伊豆88遍路 第10回

伊豆88遍路 第10回 稲取〜河津  正月気分の残る伊豆を歩く

河津駅から稲取駅に到着。いよいよスタートです。

昨年3月から始めた、伊豆88遍路旅も寒い3月から暑い夏を越え、2020年の新年を迎えました。令和2年の初回は正月も終わりかけた1月5日に稲取駅から河津駅までの約20Kmの遍路旅になりました。
正月明けの稲取の町は静かです。まだ店も開いていない町の中心部を32番札所の「善應院」目指して歩きます。

32番札所 善應院

本堂
堂内
まずは1つめの御朱印を頂けました。
石臼

創建された当時は稲昌寺という真言宗の寺だったようですが、その後1616年に曹洞宗に改宗しています。遍路と言うことなので、本来は88寺全てが真言宗だったと考えられます。しかしその殆どは改宗し、別の宗派になっています。
伊豆の地で真言宗がその力を落としていったという事になりますが、どのような理由があったのでしょう。
特に曹洞宗への改宗が圧倒的に多いのも何か理由があったのか?

1670(寛文10)年、大津波によりこの寺も大きな被害を受けましたが、本尊(十一面観音菩薩)だけがわずかに残ったと伝えられています。
境内入り口には「禁葷酒」と書かれた石塔が建っていました。前回の時も同じ物を何処かの寺でみました。

「禁葷酒」と書かれた石塔
西国観音巡礼の石碑のようです。

秩父巡礼の時も曹洞宗の第7番札所長禅寺にも同じような事が書かれた碑が山門前に建っていました。こちらは少し長く「不許葷酒入山門」の7文字でした。
この中の「酒」はそのまま酒の意味で良いのでしょう。もう一つの「葷」は臭いの強い食物の事を言うようで、ネギなどもこの部類に入るようです。
こうした物を口にした人は修行の妨げになるので、山門の中に入ることは許可できないといった意味なのでしょう。
この札所についてのこれ以上の情報は何としてもみつかりませんでした。

33番札所 正定寺

真っ黒な大仏が見えます。

善應院から港まで降り、そのまま港を回り込んでいくとその先に黒い大仏が見えてきました。真っ黒い大仏なのでやたらと目立ちます。
しかし境内に入ってしまうとこの大仏は本堂の裏になり見えなくなってしまいました。
その代わりに目に入るのは本堂前の一見、一休さん風の小坊主の人形。この寺のキャラクターなのでしょうか?

小さな山門
一休さんみたいな小僧です。

このお寺もこの前の善應寺と同じように創建時は真言宗の寺だったようですが、その後、慶長3年に浄土宗に改宗されています。
この慶長3年はどんな年だったのか見てみると「浅間山噴火」「秀吉の死去」が大きな事件です。
このような事件も改宗の何かの原因になっていたのでしょうか。

寺が改宗するというのはかなり大きな出来事と思います。
この正定寺の場合はどんな事があったのでしょう。

本堂
鐘撞きの翁

本堂の格天井の文字には96通りの全て違う書体で書かれた95枚の「寿」の文字が!
もともとは内陣の天井に一つの「寿」の文字があったそうです。
しかし、津波で流されてしまった為に、それを再現しようと書に覚えのある皆さんが奉納したのだそうです。
改宗のきっかけも津波による寺の荒廃などの理由による物だったのかもしれません。
無事、御朱印を頂き、先に進みます。

巨大な鳥の刈り込みが!!

山に巨大な鳥が!!

途中、稲取の町の裏山を見てみると山肌に鳥の姿が見えます。
一見、姿はスズメに見えるのですが、一体何なのかは分かりませんでした。
帰ってきてから調べてみた所、「稲取ふれあいの森」にある平和の象徴であるをかたどった刈り込みなのだそうです。
鳩の尻尾の辺りは展望台になっていて、稲取の街並みや海が一望できる絶景スポットなのだとか。

先に進みます。
次の札所は河津の町に入ってからなので、まだまだずっと先です。
正定寺から国道を3Km程進むと見高入谷入口信号があり、そこからは登りになりました。

それほどの急坂でもなく、田尻川に平行して上流部に上がっていきます。田尻川を越えてほぼ等高線に沿った道を進みます。
途中には犬も一緒に泊まれる宿もありました。こんな所にペットと一緒に泊まったら、宿泊費もそうそう安いものでも無さそうです
しかし、旅行に出掛けている間、ペットを見てくれる人が居ない人達にとっては有り難い宿なのでしょう。

ここらで休憩
伊豆七島の何処かの島
双体の道祖神
ようやく下りきって河津に出ました。何かの十四番札所になっているようです。

この宿の先の坂を登ればあとは河津まで下りです。最初予想していた程の峠越では無く助かりました。
見高入り口の信号から1時間半、距離にして5.5Km程で河津町に下りきりました。
時刻も11:25 昼飯時です。
このまま次の札所である三養院まで行こうとすると、途中に食事処はありそうもありません。
ここは食事を優先です。河津川の右岸に行き、まずは昼食を摂りました。
例によってビールで乾杯になったのは言うまでもありません。
この店で小宴会になり、店を出たのは入ってから50分程経過した頃でした。

この店に来る時に「河津桜」の原木の標識があったので、まずそれを見ていく事にしました。再び先程の橋を渡って河津川の左岸へ行き、少し下流方向へ歩くと原木がありました。

カワズザクラが一輪だけ!
河津桜の原木

この原木は飯田勝美氏が、1955年頃、河津川沿いで芽吹いているさくらの苗を偶然見つけこれを庭先に植えたもの。約10年後の昭和41年1月、ようやく花が咲き始め、勝美氏はそれを見届けて永眠しました。
その後の調査で新種と判明し、1974年に「カワヅザクラ」と名前が付けられました
オオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種と推定されています。

河津の町ももう少し経てば、カワズザクラが咲き誇り人で溢れかえるのでしょうが今は嵐の前の静けさ、誰も居ません。

34番札所 三養院

途中で休憩したかなり古い神社。
三養寺目指して、黙々と....

