伊豆88遍路 第9回

伊豆高原ー稲取 標高グラフ

今年最後の遍路旅は伊豆高原〜稲取

今年3月に始まった伊豆88遍路てくてく旅も今回で既に9回目、日数にして10日目になりました。これまでに歩いた総距離は地図上で約170Km 。ペースは17Km/Day になります。

東海道を歩いた時の一日の最低距離は江尻〜鞠子間の17Kmが一番短い距離でしたから、10年経って脚力、体力も大分落ちてしまったようです。

今年最後の遍路は伊豆急の伊豆高原駅から伊豆稲取駅までの約19Km。今回もアップダウンがかなりあるようで、いつもながら、早々簡単にゴールは出来そうもありません。

8:45am 伊豆高原駅スタート

伊豆高原駅をスタート

清水から結構時間も交通費も掛かるようになりました。
清水駅6:48発の電車でもスタートは約2時間後になってしまいました。

20日ぶりの伊豆高原駅に降り立ち、今年最後の遍路旅のスタートです。しかし、地図でコースを確認して歩き始めたものの、そこに有るべき道がありません。
こっちだろうと進んだ道も林の中へ消えていました。
想像するに、どうやら事前に道と思ったコースは、実は駅ビルの中を進んでいるようです。先ほど出てきた駅ビルに再び入って、逆方向に進んだら、無事駅の南口に出る事が出来、GPSでのポジションもコースのライン上になりました。
これでようやく9回目遍路旅のスタートを切る事が出来ました。

伊豆高原駅南口に出ました。

9:20am 28番 大江院

楠の巨木

一旦国道に出て、少し南に進んだ所で、山側に入り暫くは緩い坂道を登ります。駅から30分チョット、標高にして40m程上がると28番札所の大江院に到着です。

かつては真言宗の寺院で、正式名称は圓光庵蓮台寺、俗称が大江庵でした。 1540(天文9)年に、曹洞宗に改宗、名も伊雄山大江院と改称しています。

この寺で1912(明治45)年の日付が記された「伊豆八十八ヶ所納経帳」が発見されたことで、巡礼地の掘り起こしが始まり、霊場復活のきっかけになりました。

大江院入り口
本堂
山号は「伊雄山」
入り口に並ぶ石仏はかなり古いもののようです。
反対側にあるのは六地蔵

入り口には六地蔵が並び、参詣者を迎えています。境内も木造の本堂ということで落ち着いた雰囲気です。やはり寺院は木造でなければ!! この大江院に何と! あの有名なフリーダイビングのレジェンドである、グランブルーのジャック・マイヨールが参詣しているようで、彼は1970年に伊豆海洋公園で記録を更新した際に、「大江院」で禅を学んだそうです。 これはチョット驚き! 御朱印も無事に頂け、先を急ぎます。

9:30am 八幡宮来宮神社

鳥居は金属製でした。
鬱蒼とした杉の奥に社殿がありました。
苔むした社殿までの石段はかなりの歴史を感じるものです。

大江院を出てすぐの所に八幡宮がありました。名前の通り、八幡宮の祭神である応神天皇と、木宮神社の祭神である伊波久良和気命を合祀している神社です。

神社も立派そうなので、石段を登り境内に上がってみました。社殿はまだ先で、その手前には立派な石段の参道があり、この石段の幅も広く、苔むした石段は歴史の重さも感じます。廻りは杉の巨木で鬱蒼としており、これだけの巨木に囲まれているのですから、神社の歴史もかなり古いものなのでしょう。
現在の社殿は江戸期のもので、県の指定有形文化財になっています。

10:02am 源頼朝の馬蹄石

どれが馬蹄石なのか?

ある時、国道135号線の旧道、下田街道(東浦路)に面する祠の前に大きな石が露出したそうです。その石に、馬の足跡が刻まれていました。その馬の足跡が、源頼朝の愛馬「生月」のものだと伝えられています。

日本地図を最初に作成した「伊能忠敬」の測量隊がこの街道を通った時に残した測量日誌にも「源頼朝馬蹄石」と記されているのだそうです。

しかし、源頼朝の愛馬「生月」は幼いころ母馬を亡くして探している内に脚が鍛えられて駿馬となり、跳躍した時にその足跡が残らなかったという伝説があるそうで、そうなると、その「生月」の足跡があるというのも合点がいかない話になってしまいます。

