坂東観音巡礼第3回

坂東巡礼第2回は埼玉県の3寺

昨年11月末に初回(以前からだと2回目)となる坂東巡礼から約2ヶ月。今回は埼玉県の3寺を参詣してきました。

今になってではありますが、西国巡礼は徳道上人が始め、一時消えてしまった観音信仰を再び復活させたのは西国巡礼中興の祖となった花山法皇でした。
では、この坂東観音巡礼は誰がいつ頃始めたものなのか?
これまで考えたこともありませんでした。
坂東巡礼の歴史はガイドブックでは

平安時代に西国で始まった三十三観音巡礼が坂東において成立したのは鎌倉幕府の成立がきっかけだといわれています。源頼朝は熱心な観音信者でした。源実朝もしばしば観音信仰を行った事が知られていることから、実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したとも伝えられています。
坂東の一番札所が鎌倉の杉本寺であることや、鎌倉、相模、武蔵に札所が多いことから納得のいく説となっています。

と書かれています。

秩父にしても坂東にしてもその模範となったのは花山法皇が確立させた西国巡礼となっているようでした。

さて、第2回目、清水出発は渋滞も見越して5:30出発。
ところが新東名高速は事故で通行止め、仕方なく清水いはらICでUターンし東名高速を行くことにしました。
ここでふたたびのところが、です。

こちらも沼津IC辺りの工事で大渋滞。愛鷹のスマートICで降り、新東名の「沼津・長泉IC」から再び高速道路に入り、ようやく通常モードに復帰しました。
しかし、この間のロスタイムは1時間程になり、かなり時間を無駄にしてしまいました。

それでも、今回の計画は時間にはかなりの余裕を持たせてありますから、何とかなることでしょう。
この後は順調でした。

海老名JCTから圏央道に入り、鶴ヶ島JCTで関越自動車道に分岐、その先の東松山ICで高速を降り、そこからは一般道を行田に向かいます。

途中で4年前に歩いた荒川土手の中山道を越えている筈ですが、確認は出来ませんでした。
程なく今日最初の目的地である「忍城趾」に到着です。

忍城趾

戦国時代はこのあたりを支配した成田氏の居城となっていましたが、武蔵の国はこの当時小田原の北条氏の配下です。

秀吉の小田原攻めの時には北条氏に味方していた成田氏の忍城も攻撃を受けます。
忍城を攻めたのは石田三成でしたが、彼は秀吉の命により利根川の流れを利用した水攻めを行いました。

忍城に立て篭もった成田氏は善戦し、結局小田原城が陥落するまで持ち堪えたのは忍城ただ一つだったと言います。

この戦いで三成が陣を敷いたのは現在の丸墓山古墳の頂上部で、水攻めの堰もこの古墳から南北に延びています。

この時三成が築いた堰は石田堤と呼ばれ、総延長は28Km
これをたったの5日間で完成させたというのですから驚きます。この石田堤は現在でもその一部が残っているようです。

水攻めの資料を見ていて、この堤が現在はどの位置になるのかと思い、堤の位置を重ねてみたら面白い事に気がつきました。

丸墓山古墳から南に延びた堤は、現在の高崎線に当たり、そこからは驚く程正確に高崎線の線路沿いに熊ヶ谷の方向に延びています

明治時代になり高崎線敷設時には荒川の氾濫なども予想し、少しでも高い所に線路を敷設した結果なのでしょう。

石田堤の概要

高いといっても2、3mと僅かな差であることを考えると、もしかしたら三成が築いた堤の痕跡だったのかもしれません。
掲載した図の水色の線が「石田堤」、黒と青の破線が高崎線になります。

当時の忍城の様子は、この城を訪ねた連歌師の宗長の日記によれば、城の周囲は四方沼地であったと書かれている事から、まさに天然の沼地の中に島状に残る丘や自然堤防を巧みに利用して作られていたようです。

この戦いの後、忍城は関東に入国した家康の持ち城となり、その後も主を代えながら明治まで残りました。

戊辰戦争の戦火からも逃れ生き残った忍城でしたが、明治に入り、城は無用の長物となり、結局、明治6年に競売にかけられ、かつての面影は土塁を残すだけとなってしまいました。

最近では、2012年に創られた野村萬斎主演の映画「のぼうの城」で一躍知られるようになりました。

藩校進修館の表門を移築したものと伝わります。
行田市郷土博物館

かつての沼地は埋め立てられ、現在は本丸跡に「行田市郷土博物館」が建設されています。
ただ、この博物館は忍城に特化した博物館ではなく、行田市全体を紹介した資料が主な展示物となっている為、忍城そのものの資料は一部だけとなっていました。

