば最初の札所である千葉寺はすぐそばです。
と、思ったらなかなかお寺の駐車場に行き着けません。最初の計画を起てたときにもGoogleマップで「千葉寺」で検索しても広い範囲を示すだけで千葉寺が出てきませんでした。
早い話、千葉寺のある町名はこれもまた「千葉寺」だったのです。
「千葉寺駐車場」の標識があったので入ってみたら、どうもこれは月極契約の駐車場のようです。
地図でよく調べてみたら、このすぐ先に千葉寺専用の駐車場があるようでした。
さっきの道をもう少しだけ進んでいたら千葉寺の仁王門真ん前に出たようです。

到着してみれば広い駐車場付きの千葉寺でした。 7:35am 千葉寺に到着です。
しかし、早すぎたようで、受付は8:00からでした。境内に立つ大きな榧ノ木や大銀杏をみていれば受付時間になるでしょう。

29番 千葉寺

 

仁王門
阿形像
吽形像

千葉寺の読みは「センヨウジ」と読むようですが、地元でもセンヨウジと呼ぶ人は殆ど居ないのだとか。
境内奥に建つ本堂は残念ながら鉄筋コンクリート製になってしまっていました。
1950年代に行われた発掘調査では旧寺の境内は約126m四方にも及んでいたと推定され、奈良時代の瓦が出土していることから、永暦年間以前にはここに大伽藍があったと考えられています。

榧ノ木

境内の榧ノ木は千葉市の保存樹木の指定を受けているくらいですから、大きい事は大きいのですが、横に立つ銀杏がもの凄い巨木で目立ってしまっているのでそれに負けてしまい、2番手の脇役になってしまっていました。

驚きの大銀杏

寺伝によれば樹齢は1300年
驚くほど長い垂れ乳(乳柱)
まだまだ樹勢は旺盛です

この大銀杏には銀杏の巨木に出来る乳柱がかなりの数出ていました。
驚くのはその長さです。
これまでにも乳柱の出ている銀杏の木は幾つか見てきましたが、こんなに長いのは初めです。

名刹や緑湛えし大銀杏

この大銀杏は千葉寺の創建、和銅2年(709)の翌年に植えられたと伝わり、鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きく高さ30m、目通り幹囲は8mもあります。寺伝通りならば樹齢は1300年を越えている事になります。
注)鶴岡八幡宮の大銀杏は2010年(平成22年)3月10日未明、強風により倒れてしまいました。

銀杏の名?

今回、銀杏の事を調べていて初めて知ったのは銀杏の別名。公孫樹(コウソンジュ)または鴨脚樹(ヤーチアオシュー)などの呼び名があるようで、鴨脚樹は字の如く、銀杏の葉の形がアヒルの足のような事から付けられた名前のようで、公孫樹の方は孫の代まで経なければ大木にならないのでこう呼ばれているようです。
日本語のイチョウの語源は鴨脚樹の方で、ヤーチアオシュー → ヤーチャオ →
イーチャオと訛っていき、後にイチョウとなったといわれています。

銀杏の木は樹皮が厚いため火にも強い特性をもちます。
そうした特性に着目し、大火の多かった江戸時代には、火事による延焼を防ぐため火避地にも植えられたほどです。そういえば、神社やお寺の境内をはじめ、街路樹にイチョウは多く植えられていますが、これにもそれなりの理由があったようです。

語り部の如き古刹の大銀杏
この時期ボタンが満開です。
本殿の朱色とボタンの赤でかなり賑やかしい境内です。
キリシマツツジも満開。

丁度訪れたこの時期、境内のボタンの花が満開を迎えていて少しだけ華やかな装いをみせていまいた。
御朱印を頂き、先を急ぎます。

27番 圓福寺

今日は今のところは時間に余裕が出来そうです。最後の龍正院を廻ったところで、もし時間に余裕があったら神奈川に残ってしまっている弘明寺を廻っていけるかも?
まだ先の事は分かりません。 まずは銚子の圓福寺を目指します。
房総半島の一番太くなっている付け根の部分を横断するので、銚子まではかなりの距離があります。
予定では約80Km、時間は2時間となっていましたが、実際の到着時間も計画通り、大凡2時間後の10:30 には到着しました。
しかし、この圓福寺でもまた駐車場の場所が分からず一苦労です。と言うのも車のナビでセットした圓福寺とはかなり場所のズレがあり、いったいこれはどういう事なのか?

