桶狭間の戦いは今川義元の命日
今日5月19日は今から459年前の永禄3年(1560)にあの有名な「桶狭間の戦い」のあった日です。そしてこの日は信長に負けた今川義元の命日でもあります。
この義元の命日には毎年、今川氏の菩提寺である静岡市の臨済寺でも特別拝観が出来るようになります。
特に今年は今川義元公生誕500年という事で、静岡市でも前からいろいろと話題に上がっていました。
今年2月には愛知県豊川市の大聖寺に寄って、義元の胴塚を見てきています。どうせなら胴塚だけでなく、セットで首塚も見ておかねば!
今年は大聖寺との合同供養祭も行われたと先日の新聞でも報道されていました。
徳願寺 北川殿の墓所
以前にも一度この特別拝観に行った事がありましたが、生誕500年という節目の年ならば、是非とも行ってみたいと、何人かを誘って出掛けてみました。
開門まではまだ時間があったので、時間潰しに安倍川西の山の中腹にある徳願寺まで登ってみました。
この徳願寺は静岡市を見下ろせる絶景ポイントでもあります。これから行く臨済寺の場所には元々、今川義元の祖母であった北川殿の別邸が建てられていました。
この北川殿の墓はこの徳願寺にあります。
北川殿は北条早雲の姉で、駿河今川氏8代、今川義忠の妻で、義元の祖母でもあった人物です。
どうやら、徳願寺では今から葬儀があるらしく、会葬者が集まりつつありました。細い道路をここまで車で上がって来る親族も大変な事でしょう。
時間もそろそろいい時間になったので、臨済寺の前まで行ってみたところ、とても車を駐めるどころではありません。近所の有料駐車場を探してみましたが、どこも満車です。結局、少し離れてはいますが、浅間神社の駐車場へ駐めてそこから歩いて行くしかありませんでした。
以前来た時には寺の駐車場に駐車出来ましたから、それ程混雑していたという記憶は無かったのですが、臨済寺の前まで行ってビックリ!
開門は午後1時という事だったのに、すでにかなり前から長蛇の列です。
やはり生誕500年という節目の年という事で、この特別拝観の情報も広く周知されていたのでしょう。
しかし、この列の中に入って開門と同時に境内に入ったら酷い混雑だろうと、列に繋がり境内に入る前に、まずは横にある墓地の方に行ってみました。
太原雪斎 今川氏輝 中村一氏 3人の墓
墓地の最上段には、この寺の二世住職であり、また義元の軍師としても知られる太原雪斎の墓、その横には義元の兄で、駿河今川氏十代当主、今川氏輝の墓、そして豊臣時代、駿府城主として駿府を統治した中村一氏ら3人の墓があります。
地形的には北から静岡市の中心部を見下ろせる場所で、目の前には静岡の街並みが広がっています。
そろそろ人混みも消えたか?と列に加わりましたが、そうそう簡単ではなく、建物内に入るまでには結構時間が掛かりました。
それにしても参詣者の人数は凄いです。
ようやく入る事ができた
特に御朱印の頂こうと待つ人達の列が半端でない。これでは何時になったら貰えるのか!
そのうちに若い修行僧が既に書いてあった一枚物の御朱印を持ってきたので、今日はこれで済ませました。
太原雪斎像や氏輝像、義元像など、どれも以前より綺麗になっているような.....。これは気のせいか?
茶室 無想庵
京都大徳寺の茶室「南明亭」を模して造られたという臨済寺 茶室 「無想庵」 は少し上がったところにあります。小さな建物なので此処へ入る為には整理券が必要でした。整理券を出して人数の制限をしているようで、
現在の待ち時間は1時間との事。とても待つ気にもなれず、この茶室へ上がるのは諦めました。
この無想庵に繋がる下の部屋には今川の人質となっていた家康(竹千代)が手習の間として使っていた部屋も保存されていました。
義元霊廟 首塚
方丈を出て、少し下ると、義元の首を埋めたと伝わる首塚を護る霊廟があります。以前は少し離れた所にありましたが、昨年春、新しい霊廟をこの場所に建てたようです。
山門を出る頃には参詣者も落ち着いてきたようで、境内へ入る為に繋がっていた人の列も消えていました。
静岡市で、この今川家の評価があがり、毎年今年くらいの人が臨済寺を訪れるようになれば、義元公もようやく本当の評価をして貰えたと喜んでくれるのかも知れません。