西国巡礼第3回 1日目

第3回、西国観音巡礼 1日目

今年5月から始まった西国巡礼も7月以来途絶えていましたが、紅葉の時期に合わせて3回目の西国巡礼に出掛けました。

また、今回からはホームページではなくブログでの掲載に切り替えました。
これまでの西国巡礼は以下のURLから。
http://kazu424.xsrv.jp/koji/etc/etc_idx.html

今回も一秀翁に句を頂いたので掲載させて頂きます。

竹田城趾

今回は兵庫県が主になるので、この時期なら雲海を見る事の出来る可能性もある竹田城趾も寄る事になりました。

しかし雲海の出るのは朝方ですからその時間(遅くても朝5時)までに竹田城趾のある朝来に到着しなくてはなりません。
初日に近くの宿に泊まり、2日目の朝に見に行くのが楽なのですが、残念ながら宿が確保できず、初日に行くしか無くなりました。
そんな訳で、夜立ちで清水をでて、朝方竹田城のある朝来に着くような計画になりました。

夏に出掛けた津軽半島の時も夜通し走る事になりましたが、今回も厳しい初日になりそうです。

夜7時に出発、新東名ー伊勢湾岸ー新名神ー名神ー新名神ー中国自動車道ー播但連絡有料道路、と乗り継ぎ、翌日の早朝(深夜)に竹田城の東にある立雲峡の駐車場に到着しました。

立雲峡

立雲峡からの竹田城趾。雲海はダメでした。

着いてビックリ。
夜中の2時というのに既に駐車場は満車状態です。
大勢の観光客が押し寄せて、雲海に浮かぶ竹田城趾を期待していますが、竹田城趾の雲海発生予想サイトでの情報によれば今朝の雲海発生確率は18%と、あまり期待できないような予想が出ています。
雲海発生の為にはもう少し気温が下がってくれなければ!!

対面の山にある竹田城趾は朝方6時までライトアップされているので、夜の闇の中に白く浮かび上がった城趾は幻想的な光景を醸し出しています。

立雲峡の竹田城趾を見る為に作られた展望台は第3から第1まであり、数字が小さいほど上にある展望台になります。

今朝は雲海は無理なようなので、第2展望台まで上がったところで良しとしました。しかし、夜が明けるまでにはまだまだ時間があります。
時々、ガスが出てきて期待をさせるのですが、直ぐに消えてしまいます。

やはり今日はダメかな〜〜。

明るくなって、城趾の石垣もハッキリ見えるようになってきました。あちら側にも大勢の人が居るようです。
これ以上立雲峡に居ても雲海が発生する様子も無いので、竹田城趾の方に移動する事にしました。

立雲峡への登山道は昨年来た時に拡幅工事が行われていましたが、拡幅分は駐車スペースになっていました。

一旦下に降りて、竹田城趾の裏側にある「山城の郷」まで行き、そこからは歩いて登ります。こちらの駐車場も満車に近い状態で、以前ほどでは無いにしても、未だに竹田城址の人気が続いていることが伺えます。

山城の郷から竹田城趾へ

天気がイマイチです。
山城の郷から約30分程で上の駐車場に到着

山頂の城址までは40分ほどの道程で、車道ですからさほどに急な坂道でもありません。
途中で乗合バスに抜かれました。
はて、バスは8時を過ぎないと動いていないはずだけど? 上のバスの駐車場で聞いたら、これは駅から来ているバスなのだそうで、4時ごろから動いているのだそうです。

上の駐車場まで来ればゴールは近い!

 

大手門跡
石垣は安土城と同じ穴太積み。

最期の急坂を登り大手門跡をすぎると城内に入ります。
以前の騒ぎは何だったのか?と思うほど人が居ません。初めて来た時は数人程度しか居なかったのが2回目は数百人、3回目は十数人、そして今回もそんな程度でしょうか。

混雑していた頃に較べると嘘みたいに静かな城趾内
映画「あなたへ」で田中裕子はこの上で歌っていました

 石垣や ただただ黙し幾星霜
    なほ厳然と今朝天空に 一秀

一時上がれなくなっていた天守台も上がれました。

ようやく駐車場やトイレ等を確保して観光客の受け入れ体制が出来たと思ったら観光客は減少。
なかなか旨くいかないものです。

天守台より
天守台より

それでもここの石垣は雲海が出る出ないに拘わらず見る価値は十分です。城趾内にいた係の人がいうには、400年ほど前に落城して以来そのままにされてきたようです。江戸初期に廃城となりその後400年も放置されてきたのに、よく石垣が崩れもせずに残っていたものです。
これは築城時に無理な地形改造をしなかった事が幸いしているようです。

