踊子歩道を歩いて来たぞー!

雨が続く9月末、雨マークの続く中で、一日だけ晴れのマークが付いた9月28日、前回の「持統天皇行幸の道」を歩いて以来となる街道歩きに出掛けました。
行き先は伊豆半島のど真ん中。三島と下田を結ぶ「下田街道」の一部を「踊子歩道」として整備した街道で、距離も一日歩くには丁度良い18Km程度。それにこれまでと違い県内ですから、行き帰りに掛かる時間も短時間で済みます。

清水を6:00am に出て、1時間半ほどでスタート地点となる「浄蓮の滝」に到着やはり県内は近い!
河津に向けてスタート!

日帰りですから荷物も少なく、リュックを背負うだけで準備OK。
7:45am 河津に向けて出発です。
国道を進むのではなく、浄蓮の滝駐車場の反対側にある細い道に入ります。標識がしっかりしているので迷う事も無く進めます。


林道に入り、暑くもなく寒くもなくまた、静かな街道を進んでいくと、段々林道も荒れてきました。それに最初はしっかり設置されていた標識も見当たらなくなり、GPSで位置を確認しても予定していたコースからはかなりづれて来ています。

道を間違えている!

荒れた林道を上へ上へと暫く進んで行くと、とうとう道が消えてしまいました。
途中に分岐点は無かったようでしたが、見落としたか? どうやらミスコースのようです。沢を渡ればその向こうには道があるようなので、沢を渡ってみると、整備された舗装路に出ました。

ミスコース

そろそろ国道を横切って反対側の細道に入らなければならない地点なので、早くしないと反対側への入り口を行き過ぎてしまいます。焦りながらもようやく下の国道に降りる道を見つけ、下っていきました。

道路に出る事が出来ない!!

ようやく国道に出た!と思ったら、目の前にはネットが張られて道路に出る事が出来ません。自分たちが降りてきたここは前にある道の駅の一部で、「天城グリーンガーデン」として整備されているようです。公園の保護のためにネットで囲っているようでした。
たまたまその公園の中に降りてきてしまったようです。

すこし移動すればネットが切れるのでは?と思って道路に出る事の出来るネットの切れ目を探しても、かなりの距離にわたってネットは張られているようでした。
乗り越えようかと思っても、滑ってダメ。
そこで下を持ち上げてみたら人が何とか潜れるくらいの隙間が空きました。身を屈めてネットを潜り抜け、やっと国道に出る事が出来ました。全員が出た頃、この前にある道の駅の係員の方が鍵を持ってきて扉を開けてくれました。
もう少し早く来てくれれば、こんな窮屈な思いをして潜り抜ける事も無かったのに!
この係員の方の説明ではもう少し北側(浄蓮の滝寄り)に降りてくるのが正規の踊子歩道との事でしたが、そんな林道でそんな分岐点は気が付きませんでした。
見落としたのか?
街道はこの道の駅(道の駅 天城越え)の敷地内を通り、ここからは国道の西側を国道に平行して南に向かっているようです。


ここからは庭園の遊歩道を歩いているのかと錯覚するような綺麗な小道が続きます。天城ではわさび栽培が盛んなくらいですから、綺麗な水が豊富で、至る所に水路があり、綺麗な水が流れています。

超太い藤蔓


暫くは大谷川(狩野川の源流)に沿った綺麗な小径を進みます。水は綺麗なのですが、魚の姿は見えません。
ワサビ田も何カ所かにありましたが、長野のような大規模栽培は無いようです。
それにしても、この踊子歩道は何処で維持管理しているのでしょう見事なくらい綺麗に管理されていて、驚くばかりです。

