北国街道とは?
北国街道と呼ばれる街道は幾つかあり、今回自分達が歩き始めたのは中山道追分宿から直江津(高田宿)に通じる脇往還で、善光寺街道とか、北国脇往還とも呼ばれている街道です。
これまでにも何回か「北国街道」の一部はかすめて来ています。
まずは中山道を歩いた時、軽井沢を過ぎて追分宿で中山道と北国街道の分岐点がありました。この分岐点には「分去れの道標」がありこの右側面には「従是北国街道」左側面には「従是中山道」、そして裏面には「西于時延宝七己未年(1679)三月○日」と彫られており、これはかなり古く江戸初期のもののようでした。
次に見たのは滋賀県長浜市の「黒壁スクエア」。ここは北国街道になり、往時の面影も色濃く残しています。また、長浜の北の木之本の中心街も北国街道になり、この通りも昔の雰囲気を残していました。
北国街道の西の端は中山道の鳥居本宿で、中山道は摺針峠から下って来て鳥居本宿の北で北国街道と合流しています。
江戸時代、北国街道は佐渡で産出された金を江戸に運ぶ為の重要路でした。また善光寺への参拝客が大勢通ったので、善光寺街道と呼ばれていました。
西から木曽街道を上ってくると、洗馬宿で中山道と分岐し北国街道の丹波島に通じる脇往還道(北国西街道)もあり、この街道は西から来た多くの善光寺への参詣者が利用していたようです。
谷汲の華厳寺で西国巡礼を満願した巡礼者達が善光寺へのお礼参りに通ったのもこの街道だったのでしょう。
北国街道歩きの準備
と、取り合えずの予備知識を詰め込み、詳細なルート調べを始めました。ネット上のデータを参考にして、カシミールでルート作成しました。自分が作ったデータでは追分宿から高田宿の北陸街道との追分までの総距離は 131Kmになりました。
長いと言えば長い、短いと言えば短い、なんとも中途半端な距離です。
善光寺までは「しなの鉄道(元々は信越本線)」に沿っているので、行程の組み立てはかなり楽にすみました。これなら行けるところまで!といった計画でも何とかなりそうです。
北國街道道中日記 目次
北国街道第1回は二泊三日で追分から上田まで進みました。天候も暑くなる前の歩くには一番の時期でした。しかし1日に歩ける距離は中山道を歩いた頃に較べると確実に落ちて来ているようです。頑張らねば!
2019.5.29 – 31
前回から40日程経ってしまいましたが、天候不順でなかなか出掛けられません。いつまで待ってもキリが無いので、雨覚悟で出掛けてみました。結果を見れば暑さ知らずで何とか善光寺まで進めました。
2019.7.11 – 12
暑くもなく寒くも無い街道歩きにはベストのシーズンになりました。寒いのではないかと、寒さ対策は万全で出掛けた所、冬装備はかえって邪魔になったくらいで済みました。年内はこれが最後。次回はゴールとなりますが、春まで待つことになりました。
2019.10.30 – 31
2020年の春にはとっくにゴールしていた筈の北国街道てくてく旅だったのですが、世界中に蔓延した新型コロナウィルスの感染防止の為に何処にも出かけられない状況になってしまいました。しかしコロナの終息を待っていたらいつになるのか分かりません。そこで思い切って2泊3日で一気にゴールしてしまいました。
2020.11.4 – 6