と悩むことしきり。

飯沼観音と圓福寺は場所が違った!

飯沼観音の山門

やっと「飯沼観音」の裏側にある駐車場を見つけて駐車できました。

境内に入り、土産屋さんのおばさんに聞いてみたところ、寺名である圓福寺と今自分たちがいる飯山観音は少し離れているらしく、御朱印を貰う為には圓福寺の方に行かなくてはならないようです。

かつて圓福寺は広大な境内を有しており、その当時は飯沼観音も圓福寺も同じ境内にあったといいますから、随分と大きなお寺だったようです。

飯沼観音から圓福寺へ移動

こちらは圓福寺本堂

圓福寺はそれ程遠くは無いようなので歩いて行く事にしました。 5分ほどで到着。
何の特徴も無い建物ですが境内は広いです。
ここで御朱印を頂き、飯沼観音の方に戻りました。

再び飯沼観音へ

飯沼観音
前に鎮座する大仏さん
五重塔

こちらには朱色の本堂と五重塔、それに大仏像もあり圓福寺と較べるとかなり写真映えする境内です。
五重塔は千葉県唯一の五重塔で全高は33.55メートル。初層内には薬師如来が祀られています。
大仏は正徳元年(1711年)に建てられ、高さ約5.4メートル。第二次世界大戦時に空襲に遭い、膝や背中の部分に銃弾のあとが残っているようですが、これは帰ってきてから知りました。

巡礼や今日ひたすらに願ひしは世界平和とコロナ終息
背中に大戦時に受けた銃痕の残る大仏さん
銚子といえば「醤油」の町。本堂前に醤油の一斗缶。
五重塔は写真映えします。

本堂は少し上にあるので石段を登り回廊に出ると銚子の町が見渡せます。しかし、方向が違うのか?海は見えていませんでした。近くには利根川の河口もあるはずなのですが、それも何処にあるのか?

ああ、犬吠埼!

折角銚子まで来たので犬吠埼まで行ってみたかったのですが、腹も減ってきて、そちらの方が優先度も高かったようです。
ところが帰ってきてから地図を見てみたら、圓福寺から犬吠埼までは車で僅か10分の距離。それにショッピングモール、地元ビール醸造所、レストランなど何でもありで、食事も摂れるのならこちらに行ったほうが良かったのかも?
やはり、事前の調査不足でした。
改めて犬吠埼に行くなんて、これから先無いのでしょう。
そんな事とは知らず、犬吠埼はパスして三つ目の龍正院を目指します。
スタートしてすぐに利根川を渡り茨城県に入りました。河口に近いところですから一見海に見えてしまいます。

飯屋で一苦労

飯屋を探しながら走り、ようやく見つけた中華料理店に入りました。
ところが、この中華店でも皆さん一苦労。
と言うのもラーメンとチャーハン、餃子がセットになったランチを頼んだところ、ラーメン、チャーハンはそれぞれがほぼ一人前の量です。これを完食出来たのは?
腹が思いっきり膨らんだところで、成田の龍正院目指してリスタートです。
今いるこの場所からなら、茨城県の今満開を迎えているネモフィラが咲き誇るひたち海浜公園に行けるかも?と思い急遽調べてみましたが、思っていた以上に距離があり、片道2時間も掛かるようです。
仕方なし、これは今回はパスです。
このところ、遠くに来ているので、なかなか観光を絡める時間的な余裕が出来ません。しかし、本来の目的は観音巡礼なのですから......。
まぁ、仕方ないでしょう。