大谷川の清流
森林鉄道の車両

傾斜の無い、平らな所に森林鉄道の車両が置かれていました。この辺り一帯は天城の国有林の一部を公園「天城ゆうゆうの森」として整備したもので、以前はキャンプ場となっていましたが、今は閉鎖されています。この一角に置かれているこの車両は?
天城にも森林鉄道があったのか?と思いましたが、鉄道が走る事の出来るような森林ではありません。
後で調べてみた所、これは何故か木曽森林鉄道で使われていたものをこちらに持ってきて保存展示しているもののようです。
しかし、説明など一切無いためにここに置かれた詳細などは全く分かりませんでした。
回りには2坪ほどの区画で区切られた土地が何段にもなっていて、かつての何か(バンガロー等』の痕跡に見えましたが、これも後で調べてみたら、キャンプ場として解放されていた時のテント場だったようです。

天城ゆうゆうの森

綺麗な森林の中を気持ちよく歩いて進んでいくと、ようやく国道と旧天城山隧道を通る旧道との分岐点に出ました。

天城山隧道への登り口

現在、天城山隧道までの天城側からの道路は途中で崩落しており、通行不可となっています。歩行者でさえ通行禁止になっていたようですがこれは気がつきませんでした。すぐ下の水生地下駐車場から天城山隧道に向かう人はこの「人の通行不可」の標識を見る事が出来ますが、浄蓮の滝から歩いて来た人は標識の先に出るの見ずに先に進んでしまいます。

国道の下を行く
天城山隧道へは通行止め
川端康成像

川端康成の小説『伊豆の踊子』や、松本清張の小説『天城越え』で有名なこのトンネルは、正式名称を天城山隧道といい、1905年(明治38年)に完成しました。全長445.5メートル、アーチや側面などすべて切り石で建造された日本初の石造道路トンネルであり、日本に現存する最長の石造道路トンネルとなっています。

天城山隧道(天城側入り口)

トンネルを抜けた所に駐車場らしい広場があったのでここで少し早めの昼食にしました。日当たりも良いので、寒くならずに済みそうです。昼食と行っても途中のコンビニで買ってきたムスビだけの簡単なものです。それでも、歩いて来て食べるコンビニ弁当は美味しいです。
ここからは河津までずっと下り坂になるはず。天城越えの旧街道ですが、道路幅は思っていたより広く、河津側から上がって来る何台かの車に会いました。車で上ってきてトンネル見てまた車で戻ってもつまらないでしょうに......

かんてん橋

ここからはつづら折れの道を下ります。途中にあったいかにも古そうな橋は石川さゆりの「天城越え」にも登場する「かんてん橋」
橋の袂にはかんてん橋バス停もありました。

何故?かんてん橋なのか
1875年(明治8年)に近くに建設された寒天製造工場に由来するようで、これとは別に、ここを通って乾燥した天草が長野へ運ばれていった事もこの橋の名の由来ともなっているようです。
長野へ運ぶのに何故海岸線の道を行かなかったのか?と思いますが、東海岸の道路(国道135号線)が開通したのは昭和28年(1953)、西海岸の道路(県道17号線)はそれよりもずっと遅く、昭和43年(1968)となっています。
という事から、物流の為の道路はこの当時、内陸部を通っていた下田街道しか無かったというのがその理由なのです。

ようやく河津川へ下っていく山道の標識がありました。ここから下まで下れば河津川に出て、その川を下っていけば河津七滝の一番上流にある「釜滝」に出るはずですが、滝はまだまだずっと下流です。

河津七滝・釜滝

ようやく釜滝に降りていく階段がありました。かなり急な木製の階段で瀧の飛沫でいつも濡れている為にかなり滑りやすく、ここで滑ったら痛いどころで済みそうもありません。慎重に慎重に下り、滝を真横から見る事の出来る階段の踊り場まで来ると滝のしぶきに二重の虹が架かっていました。

この位置から見る釜滝は結構迫力があり見応えがあります。滝をこの位置から見る事の出来る滝も珍しいです。
七滝を下流から上がってきたら、ほとんどの人は、せいぜい初景滝まで来たところで折り返してしまい、ここまで上がってくる人は稀でしょう。
しかし、一番上流にあるこの釜滝が七滝の中でも一番の滝と言えます。
ここからもかなりアップダウンを繰り返しながら河津川に沿って下っていきます。
河津七滝は上流から順に
釜滝  えび滝  蛇滝  初景滝  かに滝  出合滝  大滝 の七つの滝で構成されています。

