さて、2日目。
ホテルで朝食を摂り、7:30am 善光寺に向けて篠ノ井をスタートです。街道沿いは登校の子供達が行列を作っての集団登校。道路は通勤の人達の車でかなり混雑しています。
今日も昨日と同じように街道沿いに見るべき物は少なそうで、自然に歩行スピードも上がってきます。
普段なら3Km/hくらいしか歩けないのに、この日は信号も少なく、立ち止まって見る物もないので、4Km/hを越えていました。
丹波島の渡し
そんな訳でスタートから1時間半程で犀川の「 丹波島の渡し場」まで来てしまいました。
当時は犀川の増水により船着場が幾度もかわっていました。
1873年(明治6年)「丹波島舟橋会社」が設立され渡し舟に代わり舟橋が架けられます。しかしこの舟橋は増水の度に何度も流されたと言います。
1890年(明治23年)には木造の橋が架けられています、この木造橋は二度の架け替え工事を経て1932年(昭和7年)に鉄橋に変えられました。
現在の旅人は立派な丹波島橋で犀川を渡ります。犀川はここから数キロ下流で千曲川と合流しています。
犀川の左岸に渡るとあとは長野駅に向かって一直線。ここからは2Km程で取りあえずの目的地、長野駅です。
長野駅到着!
長野駅前に如是姫像が建っています
善光寺縁起によると、昔、天竺(インド)の毘舎離国に月蓋という長者がおり、掌中の玉として大変可愛がっていた一人娘の如是姫が、あるとき流行した悪疫にかかりどんな治療をしても治りませんでした。
日頃ケチな上に、不信心で釈迦が托鉢にきた時でさえ何も差し上げなかった長者だが、娘の命を助けてくれてと涙ながらに釈迦におすがりしました。
釈迦は西に向かい南無阿弥陀仏と唱えるように諭され、長者は教えに従い一心に御名を唱えると、阿弥陀さまと弟子の観世音と大勢至の三像が西の門の上に現れ光を放ち、その光が如是姫の枕元に届くと病気は回復しました。
この像は、如是姫が病気の回復を感謝し善光寺如来に香花を捧げ礼讃している姿なのだそうです。
善光寺
予定では長野駅からは2Km近くある為、ここは路線バスで善光寺まで行く予定でしたが、皆さん余力があるようで、歩いて行く事になりました。
善光寺まで真っ直ぐ続く中央通りを北に進みます。
中央通り
善光寺まではここまでの街道とは違い、いろいろな店も並び見る物もあるので疲れも忘れます。
仁王門の手前には大門町の中程に1925年(大正14年)建築のモダンな建物が在ります、此処が善光寺宿の御本陣藤屋さん。藤井家は1776年(安永5年)から本陣を務め現在はレストラン、結婚式場の経営をしています。
仁王門
この先で善光寺仁王門に到着です。この仁王門の仁王像は右に吽形像、左に阿形像が安置されており、これは普段見慣れた配置とは逆になっています。
また、これらの仁王像は高村光雲と米原雲海による造立となっています。
仁王像の背後に置かれているのは、三宝荒神と三面大黒天(大黒天・弁財天・毘沙門天が合体した像)。
仁王像同様にこれらも高村光雲と米原雲海による造立となっています。
仁王門を抜ければ仲店通りです。
山門 (三門)
仁王門の先には三門があります。
この三門の屋根は平成19年(2007年)に修復工事がなされ、大正から昭和にかけての修理で檜皮葺きになっていた屋根が、創建当初の栩葺きに改められました。
栩葺き(とちぶき)とは聞き慣れない言葉ですが、板葺きの一種であり、この板葺きに使われる板の厚さにより杮葺き(こけらぶき、板厚2〜3mm)、木賊葺(とくさぶき、板厚4〜7mm)、栩葺(とちぶき、板厚1〜3cm)となるようです。栃の板を使っている訳では無くサワラの板が使われるようでした。
三門の楼上に上がってみました。上がるだけで500円は少し高いような気もしますが、これから来る事も無いのかもしれません、
見る事の出来る時に見ておいた方が良いだろうと、登ってみました。上から見ると、かなり高いです。これは500円払ってでも見る価値はありました。
本堂
戦国時代、甲斐の武田信玄は信濃善光寺から善光寺如来を持出し、甲府に新善光寺を建立しお祀りしました。
信玄公が没すると、織田信長公によって岐阜に迎えられます。
本能寺の変後は、信長公の次男織田信雄公により尾張の甚目寺に、豊臣秀吉公によって京都の方広寺に、徳川家康公により遠江浜松の鴨江寺に移され、そしてその後、元の信濃善光寺に戻って来ました。
余す旅路の なだらかなるを 一秀
西国巡礼の御朱印帳に御朱印を頂き、これでようやく自分の西国巡礼は完了です。
延命の湯に 今日を感謝し 一秀
中央通りのお蕎麦屋さんでまたまた蕎麦になりました。この蕎麦は旨かったです。やはり信州では蕎麦なのでしょう。
帰り道
長野駅から篠ノ井駅に戻り、ホテルから車で帰ります。でもまだまだ早すぎるようなので、一旦小淵沢で降りて、インター近くの日帰り湯「スパティオ小淵沢延命の湯」でさっぱりしました。
それでもまだ時間が余ったので、先日寄ってきた、身延町の「旧市川家」に寄り、ようやく清水に戻ってきました。
二日間とも、晴れ間もあまり出ずに居てくれたお陰で、灼熱地獄なしに済んだ事に感謝!
信濃追分駅からはおおよそ78Km。日本海までの半分を過ぎ、残り70Km程で日本海を見る事が出来ます。