坂東巡礼30番 高蔵寺〜33番 那古寺
先月、一年十ヶ月ぶりに再開した坂東観音巡礼も、年内にもう一度行こうと言う事になりました。しかし、泊まりなら幾通りかの選択肢がありますが日帰りとなると残っている中で行けるのは千葉県内くらいのもの。
そこで30番の高蔵寺から満願寺となる33番の那古寺までの南房総にある札所を一気に廻る行程で計画してみました。
毎回計画を起てる時には、行き先、ルートを決めてからGoogleマップなどで距離を計算して、所要時間を割り出し、各札所の着時間、発時間を決めて、走行距離から燃料費の割り出し、また有料道路の通行料金等も出して、大凡の必要経費と所要時間を割り出しています。
細かな計画を起てても、なかなか計画通りには行きませんが、それでも大凡の時間や経費を出さない事にはその日のうちに帰って来る事が出来るのかさえも分かりません。
今回の4寺巡礼も清水発は前回と同じ5:00amで何とかなりそうです。
運転手さんには苦労を掛けますが、少しでも早い出発の方が帰りの事を考えると無難です。
途中で遅れたりもしましたが、最終的には計画で割り出した時間内での清水帰還が出来ました。
ただ、当初の計画では予定通りに全部廻れた場合には問題ありませんが、万が一全部を廻る事が出来ずに、その結果33番の那古寺が残ってしまうと後々厄介な事になってしまう事に気がつきました。
そこで予定の南房総右回りを那古寺から左回りに変更し、どんな事があっても房総南端だけは間違いなく参詣できるコースに変更しました。
清水〜33番 那古寺
東名高速はまだ一部集中工事が残っていましたが、幸いにも下り車線の為、これは関係なく順調に進む事が出来ました。
しかし、横浜ICで降りてからの保土ヶ谷バイパスでは渋滞に掴まってしまいました。まだ7時前だというのに、都会の住民は渋滞覚悟でこんなに早く家を出るのでしょうか。
結局、アクアラインに乗るまでずっと渋滞が続き、ここで大幅な遅れが出てしまいました。
途中、自分にとっては20年ぶりくらいになる「海ほたる」に寄ってみましたが、ガラガラの状態で駐車場が混んでいるくらいのもの。
このアクアラインの開通当初の通行料は4000円もしたのに、森田健作前千葉県知事の主力政策であったアクアライン800円化により現在はETCが付いていれば800円で通行できるようになりました。
この取り決めは2021年暮れまでとなっていますが、国が反対しない限り、継続されていくようです。
4000円が800円ですから随分と安くなったものです。これも都内の混雑を少しでも軽減させたいという思いの結果なのでしょう。
開通当初、一日の通行量を6万4千台と見込んでいたものが、あまりの高額な通行料の為に、実際の通行量は日に1万台程度と利用者が極端に少なかったアクアラインでした。しかし、この800円化により一日の通行量は4万台にまで増え、千葉県に於けるこれによる経済効果は2年半で1,155億円にも上がったといいます。
安い事は良い事です!
ここまではトンネルだったアクアラインも海ほたるから東は橋を進みます。
木更津JCTからはガラ空きの館山自動車道に入り、南へ南へ!
33番札所 那古寺
清水を出発してから4時間半、予定よりかなり遅れて9:25am 那古寺に到着です。
境内には庫裏が見えるだけで、肝心の本堂となる観音堂は少し上がった高台にあるようです。御朱印だけ頂き、上に上がってみました。
観音巡礼なのですから、観音堂へ行かない事には来た意味がありません。
御朱印を書いて頂いたご住職の話では、最近では御朱印帳をしっかり管理しないでその辺に置いておくと盗まれてしまうので順番が来るまで手に持っているようにとの事でした。
何とも情けない世の中になったものです。
観音堂
それほど急でもないスロープを上っていくと見えてきた山門の向こうに朱色鮮やかな観音堂が見えました。
観音堂の手前には多宝塔も建ち、高台でもあるので景色も良く、須崎の方まで見えているようです。
館山については殆ど知る事も無いのですが、そんな乏しい知識の中でも、館山で思い出すのは館山の領主であった里見氏をモデルに描かれた曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」です。もう50年近くも昔にNHKの人形劇で放送されていて、結構熱くなって見ていた記憶がありますが、どんなあらすじだったのか殆ど覚えてはいません。
でも何故か
「われこそは、玉梓(たまずさ)が怨霊(おんりょう)…!」のフレーズだけは記憶に残っています。
この人形劇の人形の作者はあの辻村寿三郎。