忍城趾の現在のディオラマ。
三階櫓から富士山が見えていました。
鐘楼
高麗門と三階櫓

城趾内には当時の遺構はそれほど残ってはいませんが、かつて忍城にあった櫓をモデルに再建された三階櫓が建てられています。

高麗門
三階櫓

忍城趾から元来た道を戻り、11番札所の安楽寺へ向かいます。
行田からはそれ程離れてもいないので30分程で安楽寺に到着です。

11番札所 安楽寺(吉見観音)

第9番慈光寺、第10番正法寺とともに比企三山ともいわれている安楽寺は、奈良時代の僧行基が聖観音像を安置したのに始まるとされ、平安時代初期の武将坂上田村麻呂が堂宇を建立したと伝えられます。
一体、行基が絡む寺は全国に幾つあるのでしょう。

石造りの仁王(阿形像)
青面金剛明王像(庚申塚)

駐車場から参道を進むと左右に珍しい石造りの仁王が睨んでいます。
石造りの仁王像は何処かで見た事があります。
記憶を辿ると2016年、秩父巡礼の最終回で参詣した観音院に、石造りとしては国内最大という仁王像がありました
石造りの仁王はあの時以来のようです。

仁王像に睨まれながら先に進むと参道沿いに何やら古い石仏があります。
よく見てみると一面六臂の本体の上に月と太陽。足下には鶏がいて、最下段の台の部分には見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿が配置され、基本通りの青面金剛明王像です。
清水地区で行われる「お日待ち」の祭りも、元々はこの庚申信仰そのものだったと考えられます。

青面金剛は庚申信仰の本尊で、60年に一度やってくる庚申の年にこのような庚申塚を創る習慣が長い間続いてきました。最近では昭和55年が庚申の年に当たっており、この年には自分の住む地区でも庚申塚が作られています。

この庚申塚、江戸末期まではこのような青面金剛像が多かったようです。しかし、明治以降は「庚申塚」とか「庚申塔」と書かれただけの塚が一般的になってきたといいます。

境内までの高低差はあまり無さそうです。
大きくはありませんが、落ち着いた雰囲気の綺麗なお寺です。

まだ新しそうな仁王像が安置された山門を潜って境内に入ります。
それほど大きな本堂ではありませんが、全体に綺麗に整備されたいい雰囲気のお寺です。

形に安定感があります。
初層だけ大きく作られている。

本堂右に建つ三重塔は今から約380年前の寛永年間に杲鏡法印によって建築されたもので、本堂・三重塔・仁王門・大仏等の中では最も古いものとなっています。
これまでにもしっかりした補修がされてきたのか、まだ綺麗なものです。
この塔は基壇は無く、心柱は地から立つのではなく、一階天井部分の梁で支えられています。

屋根は以前は柿葺あったが、現在は銅板葺に改められています。
一階部分の面積は高さに比較して非常に大きく、また各層の面積のバランスも程よく、これに加え軒の出が非常に深いので塔全体にどっしりとした安定感を感じさせる造りとなっています。

本堂
廻りに施された彫刻が見事です。

そろそろ昼飯時。腹も減ってきました。

吉見百穴

墓と思うと異様な雰囲気です。

吉見百穴は安楽寺からは目と鼻の先。外からでも十分よく見えるので、入場券を買って入らなくても良いように感じてしまいます。
でも、まずは昼飯です。
前に食事処があったので、ここで昼食を摂ってから百穴の見学をすることにしました。
このうどん屋さん、観光地の食堂にしてはそこそこ旨かったです。
腹も膨れたところで百穴の見学です。

ところで、これは「ひゃっけつ」と読むのか「ひゃくあな」と読むのか?
どちらでも良いようですが、殆どの表記は「よしみひゃくあな」となっています。

今は一部しか登ることが出来ません。
ここは棺が二つ入っていたようです。

古墳時代後期の横穴墓群の遺跡ですが、これまでにはいろいろな論争が繰り広げられてきたようです。
論争の主なものは、住居か墓か?といったものでした。

住居としたら少し小さすぎるのですが、コビトのような日本の先住民族、コロポックルの住居として作られたものではないかといった説もありました
しかし現在では集合墳墓という説が定説になっています。

地下軍需工場跡

以前は奥まで入る事が出来たようですが今は入り口だけ。
奥は広そうです。

太平洋戦争中、この岩山の地下に中島飛行機の地下軍需工場を建設するため、岩山の最下部に大きなトンネルが碁盤の目状に掘られ、その出入口として吉見百穴には3か所の坑口が作られました。
以前は中にも入ることが出来たようですが、現在は柵が設けられ入り口部分までしか入れません。

