小諸 懐古園の紅葉

旅行

昨年11月以来の団体?旅行

2014年からの寺参り仲間との旅行は昨年11月に出掛けた京都「六波羅蜜寺」以来になりました。これも消えてしまったBlogに記事を上げていたのですが綺麗さっぱり消えてしまいました。
この時は、国内に七体ある国宝の十一面観音像のなかで、最後まで残ってしまっていた六波羅蜜寺の十一面観音像の拝観でした。
六波羅蜜寺の十一面観音像は12年に一度の辰年にしか公開されない秘仏で、辰年の2024年を待つしかありませんでした。
今回の信州への日帰り旅行はこの時以来です。
当初は京都の紅葉を観に行きたいとの希望があり計画を起てましたが、今年の京都の紅葉は綺麗に色づく前に茶色になってしまうようでした。夏の猛暑と雨が少なかった事が原因だったのでしょう。特に京都は盆地で夏は半端でない暑さになりますから、これからは毎年こんな状況になってしまうのかもしれません。
代わりの旅行先を探しましたが、なかなか良いところは見つからず、最後に決めたのは長野県、小諸の懐古園でした。
以前行った時には驚くような紅葉で、それは見事なものでした。
時期が合うのかどうか?
11月6日からは懐古園の紅葉祭りになっているようだったので日時は11月4日にしました。完璧な紅葉とは言えないまでもそれなりに色付いているのでは?
11月4日、6:00清水を出発です。

鵯の喋りに目覚む朝かな 佐野一秀 改め 佐野鈍秀

青空にうっすらと新雪を被った八ヶ岳が綺麗。

中部横断道を北進、双葉JCTで中央高速に入り、長坂インターからは清里、国道141号を野辺山経由で小諸を目指します。以前なら小諸は清水からでは遠い地でしたが今では余裕で日帰り出来るようになりました。
7:40には野辺山を通過です。車窓からはうっすらと雪を被った八ヶ岳が青空の中に浮かび上がっています。
周りの景色を見ても、まだ紅葉には少し早すぎるようです。もしかしたら今年の紅葉はこの程度で、このまま枯れてしまうのかもしれません。
懐古園に到着し、早速園内に入ります。

明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は小諸藩旧士族へ払い下げられました。
その後、旧士族により本丸跡に懐古神社が祀られ、「懐古園」と名付けられています。
大正15年(1926年)に近代的な公園に生まれ変わって現在に至ります。

紅葉目当ての懐古園でしたが、紅葉もモミジが僅かに色付いている程度でした。
実は、今回とほぼ同じメンバーで過去2回ここを訪れています。最後は北国街道を歩いた帰りでしたから2019年の事になり既に6年も前の事になります。
紅葉は綺麗に色付く年もあれば、それ程の色づきも無く散ってしまう年もあり、本当に綺麗に色付いた紅葉を見るのは運任せになってしまいます。

9:00 懐古園 到着

紅葉はイマイチです
モミジだけはそこそこの色付き
小諸城天守台
嫋やかに紅葉を連れし千曲川
遠くに富士山が見えると言いますが、今日は無理

園内で菊花展が開かれていたので、見てみました。見事な菊が並んでいます。あの菊に仕上げるために、この一年どれ程の手間を掛けてきたのでしょうか。ただ、自分には各賞の違いが分かりませんでした。でも、見る人が見れば何処かに違いがあるのでしょう。

千代ちゃんや団子横目に菊求む

明後日からは紅葉祭りというので、日曜にはさぞかし大勢の人出になるのでしょうが、流石にこの日は静かでした。

早々に園内の見学も切り上げて、次の目的地に向かいます。
小諸から来た道を戻ります。

巨大なパラボラアンテナ 臼田宇宙空間観測所

最上部の高さは100m程になるようです。

次の目的地は臼田にあるJAXAが運用している「臼田宇宙空間観測所」
臼田宇宙空間観測所は宇宙科学研究所のスペースセンターとして1984(昭和59)年10月に長野県南佐久郡臼田町に設立されました。
この観測所では惑星、彗星や月などの衛星に接近して観測を行う宇宙探査機に向けて動作指令を送信したり、探査機からの観測データを受信しています。こうした探査機は超遠距離ともなると送ってくる信号は微弱であり、その信号電波を受けるために都市雑音や航空路など観測に支障のある電波が少ない場所が選ばれました
施設の中核となるのは、主鏡面が直径64mの反射鏡の大型パラボラアンテナで、その総重量は約2000トンあります。
このような宇宙探査機の追跡管制を目的とした大型アンテナは、JAXAのほかアメリカのNASAやヨーロッパのESAをはじめ世界の数機関が保有しています。

