西国巡礼第6回 2日目

翌朝、電話で起こされました。
時計を見ると6:45AM 
ギョギョ!
確か、昨夜食事は各自で摂って、7:30に出発と聞いたような.....

ここから荷物を纏めて着替え、トイレ、洗顔を済ますまでに約10分。
7:00過ぎには朝食ラウンジに行く事が出来ました。

長浜のホテルから長浜城までは直ぐ近くなので寄っていく事にしました。

長浜城

長浜城の太閤井戸
沖に小さく多景島が見えています。

長浜城は天正元年(1573)に羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名しています。
小谷城で使われていた資材や、浅井氏により竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城されました。

大坂夏の陣の後、長浜城は廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。

長浜城主であった秀吉像
野面積みの石垣

長浜城にあった井戸は太閤井戸と呼ばれていて、現在この井戸は琵琶湖の水の中になってしまっています。
琵琶湖の廻りには湖底に沈んだ湖底遺跡が数多く確認されていますが、長浜城もやはり湖底に沈んだ部分があります。これは琵琶湖の水位が上がったと言う事では無く、文政年間に起きた地震によるものと考えられています。

現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにして建てられたもの。
豊臣家の家紋「五七の桐」

31番札所 長命寺

御詠歌:八千年や柳に長き命寺 運ぶ歩みのかざしなるらん

 

長浜城とチラっと見学して近江八幡市にある31番札所、長命寺に向かいます。
近江のお寺は何回も来ているところが多い中で、この長命寺は一度来ただけ。
急な石段があった事だけは覚えています。

長命寺港横の山の麓から石段があり、これを行くと808段の石段登り。しかしお気楽巡礼者は当然の事のように車で上ります。

駐車場から境内までの石段も麓から続く808段の石段を想像させる急なものでした。

麓まで続く808段の石段。
駐車場からの石段もそこそこの段数があります。

境内には、数多くの堂宇があり、それら全て(正確に言えば7堂)が檜皮葺,またはこけら葺きの立派な屋根を持っています。

境内の堂宇は殆どが檜皮葺またはこけら葺きの屋根です。
鐘楼とは思えない凝った造りの鐘楼。
鐘楼

一段上にある鐘楼から境内を見下ろすと、これらの屋根の重なりが見事です。こんなお寺も珍しいのでは?
武内宿禰 が本堂裏にある巨石の下で長寿を祈願して300歳まで生きたといい、この故事から寺号も長命寺となったようです。

鐘楼も檜皮葺きの入母屋造で屋根は重層、袴腰付きとなっています。一見鐘楼には見えない程に凝った造りの建物です。
本堂内陣に安置される本尊は、千手観音、十一面観音、聖観音の3体で、秘仏の為普段は御開帳されていません。

三仏堂、本堂、その後ろに三重塔
本堂内外陣
武内宿禰がこの岩の下で長寿を祈願し300歳まで生きたといいます。
三仏堂と護法権現社拝殿、その向こうに鐘楼。

西国三十三所観音巡礼の中興者とされる花山法皇の一千年忌を記念して2008年から2010年にかけて、西国三十三所の各札所寺院で「結縁開帳」が行われることとなり、長命寺の本尊3体は2009年10月1日から10月31日の間、開扉されました。これは1948年以来、61年ぶりの開扉となりました。

さて、帰りは3人で山の麓まで石段を下ってみました。808段となると下りでも結構足にきます。登りならどうだったのでしょう....?


次は32番札所の観音正寺です。ナビに案内され繖山へ登り始めました。
はて、こんなに道が広かったか?
何となく違和感がありますが、そのうちに料金所のゲートもあったので気のせだったのか...?

暫く登り駐車場に着きました。でも、これまで2回来た駐車場とは違うようです。途中で道を間違えたか?

これまでの駐車場から境内までは緩い未舗装の車道を行くものでしたが、今回のこの駐車場からはいきなりの石段がずっと上まで続いているようです。
それもかなりの急勾配。

ネットの地図で確認してみたところ、この繖山の登山道は2つあるようで、今回の駐車場から観音正寺の境内までの標高差は100m以上あるのに対し、もう一方の駐車場からの標高差は僅かに20m。

でもここまで上がってきているのだからと、登り始めました。
ところがこの石段が大変なんてものではなく、何しろ急なのです。おまけに雨は降っているし.....
満願を間近にして最後の苦行です。

32番札所 観音正寺

御詠歌:あなとうと導きたまえ観音寺 遠き国よりはこぶ歩みを
仁王に睨まれながら境内へ

ようやく観音正寺境内に到着した頃には息も絶え絶え。
観音正寺の本堂は明治15年(1882)に彦根城の欅御殿を本堂として貰い受けて境内に移築したものでした。

しかし平成5年(1993)火災によりこれを焼失してしまいました。
平成16年(2004)には新しい本堂が落慶され、新たに開帳された御本尊は、インドより特別に輸入した23トンもの白檀で彫像された本尊千手観音坐像です。
白檀は輸出禁制品でしたが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、度重なる交渉の結果、特例措置として日本への輸出が認められたものといいます。

本堂に置かれていた粉は白檀の粉だったのでしょうか。いい香りでした。

この辺りの寺の開基には皆聖徳太子がよく登場します。

 

雨も本降りになってしまいました。西国巡礼をスタートしてから初めての雨かも?

32番を打ち終え、残すは満願寺となる岐阜・谷汲の華厳寺だけになりました。

名神高速に入り大垣ICで降り、揖斐川の上流にある揖斐川町を目指します。大垣から揖斐川町の谷汲までは結構距離もあります。
それにまだ昼飯前。腹も減ってきました。

33番札所 華厳寺

御詠歌:万世の願いをここに納めおく 水は苔より出る谷汲

ようやく谷汲の華厳寺参道の駐車場に到着しました。今の時期は何もないので参道も空いていて歩いているのは自分達くらいしかいません。
でもあと2週間もすれば参道両脇の桜も見頃を迎え、その時期には今は閑散としているこの参道も人で溢れかえっている事でしょう。

参道途中の食事処でようやく昼食を摂り、いよいよ33番札所、華厳寺へ参詣です。
立派な山門を潜り暫く行き、急な石段を登り切れば華厳寺本堂です。
33カ所観音霊場巡礼 満願!

精進落としの鯉

本堂前の左右の柱に付けられた「精進落としの鯉」と呼ばれる銅製の鯉のレリーフを撫でて、これまでの精進生活から抜け出すのだと言います。
しかし、何故鯉?
精進生活とは無縁の巡礼者である私達もしっかり撫でて精進落としをしてきました。

おいずる堂

御朱印も頂き、本堂裏手にあるおいずる堂へ廻ると、堂の中には用の無くなった笈や、笈摺、杖、菅傘などが納められています。でも、これはチョット不気味。

満願堂

みタヌキ、いわタヌキ、きかタヌキ.一物も大中小。

そこからさらに裏手の石段を登ると満願堂の前に出ます。
この満願堂の廻りには何故かタヌキがいっぱいいます。
何故、タヌキなんでしょう?

これは後で聞いて分かった事なのですが、タヌキは「他抜き」、ようするに満願寺まで巡礼を続けて来た巡礼者はある意味で他の者を抜いている、といった意味のようでした。
こじつけですが、思わず、ナルホド!

さて、これで自分にとっては2周目となった西国三十三ヵ所観音巡礼も完了です。
やはり歴史あるお寺が揃っているだけに、見応えもありました。
3度目は無いと思いますが、二度有る事は三度あるなんて言いますからネ。

散華の台紙も前部埋まりました

 

 

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