ロケ地としての百穴

ロケ地としての需要は確かにありそうな雰囲気ですl

岩山の異様な外観や、素掘りのままの軍用トンネル跡などが、悪の秘密結社の基地といった雰囲気に合っているのか、仮面ライダーをはじめとする等身大ヒーロー番組や、ウルトラマンシリーズなどの実写特撮番組のロケ地として、よく使われてきています。

10番札所 正法寺

安楽寺の仁王像と似ています。こちらはガラスで守られていました。

吉見百穴から西に40分ほど走ると10番札所の正法寺に到着です。読みは「しょうぼうじ」と「ほ」が濁ります。

先ほどの安楽寺もこの正法寺も山号は「いわ殿山」。ただ、この「いわ」の部分が安楽寺は「岩殿山」に対し、正法寺は「磐殿山」。

仁王像

山号も似ていますが、山門に安置された仁王像もこれまた安楽寺の山門の仁王像とそっくりです。作られたのも最近なのだと思ったら大間違い。

吽形像
阿形像

元々は運慶作と伝わる仁王像がありましたが、平成4年の解体修理の時、棟札がでて、運慶作のものは江戸時代に焼失し、現在の仁王像は文化年間に再建されたものと判明しました。
現在の仁王像は、解体修理時に漆を塗りなおされ、その為に新しく見えるようです。

境内まで上がるのは結構キツそうです。
やっと境内まで上がりました。

境内までは少々キツイ石段がありましたが、それ程長くはないので何とか境内まで上がりきりました。

大銀杏

境内で目立つのはこの大銀杏。

境内でまず目に入るのはイチョウの巨木です。推定樹齢は700年を越えているとか。
周囲は11mあり、埼玉県内でも最大級の大きさです。
江戸時代には養老木と呼ばれ、多くの女性に安産・子育守護の対象として信仰されました。

四国遍路の写本尊像

廻りにあんちされた小さな石仏群
全て揃っているのなら188体になります。

境内は廻りを切り立った断崖に囲まれています。
その一部を削って西国、秩父、坂東の100観音と四国遍路の石造りの小さな写し本尊が祀られています。
両方が揃っているのだとしたら188体の写し本尊があることになりますが.....

大きさの割に高さがあります。
廻りの彫刻が素晴らしい!

本堂である観音堂は大きさの割に高さがあり迫力があります。また、廻りに施された彫り物も見事なものでした。

9番 慈光寺

山門までの参道くらいもう少し整備してほしいものです。

駐車場から山門(といえるものかどうか?)までは荒れた山道のような参道を行きます。もう少し参道くらいは綺麗にしておいたらどうかとも思うが、手が足りないのだろうか。

境内に入りまず目に入るのは大きな「多羅葉」
こちらは六地蔵でしょうか。

小さな山門を潜って境内に入るとまず目に入るのは葉書の語源となった葉書の木とも呼ばれる「多羅陽樹」の巨木
実際の大きさとしたらそれ程の大きさでも無いのですが、慈覚大師が植えたと伝わりますからそれが史実ならば樹齢は1200年を越えています
確かに多羅陽樹としたら太いけど、実際はどれほどの樹齢なのでしょう。

観音堂

慈光寺の本尊は十一面千手千眼観音で、これはずっと上の方にある観音堂に安置されています。観音霊場巡りをしていて、本尊を拝まずに帰るのも少々気が引けます。
そこで、どうせこれが今日最後、後は無し!と思い上がってみました。然程急な石段でも無し、楽勝と思っていたら、これが一苦労。ヒーヒーしながらやっとこさ観音堂まで上がりました。

ヒーヒーしながらやっと観音堂の前に出ました。

丁度、坂東巡礼中の団体さんに鉢合わせとなり、観音堂の中に入るのは諦め、外から何とか拝んでヨシとしました。
この団体さんが上がってきたのは自分達が上がってきた石段とは違い、駐車場から観音堂まで一気に上がって来る物凄く急な石段でした。

団体さんの巡礼者で堂内は満員状態。
左甚五郎作と伝わる「夜荒らしの名馬」

自分よりは遙かに年配の皆さんでしたが、脱帽です。
これも信仰の力なのでしょうか。

清水へ

これで今回の巡礼旅は終了です。前回とは違い帰りも渋滞無しで帰って来ることが出来ました。
行程も、スタート時の渋滞で遅れが出たものの、その後は順調に進み最後まで最初の1時間遅れを何とか最後まで保つことが出来、7:00pm 清水に無事到着でした。
この後の反省会は前回同様おおいに盛り上がった事は言うまでもありません。
これまでに茨城の2寺を含めて13寺をクリヤー。
まだまだ先は長いです。

