伊豆88遍路 第8回

伊豆88遍路
宇佐美駅〜伊豆高原駅

気候も街道歩きには丁度いい気温になり、11月17日、第8回目となる伊豆88遍路に出掛けてきました。
今回は宇佐美駅から伊豆高原駅までの約20Km。距離はいつもと同じ程度ですが、今回のコースを地図で見る限りでは、伊東市内から一碧湖を経て伊豆高原までは、かなり長い登りが続きそうです。
ただ、今回安心できるのは飲食店には困らない事。
コンビニ弁当を持って行く必要は無さそうです。

宇佐美駅〜伊東駅

宇佐美駅前の商店街
宇佐美海岸

いつもの電車で熱海駅まで行き、そこからはJR伊東線に乗り換え、宇佐美まで行きます。
熱海まで直通で行ける電車はこの時間帯では6:38清水発の電車しかありません。
熱海駅で伊東線に乗り換え、伊東の手前の宇佐美駅まで行きます。
進むに従い交通費も掛かるようになってきました。そろそろ車で行く事も考えなければならない時期なのかもしれません。

思えば、もう10年以上も前、東海道を歩いた時には、全20回(21日)の殆どは日帰りで、鉄道も殆どは在来線利用でした。よくも在来線だけで歩き通したものだと今更ながらに感心してしまいます。まだ若く(とは言っても還暦チョット手前)根気もあったのでしょう。

宇佐美駅前の商店街も日曜の朝ということなのか、静かなものです。もしかしたら一日中シャッターの開かないシャッター通りになってしまったのか?

そういえば、宇佐美には友人がいました。最近では年賀のやりとりも無くなってしまい、音沙汰なく、今は一体なにをしているのか。彼にはもう30年も前、バイクで事故った時に大変お世話になった恩もあります。
元気で居てくれればいいのですが。

まだ車は少ないのですが....
初島。伊東からだと結構大きくみえる初島。
天気は良く、歩くには良い陽気です。
海鵜のようです。

伊東まではその殆どは国道歩きになってしまいます。国道脇の歩道を歩く自分達はどんな風に見えているのでしょう。
きっと「もの好きなじーさん達が歩いてる! 歩いて何が楽しいのか!」なんて言われている事でしょう。
車の騒々しさにメゲて、旧国道に逃げました。少しは静かになったようです。
宇佐美から伊東まではそれ程の距離はありません。

伊東駅〜一碧湖

温泉まんじゅう

伊東駅前の饅頭屋で

同行の一人が「温泉饅頭」を買いたいというので、店のある駅前に行きました。彼が欲しがっていたのは周りを揚げた「揚げ饅頭」でこれをバラ買いし、食べながらの行軍です。
確かに、この饅頭は旨かった!
この揚げた饅頭は最近は何処へ行ってもありますね。

東海館

松川の右岸からの東海館

伊東市内にある古い旅館「東海館」の近くを歩くようなので少しコースを変えて行ってみました。これまで、伊東は通り過ぎるだけでしたから、この建物を見るのはは始めての事でした。
凄く狭い松川通りと松川の間にある建物なので、車で来た場合には駐車するのも難しそうです。
折角のこんな機会なので入ってみる事にしました。

何とも狭い松川通り
3階建ての堂々たる構えです
館内の客室
部屋の書院の建具
何とも豪華な大広間。

「東海館」は昭和3年に庶民の温泉宿(その割には豪華)として開業し、平成9年にまで営業を続けました
廃業後は伊東市に寄贈され、その貴重な木造建築を後世に伝えるために、平成13年に観光施設として新しく生まれ変わりました。

東海館からの松川上流方向
大広間のマネキン
大正末期の海岸通りの写真

土、日、祝日は館内の風呂(加温はしているものの、掛け流し)にも入る事が出来るようです。
建物は木造3階建てで、その上に望楼がついていて洒落た形をしています。ただ、この全景を写真に納めるには伊東大川(松川)の対岸に行かないと無理。
有名な伊東のタライ乗り競争は東海館の前で行われるようですが、正直このあたりを流れる水は一見綺麗そうには見えませんでした。時間が満潮時だったからか?