多分、見るのもこれが最期の竹田城趾

城趾からの景色を堪能し、さて下山です。バスを利用する手もありますが、下りですから歩いても大変なものではないだろうと歩いての下山です。

駐車場に辿り着き、ここで朝食を摂っておきたい所ですが、「山城の郷」で食事が出来るようになるのは10時から。これでは遅くなってしまうので先に進む事にしました。

南へ!

昨日通って来た「播但連絡有料道路」を今度は逆に姫路に向かって走ります

生野銀山

途中の生野にはかつて「銀山」があり、信長、秀吉、家康の時代は直轄領として大量の銀を産出していました。
昭和48年(1973年)に閉山しましたが、その間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しています。
昭和49年(1974年)に観光施設として史跡・生野銀山が開業しました。

時間があれば寄ってみたかったのですが、今回はパスして「円教寺」に急ぎます。朝来からは1時間ほどで書写山のロープウェイ駐車場に到着しました。

27番札所 書写山・円教寺

朝から何も食べていないので何処かで朝食(昼食?)にしたいのですが駐車場の近くにそれらしき店は無さそうです。
円教寺の摩尼殿の前に確か茶屋がるのでそれを頼りにまずはロープウェイで上に上がりました。

書写山ロープウェイ

姫路城は正面のヒトデのような山の陰

初めて此処に来た時にはまだ姫路城が改修工事中で、工事用の覆いが見えていましたが、工事も終わった今は山の陰に隠れてしまいました。
山上からの景色はなかなかのもので瀬戸内海も近くに見えています。

ロープウェイの山上駅から円教寺の摩尼殿まではおおよそ1Kmの尾根歩きになります。バスも出ていますが、1Km程度なので歩きます。

スタート直後はかなりの急坂が続き、息も絶え絶えになりますが、この急坂も仁王門まで。
参道沿いには三十三カ所霊場それぞれの本尊である観音像が札所順に祀られていました。

円教寺は西の比叡山と呼ばれ、比叡山に習っての事か、比叡山が横川、西塔、東塔と分けているのに対し、こちらでは仁王門のある東谷摩尼殿のある中谷大講堂、食堂、常行堂、さらに奥の院のある西谷、と境内を3つのエリアに分割して呼んでいます。

創建は性空と伝えられており、性空は俗事を厭い栄華や名声に関心がありませんでした。
しかし都人の崇拝が篤かったといい、なかでも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え米100石を寄進しています。性空はこの寄進をもとに講堂(現・大講堂)を建立したと伝わります。

仁王門

仁王門

急坂を登り切ると仁王門です。
横にモミジがあり、そこそこ綺麗に色づいていました。ここからはほぼ平坦路になります。最期に権現坂を下り、本多忠政が寄進したという湯屋橋を渡ると目の前に立派な舞台を持った摩尼殿が現れました。
舞台前のモミジやイチョウの紅葉も綺麗です。

まずは食事を!と言う事で、予定していた茶屋に入りましたが、昼の食事時間でもあるので随分と混んでいました。しかし他に店も無いのでここで待って何とか昼飯にありつけました。味をどうこう言うような店でもありませんが、腹が減っていれば何でも美味く感じるものです。

 観音を 詣づ古刹や 秋深む 一秀

円教寺・摩尼殿

本多忠政が寄進したという湯屋橋
そこそこの色付きです
摩尼殿

摩尼殿の舞台は立派な物で、その高さもかなりあります。
摩尼殿に上がって本尊参拝後御朱印と散華を頂き舞台に出てみると絶景とまではいかないまでも、紅葉したモミジの向こう遙か下に先ほど昼食を摂った茶屋が見えます。

摩尼殿舞台より

摩尼殿舞台より
舞台横のイチョウとモミジ

摩尼殿から三之堂へ

紅葉は今年は何処もあまり綺麗ではないと言われていますが、そんな中でも円教寺の紅葉はまずまずといった色付き具合でした。
紅葉時の土曜日という事で参詣客の数も多く賑やかな境内になっています。

