佐屋街道1日目
10年ほど前の2008年から2009年にかけて旧東海道を歩き通しました。その時には宮から桑名までの所謂七里の渡しと呼ばれる船で移動していた部分は電車で移動して良しとしました。
その後、この区間には「佐屋街道」と呼ばれた陸路を行く街道があった事を知りました。
熱田神宮の南で東海道から分岐して佐屋宿まで陸路を行き、そこから桑名までの三里の渡しを船で渡ったようです。
いつもの街道歩きの仲間から、何か良いところを見繕って!と言われ、この街道を思いだし今年初めての街道歩きはこの「佐屋街道」になりました。
調べてみると熱田から佐屋までの距離は24Km程。一日で歩けない距離ではありませんが、ノンビリと行く事にし、桑名に宿を確保して一泊二日の佐屋街道歩きになりました。
さて、どうやって行こうか?
名古屋市内に入るのは嫌だし....
地図を眺めていたら、新東名高速の東岡崎インターから名鉄の本宿駅までの距離が短い事に気がつきました。旨い具合に駅の高架下には駐車場もあるようです。
本宿駅から名古屋市内へ
10年ぶりの宮の渡し
さて、佐屋街道歩き当日、本宿駅に車を駐め名鉄で熱田神宮前の「神宮前駅」まで行き、ようやく街道歩きスタートです。
しかし、取りあえずは宮の渡しまで行ってからスタートする事にしました。
10年ぶりの宮の渡しです。
10年前には自分も、また一緒に歩いた仲間も若かったです。
既に他界してしまった者も居て、10年という時の流れを実感します。
佐屋宿に向けて宮をスタート
10年前の思い出に浸り、さて、佐屋街道ウォークスタートです。
名古屋の道路は広い!!
熱田神宮前の道路(伏見通?)は片側5車線。渡るだけでも年寄りには大変そうです。
岡部又右衛門の屋敷跡
スタートしてすぐ、熱田神宮南西角にあたる街道沿いに「岡部又右衛門」の屋敷跡碑がありました。調べてみたらこの岡部又右衛門という人物は凄い大物でした。
彼は熱田神宮の宮大工だったようで、あの信長の城、安土城を作った棟梁なのです。
と言う事は映画「火天の城」で西田敏行が演じた役と言う事になります。
当時の面影はなく、屋敷跡はコンビニになってしまっていました。
これから先もあまり見るべき物もありそうも無いです。
ただただ西へ西へと歩くだけです。
食事処が無い!
そろそろ昼も近くなり何処か食事の取れるところは?と気をつけて探しますが、あっても皆休業、または廃業したお店ばかりです。
街道を外れて探しているうちにいやに人混みの激しい通りに出ました。 どうやら神社のお祭りのようです。
七所社のきねこさ祭
食事を摂れる所は無いかと聞いてみても近くには無いとの事。 仕方ないので、祭りの出店で売られていたお好み焼きみたいなもので昼食代わりにしました。
あー、今日は食事処で困る事は無いと思っていたのに.....
それにしても賑やかなお祭りです。 そのうちに警察の車も来て十数人降りてきました。
神社の境内で地元の人に聞いたところ「七所社」という神社で、今日はここで「きねこさ祭」が行われているようです。
このきねこさ祭りの中心は後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名。
神社内の社務所で3日間の潔斎(早朝の冷水での禊など)を経て祭り当日を迎えます。また、参道の入口には、氏子の手による大注連縄が飾られます。 隣を流れる庄内川での川祭り神事、古式行列、境内での厄除け神事などを行っており、このきねこさ祭は尾張三大奇祭の一つにもなっています。
庄内川で行われる川祭りは、祭り当日の役者(祭りの中心者)が笹竹を持って、庄内川に向かい、川の中程で竹を立て、一人が登り、竹の倒れた方向でその年の吉凶を占う勇壮な神事のようです。
残念な事に、冷たい強風の中でこの神事が始まるのを待つ気力も無く、先に進みました。
きねこさ祭
今年のきねこさ祭りの様子。今年は南に倒れたので吉兆なのだそうです。
横井庄一さん
庄内川を渡って3Km程先には、昭和48年、現地の人に発見されるまでの28年間グァム島のジャングルに潜伏して生活していた「横井庄一さん」の記念館があるようなので見学していこうと予定していたのですが、それらしきものは見つからずに諦めました。
グァム島で見つかった当時、随分と大きなニュースで取り上げられた事を覚えています。もうあれから47年、横井さんも、横井さんの後、ルバング島で見つかった小野田さんも既に帰らぬ人となっています。
今年は終戦から74年目。全ての出来事が遠い昔の出来事に思えるような歳になってしまった自分も既に67歳。戦後は遠くなりにけり、です。
佐屋街道をこれから先に進んでも、あまり見るような物もないようなので、佐屋街道ウォークは早めに切り上げて桑名で観光する事にしました。
ウォーキングはここでゴールにして桑名へ
街道沿いには名鉄のバスが通っていてバス停もありました。
20分ほど待っていると津島駅行きのバスが来ました。これに乗り津島駅まで行き、ここからは名鉄電車で弥富駅へ。
弥富からはJR関西線で桑名まで行き、駅前のホテルに早々にチェックインしました。
六華苑
自分にとっては10年ぶりの桑名です。 まだ時間が早いので、今日のうちに七里の渡し場や六華苑を見ておく事にしました。ホテルに荷物を置いて寒い桑名の町を六華苑に向かいます。
六華苑は、明治時代、大地主であった諸戸家の邸宅として建てられました。
洋館の設計は鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによるもので、四層の搭屋を持つ洋館と和風建築及びその前庭の池泉回遊式庭園などがあり、明治・大正期を代表する貴重な建物として国の重要文化財に指定されています。
和館は諸戸家お抱え大工であった伊藤末次郎が棟梁を務めて建築されました。
今年のNHK大河ドラマ「韋駄天」でも度々登場しているので、観光客も増えているようです。
建物周辺も10年前の東海道歩きの頃とは違い、随分綺麗に整備されてきていました。
揖斐川と長良川
揖斐川の河岸に出ると、目の前を流れる揖斐川の向こうには大がかりな河口堰のある長良川、そして長良川の向こうには「ナバナの里」の展望タワー「アイランド富士」が見えています。
長良川河口堰
建設当時は賛否両論、大きな問題を抱えながら1500億円もの建設費を掛けて作られた長良川河口堰でしたが、今では殆どその存在理由は無くなってしまっています。
2015年時点で運用開始から満20年を迎えていますが、この20年間の維持管理費が既に239億円となっていいますから、現在では300億円近くにまで増えているのかも知れません。この維持管理費は税金を使って支払われているのですから、行政も随分といい加減なものです。
長良川河口堰は不要公共工事の典型的 なものに成ってしまっているといわれていますが、未だに反省も、またこの無駄に対する責任も見られぬまま、同じような公共工事が行われているのですから何とも情けない話です。
七里の渡し場を見てホテルに戻りました。
折角桑名に来たのですから、やはり「焼きハマグリ」は食べなければ!
東海道の時に寄った店はどうやら桑名では一番上等なハマグリの出る店だったようです。
道理で旨かったはず。 しかし、この店でハマグリ食べながら呑んだら一体幾ら掛かる事か!
そこで今回は安い店で済ませましたが、それでも結構旨いハマグリでした。