東海館まえの松川。タライ乗り競争はこの辺りで行われる

K’s house Ito Onsen

東海館とK’s House 伊東
逆方向から

東海館の隣にも似たような望楼を持つ、古い建物があります。
こちらはケイズハウス伊東温泉
外国人旅行者やバックパッカーを対象にリーズナブルに宿泊できるホステルとして平成22年にオープン。
元々は大正末期に建造され、平成19年に閉館した老舗旅館「いな葉」の木造建築と温泉を継承しています
日本人も泊まる事は出来ますが、宿泊客の80%は外国人のようです。

そうそうゆっくりしている訳にもいかないので、先を急ぎます。
松川の対岸から見ると、東海館の四角の望楼、K’s house の円形望楼と、望楼を持つ建物が二つ並び、何とも風変わりな景色となっています。

松川遊歩道

竹灯籠の並ぶ松川遊歩道
「いでゆ橋」の袂で

松川沿いの遊歩道(松川遊歩道)には凝った細工の施された竹灯籠がずっと並んでいます。この竹灯籠はLEDが付けられていて、来年の春までは夜間点灯されるようです。
また、この遊歩道にはサクラが植えられていますから、春はさぞかし綺麗な夜桜も見る事ができるのでしょう。

葛見神社の大楠

巨木ではあるけど、傷みが酷い

松川遊歩道の外れまで来て山の方に向かって少し歩くと、神社があります。延喜式神名帳の「久豆弥神社」という説もあるようですが、これははっきりしていないようです。
拝殿の左に聳える目通り幹囲約15メートルの大樟は樹齢1,000年を越えると言われ、昭和8年(1933)に国の天然記念物に指定されています。
この日は11月の17日。丁度「七五三」のお祝いをする時期でもあり、着物をきた女の子同伴の親子連れも参拝に来ていました。

27番札所 東林寺

東林寺 山門
鐘楼。まだ出来て間もないようです

葛見神社から少し進むと右に入る東林寺の参道がありました。境内に入ると嫌な予感が。
何かの法事があるようで、庫裡には大勢の礼服をきた集団が!
御朱印はダメかも?と思いながら頼んだところ、何の問題も無く快く御朱印を頂けました。おまけに、まだ時間があるので本堂も見ていってくれ、との事。
でも、本堂に入った途端に法事の団体さんが入ってきて、そうそうに退散。

東林寺は、伊東祐親が、我が子河津三郎祐泰の菩提を弔うために創建した曹洞宗の寺院。
伊東祐親は、治承4年(1180)に源頼朝が挙兵すると平家方に付き、石橋山で頼朝を敗走させたが、富士川の戦いの折に捕らえられ、預けられていた三浦義澄邸で自刃したと伝えられています。
以後、東林寺は伊東家の菩提寺となりました。
伊東祐親の子河津三郎祐泰は、安元2年(1176)、工藤祐経との領地問題のもつれから殺害されました。
祐泰の子は、母の再婚先の曽我家で成長し、建久4年(1193)に源頼朝が催した富士裾野の巻狩りの際に仇討ちを決行し、見事に工藤祐経を討ち取りました。
これが有名な「曽我兄弟の仇討ち」。東林寺には、河津三郎祐泰と子の曽我十郎祐成・五郎時致兄弟の墓があります。

この日、20Kmも歩くのに、廻る札所はこの東林寺だけ。伊豆88カ所の札所も東海岸には少ないのです。下田以南になるとその数は増えていきますが、これをどうして廻ればいいのか?と頭を傾げてしまうような所ばかり。
これはパズルを解くようなもので、それはそれで結構楽しいものです。

さて、昼飯だ!!今日は食事処には苦労しないはずだったが.....

昼飯はラーメン

東林寺を過ぎると暫くの間は急坂が続きます。使っているGPSアプリの「スーパー地形」にはトラックデータ(コースデータ)を傾斜で色づけてくれる機能があり、これで見るとここから先は真っ赤(急な登り坂)な所が続いています。
急坂を上り詰めようやくR135に出ました。しかしまだ暫くは緩いながらも坂道が続いているようです。

国道添いには沢山の食事処がありますが、時間も丁度12時。どこも混んでいて外で待っている店まであります。国道に出て1Km、ようやく空いている店を見つけました。

喜楽 結構旨かった!!

時間を待つ店より、空いている店が一番。
自分には外で待ってまで食べたいという欲はありませんし、それにそんな時間もありません。
いつものようにビールで乾杯です。
ここで半チャンラーメンを頼んだら、ラーメンの量が多い!!
空いていたので味は期待していませんでしたが、これが意外に旨い!!
やはり、外で並んでまで待つ事も無いのだ!!!

満腹状態になりました。
ここから一碧湖まではかなりの急坂の連続です。

一碧湖

ビールを飲んでしまった事を後悔したくなるような急坂が続きます。さっきまでより、足への負担は2Kg以上は増えている事でしょう。
ようやく峠まで登り切り、下りになるのかと思ったら、一碧湖の湖畔までは下っていかずに、更に緩い登り坂を行くようで、体を休める事も出来ません。

一碧湖までの登りはかなりキツイ!
ようやく見えた一碧湖

一碧湖にはもう何十年も前、1度だけ来た事がありましたが、こんなに何も無かったか?湖畔まで降りていかないので見えないだけなのか?