龍正院までは70Km程の距離ですから一時間半程で到着出来るはずです。
成田に近づくと成田空港を発着する飛行機がかなり低いところを飛んでいます。すでに空港の近くまで来ているのでしょう。

28番 龍正院

 

龍正院山門

13:30pm 本日最後の札所、龍正院に到着です。
山門(仁王門)は茅葺きでいい雰囲気です。文亀年間(1501~1504)の再建といいますから、かなり古い建造ですがそれ程の傷みを感じません。

古刹上空を大型ジェット旅客機が飛ぶ

成田空港へランディング中の旅客機
龍正院指を詰めたる仁王尊

そんな歴史ある古い門の上空を大きなジェット旅客機が飛んでいく様は清水ではなかなかお目に掛かれない景色です。
随分ゆっくりと飛んでいるようにも見え、よくもあんなゆっくりで浮いているものだと不思議な気持ちになります。
ゆっくりとは言っても百数十キロは出ているのでしょうが.....

仁王門

茅葺きの山門は絵になります。
これも仁王像なのでしょうか?

巨大な飛行機が仁王門の上を過ぎていきます。
この仁王門は国の重文指定を受けている貴重なものです。
仁王門を潜ると正面に見えるのは県の有形文化財となっている本堂です。

木彫りの馬

本堂外陣

本堂正面を上がると、左右の軒下近くに二頭の木彫りの馬が奉納されています。もとは青と白の馬であったというこの馬は、左甚五郎の作ともいわれているようですが、まぁこれはよくある伝の類いでしょう。
寺伝によれば、その昔この馬が夜な夜なここを抜け出し、近くの源田野に草を食べに行き、田畑を荒らすばかりか、地元の飼い馬と喧嘩したりしたため、困った里人が住職に訴えたところ、住職は木彫りの馬を現在の高い場所に上げて釘で打ち付けてしまいました。それ以来、里の被害はなくなったといいます。
こんな伝説の残る馬の彫刻なのですが、今回確認は出来ませんでした。

芭蕉句碑

芭蕉の句碑

境内には芭蕉の句碑も残されており 観音のいらかみやりつ華の雲 芭蕉

特にこの地を詠んだ句ではなく、深川で病床にあった芭蕉が、浅草寺の屋根を望んで詠んだものといいます。その当時は深川から浅草寺の屋根が見えたようです。

銅造宝篋印塔

傷みは全く無いようです。

その向かいに建つのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれるもので、分かり易くいえば仏塔の一種なのだとか。石造りの物が多い中で、龍正院の宝篋印塔は銅製という珍しいもので、これは県の重要文化財に指定されています。製作年は1718年とそれほど古い物では無いのですが、美術的な価値評価により重文指定を受けたようです。

本堂横に並んでいた石仏の一体。歴史を感じる如意輪観音です。

さて、帰りましょう

さて、時間は2時になろうとしています。
どうやら、帰りのついでに弘明寺に寄っていくのは無理なようです。
今回はこれで清水に帰る事にしました。
さて、都内を抜けていくか、それとも圏央道を大回りして帰るか。
やはり都内の渋滞を抜けていくより圏央道をノンビリと帰る方が良さそうです。少し遠回りにはなりますが、それでも早めの時間に清水には戻れるでしょう。

牛久大仏

帰路途中で車の正面に突然巨大な、あの牛久大仏が見えました。
思えばここに来たのは運慶展の時ですから2017年の秋の事。もう4年半も過去の事になってしまいました。
でも、皆さん元気で再び牛久大仏を見る事が出来たのですから、これも牛久の弥勒大仏の御利益かもしれません。

南無阿弥陀仏

これで90観音を参詣し100観音満願まで残りは10寺になりました。

春霞牛久大仏浮かぬ気に

次回は日帰りという訳にもいかないようで、一泊二日で栃木県と茨城県の8寺を廻って来るしかなさそうです

板東巡礼第6回動画

下は今回の動画へのリンクですが、個人のプライバシー問題もあるので、IDとパスワードが必要です。と言う事で一般公開されているものではありません。

板東観音巡礼第6回 動画はこちら

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