11:28am 29番 龍豊院

気温はウォーキングに最適、暑くもなく寒くも無く
沖に伊豆大島が大きく見えています。
赤沢温泉
龍豊院に到着

遍路路は国道よりかなり高い所を通っているので、綺麗な海岸沿いの景色を見ながら龍豊院を目指します。伊豆大川駅を過ぎた所で、左に下る道を行くと、今日2番目の札所、龍豊院がありました。
ここも境内入り口にはかなり年代物の枝垂れサクラがあり、その下には赤い毛糸の帽子を被り、涎掛けを掛けた六地蔵が並んでいます。

枝垂桜は樹齢400年といい、これは昭和54年に東伊豆町の文化財に指定されています。しかし、傷みも酷く、この先どれ程持ち堪えるのか心配になる程でした。

何処のお寺の本堂も、大きさ作りともよく似ています。
お決まりの龍の彫刻。
堂内はどこも似たような物。龍の青い襖絵はプリントとのことでしたが、なかなか良い雰囲気の襖絵でした。

本堂は?と見ると、これもかなり立派な本堂で、入り口上の龍の彫刻は見事な作りです。

襖絵は青い龍を描いた立派なものだったので、住職にそんな話をしたら、プリントなのだとか。
聞かない方がよかった.....

六地蔵もどこの札所にもあるような.....
大きな石塔は金比羅山を祀っているようでした。

かなり歩いて来ましたが、まだ8Kmにも満たない距離で、半分も来ていません。
さて、頑張って歩かねば!!

11:55am ぼなき石

ぼやき石がなまって「ぼなき石」

龍豊院から20分程進んだところに「ぼなき石」と書かれた看板がありました。
ぼなき石とは何ぞや?

街道からは少し外れ小径に入ってみると、何やら四角に切り取った石があります。説明を読んで納得。

説明によれば、江戸城築城の時、石垣に使う献上石が大きすぎて海岸まで運べず、そのまま放置された石のようです。村人達はこの石を「ぼやき石(ぼなき石)」と読んだと云う事でした。
大きな石ですが、綺麗に四角に割られていました。

自性院への登り道

下に北川温泉が見えています。
北川から自性院への急な登りが始まりました。

北川温泉を左下に見て進むと右に登って行く道がありました。これが次の札所「30番 自性院」に続く遍路路です。登りはじめは物凄い急坂で、一体これがどれ程続くのか?と不安になる程の急傾斜です。

すぐに上から降りてきた、女性二人組に合いました。
彼女たちは江戸末期、吉田松陰が下田に停泊しているペリーの艦隊に乗せて貰ってアメリカへの密入国を企てた時に通った道を歩いているとの事でした。

あれ?、吉田松陰は下田街道では無かったか?

調べてみると、下田に行く時には東海岸の東浦道と呼ばれる街道を下田まで行き、捕まって江戸に送られる時には下田街道を通って江戸まで護送されたようです。

彼女たちと暫く話し、この先の食事処情報を仕入れようとしたら、下って国道に出ないと無いとの事。事前調査では上にも2件程有るようだったけど、止めてしまったのか?

自性院までは約2Kmの急坂が続きます。
今日の最高標高点にあった、西国巡礼碑。2基が西国でした。

彼女たちと別れてからも暫くは急坂が続きました。

登り始めてから約40分、ようやく次の札所、30番 自性院に到着しました。
登りはじめからの標高差は80m程しか有りませんが、体の疲れようは数百mも上がってきたかのようです。

1:00pm 30番 自性院

やっと辿り着いた自性院。流石に疲れました。
かなの大きさのある立派な梵鐘。
今日3つめの曹道宗寺院。禅宗寺院に付きものの花頭窓。
境内全体に少しづつの高低差があります。
椿の暴風垣。椿は在来種のようで、蕾も小さな物。

ようやく辿り着いた自性院では先ほどまで法事でもやっていたようで、終わったばかりのようでした。 グッドタイミング! このお寺の場所は熱川ワニ園の裏山になるようです。 自性院の本堂も先ほどの龍豊院の本堂によく似ていて、龍の彫刻などはそっくり。寺の建て方にも時代の流行があったのかもしれません。
無事、御朱印を頂き、そこで食事を摂れる所を聞いたら、山門を出てすぐの所にあるようです。調べてきた食事処の情報にもあった茶屋のようです。

1:06pm 山桃茶屋

茶屋というので小さな店を想像していたところ、行ってみたら何とも立派な旧家を利用した蕎麦屋さんでした。
一見高級料亭風で値段が気になってしまう程の店でした。

ようやく昼食になりました。立派な店構えです!
ビールが旨い!でもここから先が心配!

