みちのくの旅三日目

瑞巌寺


三日目のスタートです。今日は清水に帰らなくてはならないので、初日同様今日も長い一日になりそうです。
青森から南に下りてきたからなのか、今日も朝から暑いです。
まずは松島の瑞巌寺ここは松島がよく見える高台にあるお寺というイメージを想像していたのですが、これは大違い。
海からさほど遠くない平地にあるお寺でした。
境内に入ってまず目に付くのは、大屋根の上にさらに入母屋造の煙出をのせた瓦葺の庫裡。
台所という事で排煙の為の大きな煙出が作られていますが、このためにかなり変わった建物に見えます。
この庫裡は国宝指定されていて、京都の妙心寺、妙法院、と共に日本三大庫裡の一つに数えられています。

本堂前の右手には政宗公が文禄2年(1593)朝鮮出兵の折、鉢植にして持ち帰り、慶長14年(1609)、瑞巌寺落慶の際、五葉松と共に本堂正面に手植えされた梅が植えられています。
本堂に向かって、右が紅梅、左が白梅で地面を這うような姿と、八重咲で7,8個かたまって実をつける事から、「臥龍八房」とも呼ばれています。

埋木書院

本堂裏から少し上に見える建物は埋木書院と呼ばれる建物です。
これは明治22年の洪水で北上川底から発見された欅の巨木を、仙台の資産家だった八木久兵衛氏が買い取り、一本の欅から天井板・柱・長押・敷居から戸障子の桟に至るまでを作りだし建てた書院です。
元は別の場所に建てられていましたが昭和18年、戦禍を避けるために瑞巌寺に寄贈されました。

震災前の参道
現在の参道

でも、時間は掛かる事と思いますが、そのうちに「昔はこの参道はもっと拓けていて明るかった」と話す時代が来るのかも知れません。

五大堂

 

瑞巌寺の総門を出てそのまま真っ直ぐに進めばすぐに松島湾に出ます。海岸の東の端に小さな島「五代堂島」がありそこに立つのが国の重文にも指定されている五大堂です。

 
五大堂は瑞巌寺が管理する小堂で、松島の名勝地として知られています。
大同二年(807)、坂上田村麻呂がこの地にきたとき、松島の海の美しさに魅せられ、多聞天を祀って建てられた一小堂が開基と伝えられ、その当時は毘沙門堂とよばれていました。
 
五大堂は瑞巌寺を護る五大明王を祀る堂で、島全体が聖域となっています。島へ渡る為に架けられた橋は透橋(すかしばし)といい、足下をみると板と板の間から海面が覗けます。これは参拝者の心を引き締めるための配慮だそうです。

五大堂

松島湾

松島を上から見てみたいと、仙台へ向かう途中で松島の展望が出来るという「西行戻しの松公園」と何とも変わった名前の公園に寄ってみました。この名前の由来については松島観光協会のHPに以下の説明がありました。

西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由;”>来の地。 この公園の一帯は260本余の桜の名所で、展望台からは桜と松島湾の景色が一体となった、他に類をみない花見が味わえます(松島観光協会HP)

 

青葉城趾(仙台城趾)

松島から仙台市内に向かい青葉城趾を目指します。しかし、青葉城趾への登りになった途端に大渋滞。この青葉城は青葉山に築城されていた事から呼ばれるようになりましたが、2003年に史跡「仙台城跡」として登録されたため、現在では「仙台城跡」と呼称することが多くなっています。

伊達政宗公
 
初代仙台藩主は伊達政宗。仙台城は慶長年間に政宗により築城されて以来、廃藩置県・廃城令が発布されるまでの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、その規模においては全国でも有数の城だったと伝えられています。
仙台市街

城趾からは仙台市内が一望できます。遠くに地上100mの高さを誇る「仙台大観音」も見えています。

 
政宗もこの立地条件があったからこそ、この地に築城したのでしょう。しかし、徳川家への恭順の意を示す証として仙台城には当初から天守閣は作られていませんでした。

遠くに仙台大観音

仙台城本丸跡

あとは山形県の立石寺を残すだけとなりました。
まだ昼前ですが、清水まで帰る事を考えると昼食を何処かでゆっくり食べるといった余裕もないので、途中のコンビニに寄りまたまたコンビニ弁当で済ませました。
今回の旅行ではコンビニ弁当、何回食べたのだろうか?

