伊豆88遍路第2回目地コースデータ作り

行程マップを作成

カシミール3Dで作ったトラックデータを表示したマップ
距離と標高グラフ

3月初旬に友人達とスタートした「伊豆88歩き遍路」は毎月第一日曜に出かける事になりました。

こうしたものは、予定は最初から決めて自分自身にプレッシャー掛けないとなかなか先に進めないものです。

現に以前歩いた「塩の道」ウォークでは暇が出来た時に出掛けるようなものだったので、結局、相良から糸魚川までの全行程を踏破するのに足かけ6年も掛かってしまいました。

全行程のコースと寺の位置のGPSデータは作り、ハンディGPSアプリに入りましたが、スタートからの距離を示すマーカーは歩いた後でないと次回の計画は立たないので、これはその都度作る事になります。

今度の総距離は約21Km。山間地に入り山越えが2つもあるので、標高はそれ程ありませんが、それでも長い登りになりそうなので、これは結構体に堪えそうです。

距離マーカーも次回1回分を作り用意は万全。

しかし、一番肝心な体力がどうなのか?

 

 

西国巡礼第6回 2日目

翌朝、電話で起こされました。
時計を見ると6:45AM 
ギョギョ!
確か、昨夜食事は各自で摂って、7:30に出発と聞いたような.....

ここから荷物を纏めて着替え、トイレ、洗顔を済ますまでに約10分。
7:00過ぎには朝食ラウンジに行く事が出来ました。

長浜のホテルから長浜城までは直ぐ近くなので寄っていく事にしました。

長浜城

長浜城の太閤井戸
沖に小さく多景島が見えています。

長浜城は天正元年(1573)に羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名しています。
小谷城で使われていた資材や、浅井氏により竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城されました。

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西国巡礼第6回 1日目

昨年5月にスタートした西国三十三観音巡礼の旅も、暑い夏、また寒い冬の季節も過ぎ、スタートから10ヶ月、今回の6回目でようやく岐阜谷汲の華厳寺に辿り着き満願となりました。
今回のスタートは天橋立の西にある28番札所の成相寺になりました。丹後半島の付け根ですから、清水からではそこに行き着くだけでもかなり大変です。

2013年冬、初めて成相寺に行った時には電車利用の仲間3人との遊々旅でした。その一月後には一人で再訪。そして今回は夜立ちの車旅。 運転手さんも大変ですが、後部座席の巡礼者一同もなかなか大変です。 巡礼は苦行なのですから、これも苦行の一つなのでしょう。

清水から成相山展望台へ

金曜日の夜11時、清水を出発。道中長いので、早々に眠り薬を飲みましたが、なかなか眠れません。 何杯も呑んだら、滋賀県に入った頃には眠りについたようです。

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伊豆88遍路_1

 

伊豆88遍路 第一回 1日目

伊豆には江戸時代より伝わる「伊豆八十八カ所霊場」があった事を最近になって知りました。
その歴史は古く、開創800年を超す古刹が多く、これらの霊場の歴史はかなり昔まで遡れそうです。

最近になり、「伊豆霊場振興会」というものが主体になり、「いにしえからの遍路道」を発掘し、いよいよ、遍路道が「歩いて一筆書き」が出来るようになりました。
2016年には「札所0番」として、修善寺に事務所を借りて、お遍路さんのサポート体制を確立したようですが、残念な事に現実面では、実際に遍路する人の数もあまり増えて居ないらしく、この0番札所も近々閉じられてしまうようです。

そもそもの事の発端

以前、毎年出掛けていた友人との旅行も、仲間の一人が4年前に他界して以来途絶えてしまっていました。

たまには昔の仲間だけで何処かに出掛けてみよう、と言う事になり最初、温泉旅行を考えてみましたが、仲間の一人が発した「どうせ出掛けるのなら、何処かを少しでも歩いてこようヨ!」という一言から、この伊豆88霊場を歩く事になってしまいました。

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西国巡礼第5回

京都市内5寺

昨年5月に始まった西国巡礼も今回で5回目。京都市内の5つのお寺だけなので日帰りで行く事になりました。

これまでは全て車での移動でしたが、京都市内の狭い所で駐車場を探しながら廻るのでは効率が悪すぎます。そこで今回は大津駅前に車を駐めて、そこからは公共交通機関を使う事になりました

今でこそ、歩く事なしに西国巡礼旅は出来ますが、その昔、歩いて巡礼するしか無い時代、一体どのような人達が西国の札所を巡礼したのでしょう。
百姓は農産物(主に米)の農作業があるから巡礼に出掛ける事は出来なかったでしょうし、商人も江戸時代の豪商ほどの余裕はなかったでしょう。

特に花山法皇が33ヵ所の寺を廻り、西国巡礼の現在の様式が出来上がった平安時代、裕福なのは藤原氏、またその後の平氏くらいのもので、それ以外は寺参りどころでは無かったのではないでしょうか? “西国巡礼第5回” の続きを読む