店の内部は、やはり旧家を改造しただけに、柱、梁など凄いものです。テーブル天板も檜材の厚さ30cmはあろうかという凄いものでした。これは自分の家の林から切り出して作ったテーブルとの事でした。
敷地内には池もあり、蔵もあり、さぞかし昔は裕福な地主さんだったのでしょう。

蔵も池もある立派な御屋敷です。

ここからは下りになるので、いつものようにビール付きの昼食になりました。
蕎麦も見た目以上に量があったようで、ビールと蕎麦で腹一杯!!

残す札所はあと一つ。
時間と残る距離を考えると余裕でゴール出来そうですが.....

少し進んだところにあった公民館前に、江戸築城時に石垣用として切り出されたものの、運ぶ事が出来ずに残された大きな石が置かれていました。
この辺りにはこのような石があちこちにあるようです。

これも江戸城築城時に運びきれずに破棄された石垣用の石

2:58pm 31番 東泉院

何とも特徴の無いお寺です。
御朱印を書いて頂いたのは尼さんでした。
暫しの休憩です。

山桃茶屋から50分程歩いてようやく東泉院に到着です。ずっと下りだったから楽な筈なのですが、昼のビールと蕎麦で腹一杯になり、体が重くなった為に、フーフーしながらの行軍でした。

御朱印をお願いしたのは尼僧さんで、どうやらこの尼さんは結構人気の方のようです。
本尊の聖観音菩薩は役の小角の作と伝えられています。

4:38pm 宇佐美駅ゴール

伊豆大島、こんなに大きかったか!
左から利島、鵜渡根島、新島、式根島、神津島

今日最後の御朱印を東泉院で頂き、ゴールとなる稲取駅に向かいます。
しかし、国道に歩道が無く、何とも恐いのです。その先のトンネルにも歩道は無さそうなので、いつものようにトンネルは避けて旧道を行こうとしましたが、数百m進んだところで道路は藪の中に消えていました。どうやら廃道となってしまったようです。

旧道は何とか行けそうですが....
やはり廃道となっているようで、道は完全に消えていました。

無理して進めば、もしかしたら行けるのかもしれませんが、前々回の廃道と違って、道路が全く確認できません。今回は素直に諦めて、トンネルを進む事にしました。
数百m戻って、国道に戻りトンネルまで行くと、やはり歩道の無いトンネルでした。
歩道の無いトンネルを歩いて進むのは想像以上に恐いものです。約400mのトンネルを必死で歩いてようやく抜けてホット一安心。

トンネルを通るのは車ばかりじゃ無いのです。せめて歩道くらい着けてほしいものです。

仕方なし、歩道の無い国道のトンネルを進みます。恐い!!

トンネルを抜けて少し行くと、見覚えのある景色が見えてきました。
実は50年程前、ここ稲取で1週間程過ごした事があり、自分にとっては良い思い出の残る地なのです。
当時あったドライブインも消えてしまっていて、当時の思い出もうろ覚えでしかなくなってきてしまいました。

夕日でオレンジに染まる稲取の町。
あとは下っていくだけです。
畳石となっていますが、これも江戸城築城時に切り出されたものの、運びきれなかった石。

ここを過ぎればあとは稲取駅までは下り道。
途中で国道から離れ、急坂を港に向かって下りていくと、夕日に照らされた稲取の町がオレンジ色に染まってきていました。
伊豆高原駅をスタートしてから7時間50分後の4時38分、稲取駅にゴール!!

稲取駅前にあった石の運搬方法の説明展示。このようなソリに乗せて運んだようです。
ソリをこうした道具で引っ張ったようです。

稲取から清水に帰るのにも結構時間が掛かります。稲取から伊東まで行き、乗り換えて熱海まで。熱海からは東海道線で清水まで。

稲取駅での電車待ち。既に薄暗くなってきています。

清水に到着したのは稲取駅ゴールから3時間後の7:30pm になっていました。
次回からは交通手段を少し考え直す必要がありそうです。

 

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