周りは別荘地のようですが、あまり綺麗になっているとは言えず、何か寂れてきてしまったように見えます。

あちらこちら街道を歩いていると、バブル期の残骸のような光景に結構出くわします。荒れ放題になったホテル、土産物屋、食堂、レストラン等々、当時そこに投資された資金総額はいったいどれ程になるのか。

やはり堅実が一番なのでしょうが、皆がそうなってしまっても困ります。やはり、誰かが得したり、誰かが損したりで良いのでしょう

一碧湖〜伊豆高原駅

一碧湖からも登りが続く

一碧湖から再びR135に合うまでのこの間、約1.5Kmがキツイ!!
そこそこの傾斜の坂道が延々と(と言っても1.5Km程度なのだけど)続くともバテバテ。途中に休めるような所も無いし、ただただ、道路脇の歩道をとぼとぼと歩くだけ。

街道歩きってのはこんなものです。これは街道歩きじゃ無く、お遍路なのだから、大変なのが当たり前なのだ!と自分に言い聞かせながらの行軍です。

まぼろし博覧会

まぼろし博覧会 展示は支離滅裂!
まぼろし博覧会 何を表現しているのか?

ようやく国道に合流すると左に何か廃業したような何かの施設が見えてきました。近くまで行くと「まぼろし博覧会」の看板があります。
思いだしました。
ネットで偶然見つけたこの「まぼろし博覧会」の動画を以前みて、何ともバカバカしく、何とも訳の分からない所だと思ったのは2ヶ月程前。
それがこんな所にあるとは。

バカバカしいのだろうけど、入ってみました。
姿を現したのは、金髪のおねぇちゃん。
と思いきや、これは自分達と同年代と思われるここの社長さんのようでした。
ネットではセーラちゃん」として知られているようです。

1200円の入場料を払って中に入りました。
セーラちゃんのいうには敷地面積は後楽園の3倍、そこに展示されているアイテム数は?分からない、との事でした。
そう言いながら、ここで出会ったスタッフは、このセーラちゃんとチケット販売のおにぃさんの二人だけ。

実際に入ってみると、何と説明したらいいのか?
説明のしようが無いのです。
バカバカしいと思いながらも、次は何があるのか?と期待してしまうおじぃさん4人。

まぼろし博覧会 その3
まぼろし博覧会 その4 以前は植物園だったような形ですが.....

意外なのは、結構の入場者がいて、それが圧倒的に若い人達ばかりだという事。展示されているものは50歳以上でないと興味も涌かないような物ばかりなのですが、若い人達には何が受けるのでしょう?

単にネット上での評判で来ているのか?(これが正解かも?)
入って1時間ほどで1周回りました。入ったばかりには異常な世界と思えた「まぼろし博覧会」も出る事には自分達の頭も順応してしまったようです。
強烈な思い出になった「まぼろし博覧会」は暫くの間、記憶にとどまっていそうです。

崔如琢美術館

崔如琢美術館
美術館前で最後の休憩。といってもまだ4Kmはありそう

「まぼろし博覧会」の毒気に当てられ、些か体力も落ちた4人でしたが、そこからは登りは無し、伊豆高原駅までは緩い下り坂になります。

そこまでの国道添いにも廃業した店も何店かあり、また、出来たばかりなのか、綺麗な美術館があったり、と観光地の浮き沈みの激しさを感じます。
そんな中のひとつが伊豆高原で国道脇にあった「崔如琢美術館」。これ、何て読むのかと思ったら「さいじょたく」なのだそうです。

崔如琢は中国で最も著名で、人気、実力ともに最高峰の現代中国水墨画家の一人なのだそうです。凄い建物で、駐車場もかなり広く取ってありました。
しかし、この伊東の観光地で水墨画に興味をもち、入館する人はどれ程居るのでしょうか。

伊豆高原駅

崔如琢美術館から大凡4Km歩くと伊豆高原駅入り口の交差点に到着です。ここを右方向に登って行けば美術館の沢山ある地区を経由して大室山へ行けるようですが、そんな時間の余裕も元気もありません。

大室山の下辺りまで来たみたい

遍路路としてはここが今回のゴールになります。
駅へはここから海の方に少し下っていきます。この道路添いにはサクラが植えられ、春にはサクラトンネルが出現するようです。
次回はここからのスタートになりますから、先ずは坂登りになるようです。

伊豆急 伊豆高原駅

ここから熱海までは約1時間。座る事が出来てヨカッタ、ヨカッタ!!
熱海からの東海道線も始発なので余裕で座る事が出来ました。駅で日本酒の1合パックを買い、これでチビリチビリやりながらの帰路になりました。
3月のスタートから8回(9日)で総歩行距離は153Kmになっていますが、実際の距離はこれより数キロは長いはず。

まだ、中間地点までも届いていません。
次は伊豆高原〜稲取の約20Kmの遍路旅になりそうです。

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