初景滝 伊豆の踊子像

滝壺の手前に「伊豆の踊り子」の像があるのが初景滝。30年程前に来た時にここまで上がってきて見たこの像の記憶が残っていました。
ここまで降ってくると、道もほとんど平らになり、大勢の観光客とすれ違うようになります。

七滝の散策路横に「大岩成就」と書かれ、川の中の大きな石の上に洞がありました。何かと思ったら、3個100円の石を投げて、大岩の上にある受け皿に乗れば願いが成就する、といった趣向のようです。こんなのが2カ所ほどありましたが、元でも殆どゼロ、人も必要無しで、人件費ゼロ。
旨い事考えたものです。


これまた、伊豆の踊子に因んだ像ですが、これまでに映画化された伊豆の踊子の一覧が掲載されていました。

1)昭和8年   田中絹代・大日方伝
2)昭和29年   美空ひばり・石浜朗
3)昭和35年   鰐淵晴子・津川雅彦
4)昭和38年   吉永小百合・高橋英樹
5)昭和42年   内藤洋子・黒沢年男
6)昭和49年   山口百恵・三浦友和


ようやく七滝の入り口に到着しました。浄蓮の滝からここまで 15.5Km。予定していた湯ヶ野のバス停にはまだ3キロ程残していますが、そこまで行くと予定していたバスに間に合うかどうか?

今回はここをゴールとしました。
しかし、最期の大滝が残っています。
でも、これを見る為には今いる位置から谷底まで降りていかなくてはなりません。谷もかなり深いようで、浄蓮の滝からずっと山越えをして歩いて来た身にはこの大滝までの上り下りは体に堪えます。

大滝

大滝は落差30mあり、これは七滝の中でも一番の落差となっています。しかし、この谷底まで降りてくる観光客はあまり居ないようです。ここまで降りてくるのは若い人達くらいのものでしょう。
再び上の通りにヒーヒーしながら登り、少し休もうとしたら、バスが上に向かって走っていきました。行き先は「修善寺駅」となっています。このバスが奥でUターンして戻ってくるようです。バス停の時間を見ると2:36 の便がありますから、これなのでしょう。
暫く待っているとようやくバスがやって来ました。乗客は数人しか居ません。こんなに少ない乗客でもしっかり動いていてくれるのですから、有り難い事です。

バスは出発してすぐにループ橋を上がっていきます。この橋を通るのも何十年ぶりになるのでしょう。数時間掛けて歩いて来た踊子歩道もバスで戻れば30分程で浄蓮の滝に到着です。流石は文明の利器。
この路線バス、天城峠あたりから浄蓮の滝までは何処でも止まってくれるようなので、さぞかし地元の人には重宝しているのでしょう。

浄蓮の滝

浄蓮の滝の由来は昔この近くに「浄蓮寺」という寺があった事によるものらしく、何とも単純でした。
せっかくの浄蓮の滝なのでこれも谷底まで降りて観て行く事にしました。しかし、同行二人は最近見た事があるらしく(それともバテたか?)下まで降りたのは二人。先ほど見た大滝と同じくらいは下っていかなくてはならないようです。苦労して谷底まで降りて見た浄蓮の滝でしたが、今日見てきた河津七滝に較べると滝の姿は単調で、面白味がありません。
さて、清水に戻って反省会です!

浄蓮の滝

奈良に行ってから久しぶりに出掛けた日帰りの街道歩きでしたが、やはり歩き旅は良いものです。特に今日の天気は暑くもなく寒くもなく、また雨の心配も無しと最高の条件に恵まれました。
でも、夜、宿で酒飲みながらの一泊歩き旅がいいですね。次回は奈良、葛城古道と二上山の予定です。
今年3回目となる奈良の歩き旅、今から楽しみです。

 

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