葛城の道と二上山 1日目

葛城古道

民宿・脇本

スタート地点に立つ

清水からは結構距離もあります。スタート地点となる奈良交通のバス停「風の森」へ行く為のバスは本数が無いので、何としてもこれに乗らなくてはなりません。
その為に、4時には清水いはらICに入りました。
ここからは西へ西へと進むだけ。

8:30AMには今夜お世話になる明日香の民宿「脇本」さんに到着しました。6月にもお世話になった民宿で、二日間ここに車を駐めさせて貰います。

飛鳥駅までをまたまた歩く事になりますが、この間を歩くのはこれで3回目。

今回も同行の「一秀翁」が俳句を送ってくれましたので、これも合わせて掲載しておきます。

飛鳥駅

飛鳥駅に着いて時刻表を見てみると、予定していた電車にはまだかなり時間があります。乗る電車を変更して予定より早めに近鉄御所駅に行ってしまう事にしました。御所からのバスは選択肢がないので、早く行ったところでバスを待つ時間が長くなるだけなのですが、少しでも余裕を持って先に進んでおいた方が良いでしょう。

ただ、近鉄からJRへの乗り換え駅となる「吉野口駅」での乗り換え時間は2分しかありません。
まぁ、同じ駅舎の中のようなので間に合うだろう、と気楽に構えていましたが、少しの時間差でやはり間に合わず(と言うより、2本の電車が入線していたので乗る電車を間違えて、その間に行ってしまいました)結局吉野口駅で次の電車を待つ事40分、ようやく御所へ向かう電車に乗る事が出来ました。

飛鳥風 古代の香り 秋深む 一秀

しかし、またまた問題が!
御所に向かう電車はJRですから到着はJR御所駅です。しかしバスが出るのは近鉄御所駅の方なので約500m移動しなくてはなりませんが、今度はバスの発車まで10分しかありません。早足で行けば5分あれば行ける筈。

バスの遅れる事を祈りながら早足で歩き、ようやくバス停まで来ましたが、バスは結構遅れていて結果だけ見れば余裕の待ち時間になりました。

ここから乗るバスは日本では一番運転距離の長い路線バスという、奈良の大和八木駅から和歌山県の新宮駅までの全長166.9㎞、停留所の数は167、所要時間は約6時間半というとんでもないバスです。


これだけ乗ると運賃も5,250円と、かなり高額になります。
今回乗るのは数駅の区間だけですが、いつか全線通して乗ってみたいものです。でも尻が痛くなりそう.....

イザ出発!

「風の森」バス停

暑くもなく、寒くもなく歩くには絶好の陽気です。

スタートしてから暫くは田圃の中の緩い坂道を登ります。
9月頃には彼岸花が咲き、この花目当ての写真愛好家やハイカーが大勢訪れるようですが、それも終わり、紅葉の始まる前の今は静かなものです。

遠き日の 原風景や 稲架のあり  一秀

高鴨神社

発祥がこの地と伝わる鴨氏一族の氏神として祀られたのが高鴨神社で、京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)を始めとする全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社といわれます。

氏子はいるのだろうか?と聞いてみた所、氏子は全国にいるのだそうです。

「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しているといいます。

また、高鴨神社は現在絶滅危惧種とされてる日本さくら草でもしられています。
昭和35年にその時の宮司さんが京都の自邸より持ち運み保存栽培した事に始まり、2016年からは境内で展示会なども行われているようです。

そば小舎(そばしょうしゃ)

神社のすぐ先に「そば小舎」という蕎麦屋さんがありました。昼食には少し早いのですが、店の感じも良さそうなので軽く食べていく事にし、入ってみました。

暖簾には「一本挽き」と描かれていますが、はて、この一本挽きとは?

どうやら、玄そばの果皮(そば殻)がついたままに、石臼などで挽いたそば粉のことを言うらしく、 栄養価も高く、そば本来の風味も強く感じられるとの事でした。

実際、普段はあまり感じる事のない蕎麦の香りも少し感じる事ができました。
腰の強さが半端でなく、先日信州の「翁」で食べた蕎麦と腰の強さは良い勝負。

高天彦神社

暫くは平坦な道が続きましたが、途中から金剛山に向かって登りが始まります。

高天彦神社へのコースは参考にした近鉄の「てくてくマップ」ではオプションコースになっていましたが、折角ここまで来たのだからと緩い登り道に入りました。

しかし、この登坂が緩いとは言っても平らになる所は殆ど無くずっと続き、段々と足に堪えて来ます。オプションコースになっていた理由も分かります。

こんな道を一日中歩いていたらゴールした頃にはバテバテ状態になっていそうです。


社名・神名の「高天(たかま)」はこの辺り一帯の地名でもあり、神話に出てくる高天原の伝承地とする説が古くからあるようです。

この神社は記紀の中で、出雲へ国譲りのための使者を命令した古代豪族、葛城氏の最高神「高皇産霊神」が祀られている神社です。

しかし、ようやく辿り着いた本殿を見てガッカリ。
古い歴史のある式内社の本殿なのに屋根瓦は赤い陶器瓦なのです。
檜皮葺とは言いませんが、せめて普通の瓦で葺いて欲しいものです。