伊豆88遍路 第10回

伊豆88遍路 第10回 稲取〜河津

河津駅から稲取駅に到着。いよいよスタートです。

昨年3月から始めた、伊豆88遍路旅も寒い3月から暑い夏を越え、2020年の新年を迎えました。令和2年の初回は正月も終わりかけた1月5日に稲取駅から河津駅までの約20Kmの遍路旅になりました。
正月明けの稲取の町は静かです。まだ店も開いていない町の中心部を32番札所の「善應院」目指して歩きます。 “伊豆88遍路 第10回” の続きを読む

伊豆88遍路歩き旅 第10回

第10回は稲取駅ー河津駅

海岸線を行くのではないようです。
標高は然程でもありませんが、8Km地点までは上りの連続。

令和2年最初の伊豆遍路は5日に行く事になりました。次回は稲取駅から河津駅までの約18Km。
前半の8Km程は上り坂のようで、毎度ながらそうそう簡単にゴールさせては貰えないようです。

ずっと海岸線を行くのかと思っていたら、途中からは山の中に入り少し高い所を進み、河津川の上流部に降りていくコースでした。

河津町の35番栖足寺は庵原にあるお寺の奥さんの実家と云う事のようで、現在のこの寺のご住職も面白い方のようなので楽しみにしています。

今度は河津まで車で行った方が良さそうです。

 

伊豆88遍路 第9回

伊豆高原ー稲取 標高グラフ

今年最後の遍路旅は伊豆高原〜稲取

今年3月に始まった伊豆88遍路てくてく旅も今回で既に9回目、日数にして10日目になりました。これまでに歩いた総距離は地図上で約170Km 。ペースは17Km/Day になります。

東海道を歩いた時の一日の最低距離は江尻〜鞠子間の17Kmが一番短い距離でしたから、10年経って脚力、体力も大分落ちてしまったようです。

今年最後の遍路は伊豆急の伊豆高原駅から伊豆稲取駅までの約19Km。今回もアップダウンがかなりあるようで、いつもながら、早々簡単にゴールは出来そうもありません。 “伊豆88遍路 第9回” の続きを読む

坂東観音巡礼 復活

2年ぶりの坂東巡礼

西国巡礼が今年の3月に満願となって、お寺参りとはは暫くの間途絶えていました。とは言っても伊豆88遍路でお寺は嫌になる程廻っています。でも自分の中ではこの遍路旅はお寺参りというより、街道ウォークといったものになっています。

坂東観音巡礼は2年前の秋、東博で開催された「運慶展」を見に行った際、茨城県にある札所2寺を参詣してからはそのまま止まったままで、それ以前に廻った鎌倉と小田原にある1番から5番までと合わせても7寺にしかなりません。
スタートしたからには、秩父、西国と合わせた100観音巡礼を完結しようと、今回2年ぶりの坂東巡礼再開となりました。

雲に浮かぶ真っ白な富士山

復活初回は神奈川県の近場なので、そんなに早く出発する必要もありません。
のんびりと、朝6:30清水を出発し新東名を東に走ります。

昨日は雨、そして今朝はかなり冷え込んでいます。今日行く伊勢原の最低気温は7度の予報が出ているくらい。

雲に浮かぶ真っ白な富士山

新東名で吉原トンネルを抜けると予想通りの霧が。
そしてその先、ネオパーサ清水の辺りからは、朝日に照らされた富士山が雲の上にクッキリと浮かんでいました。
こんなに綺麗な富士山は静岡に住んでいてもそうそう見る事も無いような見事な富士山でした

富士山の東側に廻ると麓まで真っ白でした。
今日行く大山も寒そうです。
秦野中井ICで降りて、まずは今日最初の目的地、平塚にある7番札所の光明寺に向かいます。

7番札所 光明寺

金目川の畔に立つ金目観音 光明寺

渋滞も無しに、光明寺の駐車場に到着。予定より20分程遅れての到着でしたが、8:00だと思っていた納経受付時間が実は8:30だったので逆に早すぎた到着となってしまいました。

しかし、少しくらい早くても入れて呉れるだろうと、境内に入ってみました。
伝承では大宝2年(702)に海女が海中から観音像を得た後にわが家の奥に奉安し、その後道儀上人が一宇を建立しこの観音像を安置したのが光明寺の始まりと伝えられています。

]頼朝の妻、北条政子が実朝を出産する際に安産祈願したことでも知られ、仁王門に安置される仁王像は関東では最古のもの。
本尊は聖観音菩薩で別名、金目観音と呼ばれています。

