今年の春は「奥の細道」

旅行

奥の細道 

昨年暮れ、久しぶりに投稿して、これを機会に投稿再開しようと思ったいたのですが、歳とともに話題も無くなり、書くことも無くなってきてしまいました。
それでも何とか話題を見つけて認知症防止のために少しづつでも投稿を続けようと思います。
さて、新年初めの話題は何にしようか?
実は自分の周りでは昨年からあまり良いことはなく、有り難くもない出来事ばかり続きました。まさかこれを題材にするわけにも行かないので、まずは今年春の計画について書いて見ようと思います。
一昨年、昨年と2年かけて車中泊しながらの一人四国遍路を廻ってきて結願しました。
四国遍路は一度廻ると病気になってしまうと聞きました。その病名がなんと「四国遍路中毒症」というようです。
自分もそんな馬鹿な!と思いましたが、帰ってきて一週間もするとまた出掛けたくなるのですから、かなり感染力の高い病気のようです。
しかし、今年も四国というのも芸がありません。来年には後期高齢者の仲間入りと思うと、残されている自分の時間もそれほどないようです。
そこで、昨年の秋に行きたいと思いながらも実現しなかった「奥の細道車中泊一人旅」を再度計画してみようと思い起ちました。

十数年前、毎日のウォーキングで歩いた距離を地図上で進めて奥の細道行脚をしてみました。毎日の歩行距離は5K〜7Kですから、毎日歩いたとしても1年程かかってしまいます。実際には雨の日もあり、用事で歩けない日もあり、結局2年近く掛かって大垣にゴールしました。
芭蕉の歩いたコースを調べながらの2年間でしたが、これは結構面白かったです。
あのコースは歩き旅でしたから田んぼの畦道でも山道でも進めましたが、車で回るとなるとその通りにはいきません。
芭蕉のコースををのまま辿る事もないだろうと、芭蕉の足跡を辿りながら、東北地方でもまだ行ったこともないところを廻ってくるほうが思い出に残る楽しい旅になりそうです。
1週間程の旅程で進めば、結構のんびりした旅が出来そうな気がします。
時間が足りなくなったら、新潟の直江津まで降りてきたところで、1回目を終了させ、長野経由で戻ってくれば良いでしょう。
ただ気になるのは昨年の四国遍路から自分も1年だけ歳を取っていることです。車の運転はそこそこ出来るのでしょうが、昨今の高齢者の事故を考えると注意力の衰えが気になります。
昨年の四国も同じような心配を抱えて出掛けましたが、ヒヤリ、ハットは一度もなく何とか無事に帰ってくる事が出来ました。
しかし、こんな旅も自分の年令を考えると潮時なのかもしれません。これからは鉄道利用の一人旅に切り替えて方が良いのかも?
旅は計画を起てている時が一番楽しいものです。
実現するかどうかわかりませんが、まずは計画を起ててみます。既に行ったことのある所はパスすることにしました。
地図の赤線は「奥の細道」のコース。青線は奥の細道を外れて廻ってみたいと思っているコースです。
まずは芭蕉のコースを辿ってみます。

千住(大橋公園)

ここは芭蕉が大勢の見送りを受け奥の細道のスタートをきった地なので、自分もここをスタートの地としたいところですが、周りの駐車場を探してみても無いようです。公園入口に「奥の細道 矢立初めの地」の碑が建っているので、車からの撮影でも何とかなりそうなのですが、隣が交番なのでチト躊躇します。

「ゆく春や鳥啼魚の目は涙」

室の八島

千住を出発した芭蕉の最初の訪問地がここでした。
かつてこの地域に古来より歌枕(和歌に詠まれた名所)とされた「室の八島」があったと言われ、大神神社(奈良の大神神社ではない)にはこれを再現したと言われる池と八つの小島があります。芭蕉はこの地で次の句を詠んでいます。

「糸遊(いという)に 結(むすび)つきたる 煙哉(かな)」

日光

日光はこれ迄にも何回となく行っているのでここはパスして、先を急ぐことにします。

黒羽

芭蕉は、黒羽には4月3日から16日まで14日間滞在している。旅の全行程中、黒羽以上に長逗留した場所はない。ここには顔見知りの桃雪、翠桃(いずれも俳号)という兄弟が住んでおり、歓待されたのである。この間に雲巌寺をはじめ付近の観光をし、句会を開催している。