鶯宿梅

高天彦神社の参道前に梅の古木がありました。
説明の看板によれば「鶯宿梅」と名付けられた梅の古木。

その昔、高天寺で修行をしていた小僧が若くして亡くなり その師が嘆き悲しんでいたところ、梅の木に鶯がきてホーホケキョではなく、 「初春のあした毎にはくれども あはでぞかえるもとのすみかに」 と鳴いたそうです。
それ以来この梅は鶯宿梅と呼ばれるようになったとか。

橋本院

橋本院のある金剛山の中腹は古来より高天原と呼ばれ「美しい日本の歩きたくなる道500選」の一つにも選ばれている葛城古道の名所として親しまれている真言宗の寺院です。

境内の「瞑想の庭」には四季折々季節の花が咲く花の寺としても知られています。


葛城古道はこの境内を抜けており、出口(入り口?)には獣よけ(鹿や猪)の柵が付けられていました。この獣害防止の柵はこの橋本院ばかりではなく、古道沿いで何箇所かに設置されていました。
獣害は今や全国的な問題になって来ているようです。

サクラが咲いているので、狂い咲き?と思ったら、これは11月から12月に咲く寒桜でした。

狂い咲きかと思ったら寒桜でした

極楽寺

橋本院から少しづつ下り、広い道路に出て暫く進んだ左上にあるのが極楽寺です。

ここまで歩いてくると少しばかりの坂道も足に堪えます。この寺の縁起を見てみるといろいろ書かれているのですが、ローカルな話ばかりなのはまだ良しとしても、創建当時の話の中で、いろいろな人が登場しイマイチ全容が掴めません。

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お寺のホームページはこの手のページが多いです。 結局掴み所がなく、はて?といった結果で終わってしまい頭に残るものは何も無し!
お寺のホームページって、一体何を伝えたいのでしょう?

名柄の中村邸

中村邸

名柄は旧高野街道と東西に走る水越街道の交差する町として開け、古い民家が軒を連ねています。

その中でも中村邸は昭和43年に重要文化財に指定された、御所市では現存するなかでは最も古く、かつ重要な建築で、中世吐田の城主吐田越前守の子孫中村正勝が慶長頃に建てた大官屋敷と推定されています。

この辺りからは大和盆地を見渡せ、大和三山も見えていました。

奈良は柿の産地。柿畑が広がっています。
大和三山が見えています

一言主神社

名柄の集落をはずれると一言主神社への参拝の為、再び山登りです。
標高差30m程度の登りですが、朝からアップダウンを繰り返しているのでかなり足が疲れてきています。
でもこれから先には大きな登りは無さそうです。

一言主神社の正式名称は葛城坐一言主神社
一言主神は日本書紀などによると雄略天皇と争ったとされており、この事から、葛城氏と大和朝廷の対立が偲ばれます。
しかし、この神社にはこの二人が祀られています。

地元では「一言さん」として親しまれていて、どの様な願い事でも一言の願いならばかなえてくれると信じられています。

境内には推定樹齢1,200年の大イチョウや松尾芭蕉の句碑などもあります。

「猶(なほ)みたし花に明行(あけゆく)神の顔  芭蕉」

一言主神は、お顔が醜かったと言われます。昔、修験道の開祖、役行者が葛城山と吉野の金峯山に橋を架けようとしましたた。それを手伝わされた一言主神は自分の醜い容貌を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したと伝わります。 花々に包まれた葛城の夜明け。そこにおわす神のお顔が、まさか、醜いなんて。いや、麗しいに違いない、といった気持ちか?<県民だより奈良より>
この伝説を知らなければ全く意味が分かりません。芭蕉は随分と物知りだったようです。

 

乳垂れ銀杏

九品寺

一言主神社からは下に戻らずそのまま横なりに進むと左に高丘宮跡がありました。
これは神武天皇に次ぐ第2代天皇・綏靖天皇が宮を構えたと伝わる地。しかし綏靖天皇が実在したかどうかは疑問視されています。
しかし、古代にはこの地が天皇家と何かの係わりを持っていたのではないか?と考えられています。

この先に千体石仏で知られる九品寺があります。

千体石仏

本堂裏手から裏山にかけてカラフルな前掛けを掛けた石仏がビッシリと並びます。

一見よくある水子地蔵のように見えますが、これは南朝に付いた兵士の霊を慰める為の石仏と言われていて、これらの石仏が作られた時代は、南北朝、室町、桃山時代のものが多いようです。

御所駅、そして明日香へ

九品寺を過ぎると少しづつ標高を下げていきます。さっきまでは下に見えていた大和三山も近くになってきましたからもう少しです。

スタートから高台を歩いて来た今日の行程も六地蔵石仏からは真っ直ぐに御所駅を目指して下っていきます。

巨石に刻まれた六地蔵

途中にあった六地蔵は普段見る六地蔵とは大分違い、大きな石に浮き彫りで六地蔵が彫られているもの。
まさか、この石は運んできたものではないのでしょう。

ようやく県道に下り切りました。あとは北に少し進めば今日のゴールである「近鉄御所駅」です。
一旦北に向かい「尺度駅」で乗り換えて今度は南に向かい、飛鳥駅到着です。

天武・持統天皇陵
民宿「脇本」

4回目となる明日香駅から民宿脇本までの道を歩き宿に到着しました。
今回は埼玉県の高崎からのお客さんと同宿になり、お陰で賑やかな夕食になりました。

長き夜や 旅は道連れ 飛鳥鍋  一秀

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