立石寺

午後1時、ようやく立石寺に到着しました。上まで登って、下りてくるのは3時過ぎになりそうです。しかしこの炎天下、急いで登ったら死ぬかも?

根本中堂

お盆休みからなのでしょう。かなりの参拝客がいます。ここにも若い人達が多く、これはチョット意外。もっともあまり年寄りでは登るのは厳しそうでした。

姥堂

芭蕉像

閑さや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉

立石寺と言えば一番に思いだすのはあまりにも有名な、芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句でしょう。芭蕉は5月17日、尾花沢に到着し、10日ほどそこで過ごした後、5月27日に馬で立石寺に出かけています。
昔からとかく、この芭蕉の聴いた蝉の声は何蝉だったのか?という論争が起きます。
蝉は春蝉」?「にーにー蝉?、はたまた「油蝉?。また、それは単数なのか、複数なのかが議論の中心でした。
岩の成分や形状にまでは話が及ばなかったのが不思議ですが、議論の中でも、蝉は「油蝉」だとする斎藤茂吉と、「にーにー蝉」の小宮豊隆との間の議論は白熱したものとして有名な話になっています。
この句が太陽暦では7月13日の作であり、その頃にはまだ山形では油蝉は出現していないことから、この句の蝉は「にーにー蝉」であったことで両者の間では決着しました。
何とも暇人も居たものです。

ようやく仁王門まで登って来ました。
でもここの標識には奥の院まで残りの石段は250段ほどになっています。上の方に見えていますが、この暑さの中、250段の石段はかなりキツイです。
やっとの思いで奥の院に辿り着いた頃にはもう上半身汗でグッシャになり気持ち悪いほど。でも、時々吹いてくる風は涼しいーーーー!!

山上からの下界。こうしてみるとかなり登ってました。下からの標高差は奥の院で170m程。大した事は無さそうですが、気温が高いだけに一苦労です。
涼しい時期だったら大した苦労も無しに登る事が出来たでしょう。

中性院

開山堂横の狭い道を通り一番奥にある「五大堂」が山上のゴールになります。五大堂からは眼下に下界の素晴らしい展望が広がります。
しかし、これからまたあそこまで汗まみれになりながら歩いて下っていかなくてはならないと思うと些かウンザリもしてきます。
今回の「みちのくの旅」では随分とあっちこっち歩きました。途中で寄ってきた所をリストアップしてみました。

  • 龍飛岬 (灯台 レーダー 階段国道を降りて龍飛漁港)
  • 十三湖 (シジミ汁)
  • 高山稲荷神社
  • 斜陽館  太宰治の生家
  • 三内丸山遺跡
  • 十和田湖 休屋で昼食
  • 花巻温泉
  • 中尊寺
  • 高舘義経堂
  • 毛越寺
  • 奇跡の一本松 陸前高田
  • 元大谷海岸駅
  • 瑞巌寺
  • 瑞巌寺・五大堂
  • 西行戻りの松公園 松島の展望地
  • 仙台城趾 青葉城趾
  • 立石寺

 

最終訪問地となった立石寺を出発したのは午後3時半になろうとしていた頃。
日本海に出る前に日暮れとなりました。


日本海に出て、日本海東北自動車道ー北陸自動車道ー上信越自動車道ー長野自動車道ー中央高速ー中部横断道、と乗り継ぎ、清水到着は午前2:00。
車での移動距離も総走行距離は2300Km程になっていたようです。
流石に疲れました。

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