「野を横に 馬牽むけよ ほととぎす」

殺生石

殺生石というのは「奥の細道」で初めて知りました。
殺生石は那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川にそったところにあります。
大昔、中国やインドで悪行をつくした「九尾の狐」伝説にまつわる史跡で、狐が化身したと伝わる大きな岩の周辺では、今なお独特な硫黄の香りが漂っています。 また、俳人松尾芭蕉もこの地を訪れ「奥の細道」には、「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す。」と書き、次の句を詠んでいます。

石の香や 夏草赤く 露あつし
平安の昔、帝(みかど)の愛する妃に「玉藻の前」という美人がいたが、これは天竺(インド)、唐(中国)から飛来してきた九尾の狐の化身でした。 帝は日に日に衰弱し床に伏せるようになり、やがて、陰陽師の阿倍泰成がこれを見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治したところ、狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼしました。 やがて、源翁和尚が一喝すると石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残ったと言われています。その石が「殺生石」と伝えられています。

白河の関

今から半世紀以上も前の二十歳になる前、仲間と1週間程掛けて東北を旅行しました。その時に帰ってきてから知ったのがこの「白河の関」でした。
その後も近くまで行く事はあってもここを訪れる事もなく半世紀以上の時が流れてしまいました。そうした事からもし春にこの奥の細道の旅が実現したら是非とも行きたいのがこの「白河の関跡」なのです。

白河の関(しらかわのせき)は、福島県白河市にある国指定史跡で、奈良・平安時代に奥州への玄関口として人や物資の往来を取り締まった「奥州三古関(勿来・念珠とともに)」の一つです。機能が失われた後は「歌枕(和歌の名所)」として都の文化人たちの憧れの地となり、多くの歌人・俳人(能因、西行、松尾芭蕉など)が訪れ歌を残し、現在は白河関の森公園として整備され、歴史と文化、自然が楽しめるスポットとなっています。 <奥の細道歩き旅より引用>
「卯の花に兼房見ゆる白毛かな」

松島 「西行戻しの松公園」から望む松島

西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きを諦めたという由来の地。松島海岸の後背地にある西行戻しの松公園展望台から、桜と松島湾の景色が一体となった花見ができます。
数年前にこの公園からの松島の絶景を見てきましたが、ここから見る日の出はさぞかし見事なものなのだろうと想像できます。この公園で車中泊して、翌朝、松島湾から昇る日の出の写真でも撮れたら良いのですが。

松島や鶴に身をかれほとゝぎす

芭蕉は松島では句を詠まず、この句は同行の曽良が読んだ句のようです。よく知られている「松島やああ松島や松島や」は後世に広まったもので、芭蕉の言葉にならない感動を表現するために作られた、狂歌師によるものとされています。

ここからは奥の細道から外れて三陸海岸を北上

松島以降は奥の細道からは離れて気ままな東北の旅行になります。次に芭蕉に合流するのは新潟県に入ってからになりそうです。
三陸海岸は数年前の東北旅行の折り、陸前高田から南は通りましたが、そこから北は自分にとっても未だ未知の土地です。ざっと直線距離を測ってみても松島から下北半島の付け根まで300Km以上もあります。
リアス式の海岸線ですから当然曲がりくねった道路なのでしょうから実際の距離はまだまだ長くなると考えられます。

下北半島

どうせここまで来たのなら、これからもう来ることもないであろう下北半島を一周してむつ湾フェリーで津軽半島に渡ろうと思います。出来ることなら大間で美味しいマグロでも食べてみたいものです。

恐山菩提寺

下北半島まで来たら是非とも寄ってみたいのが恐山。
「人は死ねば恐山(お山)に行く」「死者の魂が集まる場所」という言い伝えが古くからあり、地獄と極楽を模した荒涼とした景色の中で、イタコによる口寄せや、賽の河原での供養が行われ、あの世とこの世が繋がる霊場として知られています。
特に、三途の川に架かる橋や地獄谷、極楽浜、そして風車が回る賽の河原は、死後の世界を象徴する場所として信仰を集めています。
怖いもの見たさで一度訪れておきたい場所の一つです。ここで、イタコさんを介して、今は会えなくなってしまった人と話が出来たらと思うけど、やはりそんな事出来るわけないか!
ここの駐車場で車中泊は気持ち悪くて出来そうもないです。