阿形像
巨大な草履
弘明寺観音堂
本尊は聖徳太子作とも伝えられる「聖観音菩薩」
人々の厄を背負い込んで顔まで消えてしまったビンズルさん。

歓喜堂

歓喜堂には歓喜天が祀られている。

堂内には大聖歓喜大自在天 (略して歓喜天) を祀っています。魔障を除く守護神で、他のどこの神社仏閣でも叶わなかったあらゆる願望が叶えられるといいます。なお堂内には、七福神も祀られています。

これまでにもあちこち寺参りはしてきましたが、歓喜天を祀っている所は初めてです。歓喜天は秘仏となっているのが一般的ですが、こちらの歓喜天もやはり小さな厨子の中に鎮座しているようでした。
歓喜天の特徴はその姿で、象2頭が抱き合う姿は異様に見えます。

水琴窟

随分長い竹の棒を突っ込んだ水琴窟

水琴窟があるお寺は結構見かけますが、綺麗な音の聞こえる水琴窟はあまりあるものではありません。この光明寺の水琴窟も、音の発生源である窟から竹筒を伸ばして、参拝者が聞く事が出来るようにしてあります。
しかしこの竹筒が長すぎて、結局耳に届く迄には音は小さくなってしまいます。

大山阿夫利神社

光明寺から伊勢原に向かい、大山阿夫利神社へ参詣です。
2009年の冬、当時東海道を一緒に歩いていた友人一同で詣でた事がありました。あれから11年が経とうとしています。10年前に来たのは2月14日のバレンタインデイ。この日日本列島は全国的に気温が上がり、この日最高気温を記録したのは清水で、26度オーバーのとんでもなく暑い日でした。
そんな中で、酔っ払って、山の装備ゼロでなんと無謀にも大山の山頂まで登ってしまいました。

今回は10年前とは打って変わって、今日は冷え込んでいるようです。
早く来た人から順に上の駐車場から駐めてくるので、こちらは既に満車でした。
下から見る大山山頂は雪なのか、霧氷なのか、青空の下、綺麗です。

大山ケーブルカーまでは20分程歩きます。

こま参道

こま参道の丁石とも言える独楽の絵。

ケーブルカーの駅までは「こま参道」と名付けられ、狭い土産物店が長く左右に並んでいます。

所々にある石段の踊り場には独楽の絵が描かれ、この絵で何番目の踊り場なのかを表しています。説明によれば大きな独楽は10の単位、小さな独楽が1の単位を現しているとの事。
何故「こま」なのかと思ったら、ここは「大山独楽」が特産品なのだとか。

紅葉はそこそこに紅葉しています。

20分程でケーブルカーの駅に到着しました。今日は金曜日、ウィークデイと云うのに、大勢の観光客がいます。阿夫利神社への参拝だけでなく、大山への登山者も多いようでした。

大山ケーブルカーで阿夫利神社へ

大山のケーブルカーは全長0.8㎞、標高差278mの急勾配を所要時間約6分で中腹の阿夫利神社下社まで運んでくれます。1965年から営業運転を行っていますから、既に50年以上もの歴史をもつケーブルカーです。

洒落た色の車両です。
ケーブルカーからの相模湾。江ノ島が見えていました。

途中には大山寺駅もあり、ここから数分歩けば大山寺があります。大山寺は東大寺の初代別当となった良弁によって開山された真言宗のお寺で、本尊は「大山不動」となっています。
今回は大山寺はパスし、そのまま上の阿夫利神社駅まで上がります。

阿夫利神社

大山阿夫利神社

大山阿夫利神社は、今から2200年以上も昔、人皇第十代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられている式内社です。
しかし、2200年前となると紀元前の時代。まぁ、1940年には神武天皇以来2600年と云うのですから、10代の崇神天皇なら、2200年前と云われてもおかしくは無い事になってしまいます。

祭神は大山祇大神で、この大山祇大神の子が浅間神社の祭神である「木花咲耶姫」で彼女は富士山の神様。鳶が鷹を生んだという事でしょうか。

背面の大山は霧氷か雪で真っ白

大山祇大神と木花咲耶姫

神々の系図をもう少し辿ってみます。
木花咲耶姫の夫は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)で、よく知られている海幸彦(火照命)と山幸彦(火遠理命)はこの二人の間に生まれた子。この山幸彦は海の神である綿津見神の娘、豊玉毘売命(トヨタマヒメ)との間に天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへず)を生みます。何とも長ったらしい名前です。