大講堂・食堂・常行堂

大講堂
常行堂
大講堂

摩尼殿裏から奥に進み、暫く行くとコの字形に大きな立派な建物が並ぶ広い場所に出ました。
この三つの建物は大講堂、食堂、常行堂でこれらを総称して「三之堂(みつのどう)」と呼ばれています。
トム・クルーズが主演した映画「ラストサムライ」のロケもここで行われました。

食堂より
常行堂
食堂2階からの大講堂

3つの建物それぞれがかなりの規模の建築物で食堂だけは中に入る事が出来ました。
大講堂の東側にある本田家廟所内の本田忠刻の墓の後ろには忠刻に殉死した、宮本武蔵の養子、宮本三木之助の墓もあります。

摩尼殿

三之堂からロープウェイの山上駅まで戻り(三名はバス利用となりました)下山です。

ここから今日最後の訪問地となる一乗寺へ向かいます。

26番札所 法華山・一乗寺

一乗寺参道石段

円教寺から1時間ほどで一乗寺に到着しました。

一乗寺の開基とされる法道仙人は紫の雲に乗りインドから飛んできたと伝わる伝説的な人物です。紫色の雲に乗って云々といったは話はお寺の開基にはよく出てくる話で、紫雲山といった山号も度々見かけます。

一乗寺周辺には法道仙人が開基と伝わる寺が集中しており、そうした事からもかつてこの地域に大きな力を持った人物がいた事が想像されます。

ようやく見えた本堂と三重塔

受付で拝観料を払うと目の前にはかなり急な石段が現れます。この石段を見て一名棄権
石段途中、本堂手前の左手には立派な風格を漂わせた三重塔があり、これは国宝に指定されている塔です。建立は1171年と銘が残っており、正確な建立年がハッキリしている物は珍しいようです。
この塔は逓減率(初重から三重に向かって小さくなる率)が大きいのが特徴で、これにより下から仰ぎ見た時には遠近法により、より高く、上から見れば高さは感じさせないまでも、今度はドッシリと見える事になります。

 喘ぎ見し古塔に紅葉ひらひらと 一秀

 

上に行くほど極端に小さくなっています
逆に上から見ると三層とも同じような大きさに見えます

本堂に入ると内部は広い外陣と、閉鎖的な内陣、脇陣、後陣からなる、密教仏堂の典型的な造りとなっています。西国札所の寺院という事で、参拝の為の外陣を広くとってあり、外陣から舞台に出ると国宝三重塔を見下ろす事が出来ます。
塔を上から見る事が出来るところも珍しいのかもしれません。

舞台
本堂内 外陣
ここも高さは低いものの立派な舞台造り

今回二つ目の御朱印と散華を頂きこれで今日の予定は終了です。

宿へ

一乗寺から宿のある西脇市へ向かいます。西脇市は何も無いようなところですが、事前に調べた中で面白い所を見つけました。
日本で一番寂れたアーケード商店街というのがそれで、映像を見ると風情のある町並みでした。しかし商店は殆ど無くなってしまっていました。

また西脇市は東経135度、北緯35度が交差している市という事から「日本のへそ」を売り物にしていますがこれで観光客が訪れるかどうか....。
イラストレーターの横尾忠則の生まれた町でもあるようです。

宿へ着いてトラブル発生。

予約しておいた宿で部屋が確保されていなかったのです。宿の女将さんが来てしばらくの後、ようやく今夜寝る事の出来る部屋を確保できました。

昨日の朝から殆ど寝ていない中で、竹田城趾では山登り、円教寺では山歩き、一乗寺に来ての石段登り、と疲れる事ばかりの一日でした。
夜は近くの日本料理の店で軽く食事。その後は宿の部屋でタップリ呑んで爆睡でした。

2 Replies to “西国巡礼第3回 1日目”

  1. 杉山さん、全て拝読いたしました。無料で見せてもらって、良いのか?申し訳ない気持ちです。私も一緒に旅した気持です。
    本当に素晴らしい旅記録。感想も素晴らしい・もちろん行程記録もとても素人とは、思えません。
    体調に注意してください。
    これからも、期待しております。

    1. 見て頂いて有り難うございます。最近では文章を書くと言う事がかなり苦痛になりつつあります。これも歳なのでしょうね。
      たまには私のブログ、覗いてみて下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です