仏ヶ浦

1964年に映画化された水上勉著「飢餓海峡」のロケ地としても知られる下北半島の仏ヶ浦も是非とも寄っていきたい所です。船で回るのが良いようですが、観光船の船代が3,000円程するようです。少し遠目ではありますが、道路からでも見ることは出来るようです。

むつ湾フェリーで下北半島から津軽半島へ

陸路で下北半島の付け根の野辺地まで行き、そこから青森市方面を目指すととんでもない距離があり超遠回りになってしまいます。ここは最短で津軽半島に渡ることの出来る「むつ湾フェリー」を使うのが正解でしょう。
乗船時間は1時間ほどの短時間なのに料金は11,100円と安くはありませんが、ゆっくり休憩しているだけで津軽半島まで連れて行ってくれます。それに燃料代も掛らないのですからそれほど割高とも言えません。

むつ湾フェリー

津軽から直江津まで

十三湖

むつ湾フェリー蟹田港から津軽半島を西に横断すると十三湖があります。数年前に津軽半島に行った際にも寄った十三湖は津軽半島の西側にある汽水湖。
汽水湖ということでシジミが特産になっています。
ここで早朝に大きなヤマトシジミの入ったシジミ汁を頂きましたがこれは美味しかったです。
十三湖の名称の由来には諸説あるようで
13の川が流れ込む。
日本海と湖の間に13の集落があった。
アイヌ語の「トー・サㇺ(湖の傍ら)」に由来。

ここからは新潟県の直江津まで南下していきます。

不老ふ死温泉

この露天風呂には是非とも入ってみたいです。
よくテレビ番組でも取り上げられるけど、風呂に入りながら見る、何も遮るもののない夕日は是非とも見てみたいものです。日帰り湯もあるようなので入っていきたいのですが、風邪でも引いたら.......

角館

武家屋敷

二十歳前の東北旅行では通過だけで終わってしまった角館。
角館は、秋田県仙北市にある歴史的な城下町で、「みちのくの小京都」と呼ばれ、江戸時代の武家屋敷や町並みが保存されており、春の桜と秋の紅葉の名所として知られています。桜の時期に出かければ見事な桜を見ることが出来るのでしょうが、それだけに混雑するのでしょう。
やはり一人旅は静かな時、静かなところを回りたいものです。

彌彦神社

弥彦神社は、越後開拓の祖神である天香山命を主祭神として祀っており、仕事運、縁結び、開運、厄除けなどのご利益で知られています。天香山命は天照大御神の御曾孫にあたり、神武天皇の東征を助け、その後越後へ渡り産業の基礎を築いたとされています。
この神社は人に聴いて知った所なのですが、自分にとっては裏山の弥彦山の方が興味があります。ロープウェイで山上まで上がれるようで、そこに高さ100mにもなるタワーが建っているので、神社よりこのタワーから見る外界の景色を見てみたいと思います。

神社近くの燕市には身内の女性がこちらに嫁いでいるので、時間さえあれば何十年ぶりに会ってもみたいです。

まだまだ寄ってきたい所があるけど......

男鹿半島 寒風山
出羽三山
最上川川下り

これ以後は東北に来ることも無くなるだろうと思うと、行けるところは全て行ってみたいけど、使える時間はせいぜい10日間。
ある程度は妥協して諦めることも必要なのかもしれない。元気さえ無くさなければまだまだこんな旅も出来るのかもしれない。

まずは無事に家に帰ってくるのが一番優先すべきことだ

まだ計画の段階で実際に行けるのかどうかも分からないのですが、こうしてブログに書いて自分にプレッシャーを掛けておけば実現するのかもしれません。
一昨年、昨年と2年続いた車中泊四国遍路。
それに続く今回の一人車中泊奥の細道。これから春までに調べておかなければならないことがまだ山ほどあります。事前の予備知識があるかどうかで旅の充実感も変わってくるものです。
帰ってきてから気がつく事が多いのですが、少しでもそうした見逃しを減らせれば最高の奥の細道になるのかもしれません。

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