実は、この出産時にある事件が起こります。中を絶対に見るな!と云って、産屋に入った豊玉姫でしたが、夫の山幸彦は興味津々でとうとう中を覗いてしまいました。
産屋の中ではワニに姿を変えた豊玉姫が蛇のようにうねっているのを見て恐れて逃げ出してしまいました。覗かれた事を恥じた豊玉姫は実家(海の中の宮殿)に帰ってしまいました。しかしその後、火遠理命が覗いたことを恨みながらも、御子を養育するために妹の玉依毘賣(タマヨリヒメ)を遣わし子の養育にあたらせます。
玉依姫に育てられた鵜葺草葺不合命は後に玉依姫と結婚して4人の子を生みました。4人目の子は若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)といい,またの名を神倭伊波礼比古(カムヤマトイワレビコ)といい,これが初代天皇の神武天皇になります。
といった、格式の高い神、大山祇大神を祀るのがこの大山阿夫利神社です。
拝殿の屋根越しに、青空の下に映える真っ白な大山が綺麗です。しかしそれだけに寒い!!

拝殿
標高は696mあり、下界が見渡せます。
拝殿前で記念撮影

今日の伊勢原の10時時点の気温は7度の予報でした。そこから約600mは上がっていますから、今の気温は3度〜4度くらい?それに冷たい風が吹いてくるので超寒いのです。

外人さんも結構見受けられます。静岡に住む自分達にはあまり縁の無い大山阿夫利神社ですが、東海道を歩いた時、大山道の古い石造り道標はあちこちで見ました。昔の江戸庶民にとっては身近にある信仰の場所だったのでしょう。

時間も予定よりは遅れ気味。そうそうゆっくりもしていられないので、早々と下山しました。大山の名産はコンニャクと豆腐。どこの店でもこの二つは食べられるようでした。そして是に加えて必ずあるのがしし鍋。イノシシもそんなに多いのでしょうか。

良弁の滝

北斎が描いた良弁の滝
大山寺を開いた良弁を祀る開山堂。隣には良弁が入山の時に水行を行った滝と伝えられる良弁の滝があります。

駐車場の前を流れる沢の向こうに「良弁の滝」と名付けられた滝がありました。水量も僅かな、小さな滝です。
大山寺を開山した良弁僧正が最初に水行を行ったという高さ3mほどの滝で、江戸中期以降に大山詣りが盛んになると、人々が滝で水垢離をとる様子が錦絵の題材になり、これがますます庶民の大山への憧れを誘う事になりました。

6番札所 長谷寺

大山から下界へ下り、40分程走って長谷寺に到着しました。
長谷寺は丹沢山系から東にのびる尾根の東の端、海抜280メートル余の白山の中腹に位置します。
飯山の観音さん、縁結びの観音さんとしても知られています。
長谷寺の山門はいつぞやの台風で損壊を受け、現在は修理中で門を潜る事は出来ませんでした。

山門の上にある六地蔵
台風で損壊し修理中の仁王門。
樹齢400年という犬槇。

山門の上には樹齢400年と伝わる「犬槇」の巨木があり、その大槙から更に上に向かって石段が伸びています。

登り切った境内には左右に石灯籠が並び、その奥に観音堂がありました。
この観音堂は、江戸時代に建立されたものと推定され、銅板葺(以前は茅葺き)の宝形堂。堂内には本尊の木造十一面観世音菩薩立像が納められています。

本尊の十一面観音像は神亀2年(725)、この近くに五色に輝く泉があり、行基がその近くを通りかかったとき、泉から観音菩薩が現れたので、クスノキで十一面観音像を刻み、泉から現れた観音さまを胎内仏として寺を開創し安置したと伝えられています。

本堂(観音堂)まで両側に石灯籠が並びます。
観音堂
楠の切り株。かなり太い楠だったようです。
観音堂にて
東の方に見えているのは厚木市内のようでした。

この寺の立地している場所が丹沢山地の東側、標高284メートルの高台にあり、境内からは厚木の市内が見えていました。

長谷寺は飯山観音と呼ばれ、縁結びの観音様として多くの信仰を集めています。
長谷寺を出て、途中で昼食を摂り次の星谷寺に向かいました。

8番札所 星谷寺

1:20、座間駅近くにある星谷寺に到着。このお寺は市街地にあり、寺の前の交通量もかなりあります。しかし、お寺への参詣者は自分達だけで、境内は静かです。

少し小さめの仁王像。右が吽形像になっていました。
鐘座(打つ所)が一つという珍しい梵鐘です。

まず入り口の左右に立つ仁王像に迎えられ中に入ると左に鐘楼があり、ここに吊された梵鐘は撞座が一つしか無い珍しい物です。銘文には嘉禄三年(1227)とあり、歴史ある物ですが、綺麗で古さは感じません。
また銘文中に「源朝臣信綱」の名があり、これが鎌倉時代の武将、佐々木信綱であると言われ、佐々木氏の相模国在住を裏付ける物的資料として唯一のもので、日本史の上でも重要な資料とされています。梵鐘は国の重要文化財に指定されています。