さて、原木も見たところで、次の札所、三養院に向かいます。
途中で休憩しながら歩く事1時間、約3.3Km を歩いてようやく34番札所 三養院に到着しました。

やっと到着です!
酒を呑んだら入るべからず!!
三養寺本堂

創立年代は不明ですが、開山の竺仙宗僊が1511(永正8)年に没していることから、それ以前と推測されます。 開山当時は千手院という寺号でした。
後に、豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、下田の鵜島城も攻撃され、時の城主であった清水上野介はこの寺に籠もり妻子と共に暫く過ごしたそうです。そのようなことから三人を養うといった文字が使われているのだとか。

庫裡で声を掛けても誰も居そうにありません。庫裡の入り口に住職への連絡電話番号が書かれていたので掛けてみましたが、これも繋がりません。
ダメか!とアキラメ掛けた時、別の建物から出てきた女性が受け付けてくれて、ようやく今日3つめの御朱印が頂けました。

本堂
昔使われていた駕籠のようです。
折り返し地点まで来たので本堂前で一休みです。
夜には「どんど焼き」なのでしょうか?

さて、今上がってきた道を今度は下らなければなりません。次の札所は35番の栖足寺になります。
しかし、そこへ行く前に寄っていきたい所が何カ所かあるので、まずは「大蘇鉄」を見に行ってみました。

大蘇鉄

大きいのだろうけど、然程に大きさを感じない大蘇鉄
お万の井戸

新町の大ソテツは、根周りが直径約2.5mで、そこから上空に向かって東西南北の方向に幹が出て、高いところでは10mにもなっています。樹齢600年以上と推定される大ソテツで、1936年(昭和11年)国の天然記念物に指定
スギやマツと同じ裸子植物の仲間で、字の如く、鉄分を与えると元気が出るということで、「蘇鉄」と書くようになったと言われています。
実際に見てみると確かに大きいのかもしれませんが、幹ばかり長く伸びて葉が一部しか付いていないので、大きさはあまり感じられませんでした。ソテツ自体も少し弱ってきているようで、こんな時こそ鉄を補給してやったらどうなのでしょう。

峰温泉大憤湯公園

噴出している所を見たかったのですが...ll

ここまで来たらすぐ近くにお湯の吹き上がる「大憤泉」があるようなのでこちらにも寄ってみました。
昔は自然と吹き上がっていたそうですが、今は源泉も枯渇気味なのか、定期的にポンプを利用して吹き上げているようです。この時間が合えば見てみたいと思いましたが、次の憤泉まではまだ1時間以上も待たなくてはならなかったので、諦めました。
かなりの高さまで吹き上がるようでした。

杉鉾別命神社

ようやく、今回最後の札所、栖足寺です。
と、思ったら、近くの神社に大楠があるようです。これまでも巨樹は必ず寄ってみてきたので、ここも是非寄らねば!!

河津川の土手を行きます。たまに開花したカワヅザクラがありました。

しかし、その神社までの道がはっきりしません、というかかなり遠回りをしないと行けないようなのです。地図を見てみると、畑の中を歩いて行けばそれ程遠回りをしなくても済みそうです。最短の畑を進みました。

この神社は別命河津木宮神社といい、延期式にも載っている式内社です。

この神社の行事に「鳥精進・酒精進」というものがあるようです。氏子は毎年十二月十八日から二十三日まで禁酒し
鳥肉・卵を食べないといいます。

まだ茅の輪が残っていました。
大きい!!!

これは昔、当社祭神・杉桙別命が酒に酔い、野に寝ていた時に野火が起き、火に囲まれてしまった時、そこへ小鳥たちが飛来し、羽根に水を含ませて消火して命を救った故事に由来するものと伝わります。

神社の歴史も凄いものがありますが、ここで見たいのは拝殿・社殿の奥にある大楠です。
この大楠は樹高24m 目通り周囲15m 推定樹齢1000年という立派な巨木で、1936年に国指定の天然記念物になっています。
確かに大きいです。函南で見た大楠も凄かったけど、これはそれ以上有りそうです。
巨樹ってのは見ていて気持ちがいいものです。

境内に置かれていたアメジスト。よく持って行かれないものです。
こちらが正面玄関のようです。

35番札所 栖足寺

本堂

いろいろと寄ってきた為に、遅くなってしまいました。
このお寺は清水区庵原町のお寺に嫁いできた知り合いの実家なのです。
事前に聞いていたので楽しみにしていたのですが、残念な事に葬儀の最中でした。
受付の女性は知り合いの女性の姪御さんに当たる方のようで、こちらの女性に御朱印も書いて頂きました。

河津川の河童は栖足寺の井戸に逃げ込み命が助かったそうです。
カッパの寺として知られるだけにカッパへのお供えのキュウリ。

栖足寺はカッパの寺としても知られていて、カッパを助けた礼に貰った「カッパの甕」というものがあるようでした。是非これを見てみたかったのですが残念でした。

本堂
東南アジアのタクシーのトゥクトゥク。これで近くにある南禅寺まで無料で送ってくれるようです。
ここでもどんど焼き?

栖足寺から車を駐めた駐車場までは僅かな距離です。車に戻って、清水に向けて出発です。

でも、清水は遠い。

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