話はそれますが、塩の道を歩いた折、飯田市にこの辻村寿三郎の人形を集めた人形美術館がある事を知りました。この玉梓の人形が今年の夏、一度お宝鑑定団に出た事もあり、調べてみたところ、本人評価額100万円に対し、鑑定評価額はナント500万円!という高額なものでした。
話を戻します。
予定の時間よりかなり遅れているのでゆっくりしている訳にも行かず、次の32番札所清水寺に向かいます。
32番札所 清水寺
館山から少し北に戻ったあたりから東に向かい山を越えて鴨川に出ました。房総半島の東海岸には高速道路は通っていないので、一般道を時間掛けて北に進みます。
お昼近くになった11:45am 2時間ほど掛かってようやく清水寺に到着しました。
清水寺は山号も京都の清水寺と同じ音羽山で、宗派も同じ天台宗となっており、本尊は千手観音菩薩です。
駐車場の一角にある仁王門にはユーモラスともいえる仁王像が優しい睨みを効かせていました。
仁王門の先にある石段の上にあるのはお寺には珍しい朱色の四天門。
この門には風神と雷神、そして裏側には増長天と多聞天が祀られています。この風神・雷神もどこかユーモラスな姿でしたが、増長天と多聞天は派手な彩色で迫力のある形相で睨みつけていました。
四天門の先、右に百体観音堂があり、この中には西国、秩父、坂東の百観音が祀られています。
そして、この観音堂の右端には赤穂四十七士の像、そして左には閻魔大王像が祀られていました。なぜ忠臣蔵?と思いましたが、特別清水寺に縁がある訳ではなく、明治時代、土地の仏師が彫った像のようです。
木組みに彫られた彫刻が見事なもので、まだ傷みは全くありません。これも江戸末期に再建以来のものなのでしょうか。
本堂もいい姿をしており、何故か実際の大きさよりかなり大きく見えます。
何処かで店が見つかったらそこで昼食にしようという事にして、次の笠森寺に向かいます。
31番札所 笠森寺
食事処を探しながら来ましたが、結局見つからず仕舞い。この調子では最後はコンビニ弁当になってしまいそうです。
清水寺から笠森寺まではそれほどの距離はなく30分ほどで笠森寺下の駐車場に到着です。ここは先ほどの清水寺のように上の駐車場まで車で、と言う訳にはいかず、下から石段を登っていかなくてはなりません。
山門から見る懸造りの観音堂は見応えがあります。普通、懸造りと言っても清水の舞台のように、建物の1辺方向だけなのですが、この笠森寺の懸造りは四面に舞台が張り出した四面懸造りの構造です。
今が一番の見頃のようでした。
ここも天台宗の寺で、本尊は伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置たものと伝えられています。
観音堂は明治時代には国宝に指定されていましたが、昭和25年の「文化財保護法」の制定により「国指定重要文化財」に指定変更されました。
さて、残るは1寺だけです。
次の高蔵寺に向かいますが、出来ればその途中で昼飯にしたいのが......
30番札所 高蔵寺
高蔵寺までの道すがら、食事処を探しましたが、結局見つからず、予想通り、久しぶりのコンビニ弁当になってしまいました。
笠森寺から1時間足らずで高蔵寺に到着です。
駐車場からの石段の上に立派な山門があり、中で朱色の仁王が睨んでいます。
隣、と言っても境内には熊野神社があります。これはかつての神仏習合の名残なのでしょうか?
中臣鎌足生誕地説
高蔵寺には飛鳥時代中大兄皇子と共に乙巳の変の立役者となった中臣鎌足の生誕地説があるようなのですが、これは伝説の類と思われます。
現在の本堂は大永6年(1526年・室町末期初頭)に再建されたもののようですが、よく見てみると全ての柱が左に傾いているのが確認出来ます。太い柱や梁がこれ以上傾くのを抑えているのでしょうが、大丈夫なのだろうか?と心配になります。
14:45pm
予定の4カ所の札所を参詣し、清水に帰ります。
この時間ならばまだ夕刻の渋滞前に通過できそうです。
結局、清水到着まで混雑に遭遇する事なく6:30pmには無事に帰ってくる事が出来ました。
さて、この先はどうしよう
これで33寺中の20寺をクリヤー。(個人的には22寺をクリヤーしています。)
冬の間に行けるのは神奈川、東京、千葉の4寺くらいしかありません。全てを止めて来年の春を待つのか、それとも行ける所だけでも冬の間に片付けておいた方がいいのか?
悩むところです。
コロナも少し沈静化している今のうちに東京、神奈川、千葉だけは済ませておいた方がいいのかもしれない。
来年の春はどんな状況になっているのでしょう...