星谷寺の七不思議

  1. 撞木が一つの梵鐘(普通は撞座が二つ、日本三奇鐘の一つ)
  2. 咲き分け散り椿(一本の椿より5通りの花が咲き、花弁が一枚ずつ分かれて落ちる)
  3. 観音草(別名、田村草。坂上田村麻呂がこの寺の境内にあったこの草で、東北遠征時奇病を治したといわれる)
  4. もみじの老木(幹が乳房のようになっている。現在は枯れている)
  5. 不断桜(開花期のほか年中どこかの枝に花をつけている)
  6. くすの木の化石(揺すると水の音がする)
  7. 星の井戸(昼でも星が見える)
  8. 鎌倉郡座間郷と宝篋印塔に書かれている(高座郡の真ん中に座間は所在している)

何れか一つを抜いたものが七不思議という事のようですが、そもそも七不思議に何故に八つある事が不思議なのだそうです。
何とも訳の分からない話です。

見事に色づいた銀杏
観音堂
本尊は聖観音菩薩
千社札ががかなりの数貼られていました。
昼でも星が映るという「星の井戸」

本堂前のイチョウは見事で、薄緑から黄色に綺麗なグラデーションが掛かっていました。でも、このイチョウには銀杏の実は着かないようです。雄木?

ここから、以前から一度行ってみたかった、白洲次郎・正子夫妻が住んでいた、町田にある「武相荘」に向かいます。

武相荘

星谷寺から一時間程かけて、ようやく武相荘に到着しました。ネット上で手に入れ印刷してきた駐車場の地図に間違いがあり、駐車場を見つけるのにえらい手間取ってしまいました。

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英国仕込みの紳士道をプリンシプルと呼び、日本で初めてジーンズを履き、近年「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びている真のリベラリスト白洲次郎。

戦前は近衞文麿首相のブレーン戦後は吉田茂首相の側近となって政治の中枢にいた昭和史の鍵を握る人物であるにも関わらず、その生涯は歴史の闇の中に埋もれています。

一方の白洲正子は随筆家として知られ、能に造詣が深く、青山二郎や小林秀雄の影響を受け骨董を愛し、日本の美についての随筆を多く残しています。彼女の男のような断定的に言い切る文章は、自分自身の自信によるものなのでしょうか。自分は好きな作家ですが、受け付けない人も居るのかも?

2009年にNHKドラマスペシャルで「白洲次郎」が放送され、そこで始めて知った人物でしたが、夫婦揃って変わり者だったようです。

武相荘はこの白洲夫妻が住んでいた家で、元は農家の建物だったようです。
武相荘の名の由来は、白洲次郎のユーモアから「武蔵の国と相模の国の境に位置する」事と「無愛想」を掛けたもので、敷地面積約2000坪。
館長は白洲夫妻の娘、牧山桂子さんが務めています。

こちらはレストラン
武相荘の文字は近衛内閣の司法大臣をつとめた風見章の揮毫。

内部は全て撮影禁止となっており、ここで紹介する事は出来ませんが、家の中にある蔵書の数は凄いです。
白洲正子の本に載っている書斎の写真はこの武相荘のゴチャゴチャした、正子の書斎だったようです。

普通は「水」の字だがここでは「寿」
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入館受付と武相荘グッズの販売。

最後の一寺は諦めて清水へ帰ります
時間は既に3:40。道路の混雑で予定よりもかなり遅れてしまいました。
あと1寺、次は弘明寺ですが、弘明寺は横浜の保土ケ谷の近く、かなり遠いです。もしかしたら行って行けない事も無いのかも知れませんが、万が一御朱印の受付時間に間に合わなかったら悲惨です。
最初から、無理なようだったら次回に回そう、としてあったので今日はこれで打ち止めにして清水に変える事にしました。

車も8:00までには返さなければならないので、遅くとも7:00までには清水に到着したいです。
ところが道路情報を見てみると、あちこち渋滞だらけで、沼津までの所要時間は2時間30分との電光掲示がでていました。
こりゃ、東名は止めようと言う事になり、小田原厚木道路、箱根新道、伊豆縦貫道と経由しようやく新東名の長泉沼津ICまで到着しました。
やはり東は道路が混みます。

次回からは何とか渋滞を逃れる事の出来るルート選びをしようかと思いますが、そんな道があるものなのか?