このパラボラアンテナを見るためには国道から山の中に二十数キロ入っていかなくてはなりません。
細い道を進む事30分。右手に巨大なパラボラアンテナが見えました。
パラボラアンテナを見る事はたまにありますが、ここまで巨大なアンテナを見る事はありません。直径64mという大きさは頭でイメージする以上に巨大です。
構内には宇宙に関わる資料等を展示した建物があり、これら全て無料で見学できるのも有り難いところです。同行の皆さんもこれだけ巨大なパラボラアンテナを見るのは初めての事のようで、驚いていました。

パラボラに夢を託せし今日の秋

さて、そろそろ昼飯時。この山の中には飲食店などありませんから、まずは下山です。臼田の町まで降りれば食堂も見つかるでしょう。
臼田の街中で食堂を見つけて入ったところ、何組かのお客さんが先客にいて、暫く待たなくてはならないようです。今日はそれ程の遠出ではなく、時間の余裕もあるので待つ事にしました。はて、何を食べたんだったか?記憶から飛んでいます。

函館以外にもあった五稜郭 「龍岡城五稜郭」 

上から見ると星型の城郭がよく分かります。

臼田にはもう一つ見るべきものがあります。
函館にある五稜郭に似た構造を持つ「龍岡城五稜郭」があり、これは函館五稜郭とともに日本に二つしかない星型稜堡をもつ洋式城郭です。
龍岡城は、江戸時代末期に田野口藩主 松平乗謨が元治元年(1864)に田野口藩新陣屋として着工し、慶應3年(1867)に竣工しました。
フランスのボーヴァン将軍が考案したといわれる稜堡式築城法によるもので、突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。
廃藩後明治5年(1872)城は取り壊しになりましたが、堀と土塁、建物の一部「お台所」が城内に残されています。

石垣の高さがこれでは防御は出来そうも無い。
掘の深さもかなり浅いようだ。
星型城郭の強みでもある死角は無いのかもしれないが、これではその効果も無さそうだ。
城趾内の小学校は既に廃校になっている。右の建物は唯一残されている龍岡城「お台所」の一部。

この掘の深さや石垣を見ると、掘は浅く、石垣は低く、防御など殆ど考えられていない城のようで、函館の五稜郭の形だけ真似ただけのようです。城の完成は1867年といいます。もう戦の時代でもなくなっていた事を考えると、無理も無い事だったのかもしれません。
しかし、築城開始は明治維新の僅か3年前。こんな時代に新しい城を建てようとした藩主は何を思って城を建てたのでしょうか?

城郭は確かに星型を残しているのですが、残念ながら、函館の五稜郭のように上から見学するためのタワーなどありませんから全体像を見る事は出来ませんが、近くにある田口城跡(山城)からは星型の城郭を見る事が出来るようです。
城趾内には小学校があり、普段は城内の見学は出来ませんでしたが、小学校も廃校となったため、現在では自由に入って見学が出来るようです。とは言っても、見るものが特別有る訳でも無く、学校の運動場跡が広々と広がっている程度です。
それでも個人的には、ここは以前から訪れてみたい所だったので、ようやく念願が叶いました。

物価高守りの秋や五稜郭

予定では、野辺山にある「野辺山宇宙電波観測所」も見ていきたかったのですが、どうやら時間切れのようです。
ここは又の機会に譲り、野辺山では定番となった「ヤマホビックリ市」で最後の土産を買い、帰路に就きます。

野辺山に思ひそれぞれ秋を買ふ

今回は近場でもあり、余裕を持って清水に帰ってくる事が出来ました。
小諸が近場と言えるようになった事も驚きです。

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