ようやく坂東再開第1回が終了

何とか坂東巡礼が再開できました。とは言ってもまだ3寺を廻っただけで、合計10寺クリヤー。まぁ慌てずにノンビリ観光しながらの巡礼旅で行ければと思います。
運転手さんも、混んだ道路ばかりで本当に疲れた事と思います。
お疲れ様でした。

伊豆88遍路 第8回

伊豆88遍路
宇佐美駅〜伊豆高原駅

気候も街道歩きには丁度いい気温になり、11月17日、第8回目となる伊豆88遍路に出掛けてきました。
今回は宇佐美駅から伊豆高原駅までの約20Km。距離はいつもと同じ程度ですが、今回のコースを地図で見る限りでは、伊東市内から一碧湖を経て伊豆高原までは、かなり長い登りが続きそうです。
ただ、今回安心できるのは飲食店には困らない事。
コンビニ弁当を持って行く必要は無さそうです。

宇佐美駅〜伊東駅

宇佐美駅前の商店街
宇佐美海岸

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伊豆88遍路 7回目

伊豆88遍路7回目の記事が消えた!!

熱海:お宮と貫一像

と言うことで、何処かへ消えてしまいました。
また、再掲する気力が出たら再度書いてみようと思います。

 

悪しからず!

伊豆88遍路歩き旅 第6回

いよいよ熱海峠を越えて伊豆東海岸へ出る

函南駅〜熱海駅 距離と標高グラフ

8月に函南駅まで進んだ伊豆遍路旅もいよいよ最大の難関、熱海峠越えです。峠までの登り坂は11Km、最大標高は735mと、数字を見ただけでビビってしまいそうです。

清水では名を知られる浜石岳でもその標高は706.8mですから、11Kmの斜面を歩いて浜石岳に登る感じです。11kmの平均勾配は5.3%

これはかなり気合いを入れて掛からないと酷い目に遭いそうです。おまけに途中でギブアップしたとしても公共交通機関がありませんから、残るは手段はタクシーだけになります。
しかし、この最後の頼みの綱のタクシーも、携帯は圏外(現地に行って判った)なので呼ぶ術も無い状況です。
結局、函南駅をスタートしたら熱海まで行くしか無いと言う事のようです。

7:30 函南駅をスタート

当初の予定では県道11号線(熱海函南線)に出て、そこから上がっていく予定でいました。しかし駅から11号線に出るには2Km 程戻らなければなりません
駅の向かい側の斜面に送水管があり、その横にかなり急な石段があるのを前回確認してありました。 “伊豆88遍路歩き旅 第6回” の続きを読む

伊豆88遍路熱海到着

3月にスタートした「伊豆88遍路歩き旅」も6回目で熱海まで来ました。札所も24番の般若院までクリヤーです。

これまで歩いて来た遍路路を繋げて見ると上記画像のようになりました。
距離にして115Km 。

全行程413Kmの四分の一を越えたばかりですが、一歩一歩は数十センチにしかならなくても10歩で数m、100歩で数十m、1000歩歩けば数百m進めます。

これから暫くは伊豆半島の東海岸を南下する遍路旅が続きます。年内に何とか河津までは辿り着きたいけど、果たして何処まで行けるか。

 

伊豆88遍路_5

早くも5回目の伊豆遍路旅

赤のラインが今回の行程(約10Km)

3月のまだ寒い頃スタートした伊豆88遍路の旅も5ヶ月が経ち、早くも5回目になりました。
毎日のようにテレビでは熱中症の話が出てきます。そのような状況の中で炎天下を歩くなんて、廻りから見たらどのように見えているのでしょう。
自分達を追い越していく車の中では「この暑いのに、物好きなじーさん達だ!」なんて言われているのかもしれません。

前回のスタート地点に立つ

前回のゴールは22番札所・崇福寺近くにあった「公民館前バス停」
取りあえずはここまで行かなくてはなりません。三島駅から箱根行きの路線バスに乗って20分程で到着しました。
これまでお世話になってきた「修禅寺線」(正式には「伊豆箱根鉄道駿豆線」)にもこれから暫くは乗る事も無さそうです。

 8:30am とまだ時間も早く、それに少し風もあるので思った程暑くはありません。しかし暑くはないと言ってもそれは晴天の8月盛夏ですから快適なウォーキング日和とは言えません。
何とか熱中症にもならずに無事ゴールの函南駅に到着したいものです。

ここは11年前に歩いた旧東海道。あれから早11年の歳月が流れている事を思うと刻の流れの速さに驚きます。
この辺りは広い道路も出来て、あの頃とは景色も様変わりしていました。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也  芭蕉

10Km先の函南駅を目指してスタート

錦田の一里塚

スタートからずっと緩い下り坂ですから水を飲んで暑さ対策していれば体力の消耗はあまり無い筈です。 “伊豆88遍路_5” の続きを読む