四国遍路3日目 2025年4月10日

古寺巡礼

3日目は忙しそう

今日からは札所が狭い範囲に纏まっているので、忙しくなりそうです。明日のうちに和歌山に渡りたいので、明日の分は数カ所にまで減らしておきたいところ。となると、今日は10ヶ所以上廻る事になりますが、果たして何処まで行けるのか?
昨夜は高松自動車道の高瀬PAに泊まったので、まずは今日の一番、68番神恵院に行く為に、今は逆方向の東に走っているので、次のインターで降りて昨日風呂に入った観音寺市に戻らなくてはなりません。降りたインターから再度乗り入れて高速道路で昨日の場所に戻れば時間の短縮にはなりますが、時間が早すぎて納経所の開くまでかなりの時間待たされることになってしまいますから、一般道を戻る事にしました。距離は中数キロですから下道を行けば丁度いい時間に到着出来そうです。
6時前に68番神恵寺の近くまで来てしまいました。まだ2時間の余裕があります。車の中でジッとまっていても仕方ないので、30年ほど前に見た「寛永通宝の銭形砂絵」を見に行ってみました。

銭形砂絵

この砂型の管理もさぞかし大変だろうと思います。
実際には真円に見えるように、前後方向に長くなっています。

ここは30年程前に見たことがあるのですが、すぐ近くなので行ってみることにしました。巨大なものなので近くて見てもなんだか分かりません。これを見るには琴弾山に上がって展望所から見るしかありません。高い山ではないので数分で展望台に到着です。
驚いた事に、展望台の吾妻屋の中にテントを張っていた御夫婦がいました。やはり遍路旅のようで、歳も自分と同じくらいのようでした。

展望台から見る銭形砂絵は30年前と変わりはありませんでしたが、それを見る為の展望台の廻りはあの当時と比べると随分整備されてきているようです。
この銭形は江戸時代寛永の頃、藩主を歓迎するために一夜にして造られたと言われており、銭形の大きさは、東西122m、南北90m、周囲345mもある巨大なものです。観音寺市といえば銭形砂絵「寛永通宝」と言われるほど、市内で一番人気がある観光スポットとの事でした。
まだ朝早く陽も昇っていない為に、陰がなくコントラストも弱い為に寛永通宝の文字がはっきりしません。

すぐ横で見ると何だかわかりません
山の上に見えるのが先ほどの展望台。

展望台から見た後、下に降りて、すぐ側で見てみましたが、巨大すぎてただの砂浜としか見えませんでした。
まだ時間は早すぎますが、神恵院の駐車場に行って、そこで休んでいることにしました。
実は68番神恵院と69番の観音寺はふたつが同じ境内にある珍しい札所となっています。

68番69番 七宝山 神恵院 観音寺

神恵院 観音寺の山門。

駐車場で1時間近く時間を潰したあと、境内に上がっていつものお参りを済ませておきました。ここは、同じ境内に二つの札所があるので、それぞれの本堂、大師堂でいつものお勤めを繰り返すと結構時間も掛かります。ただ、それぞれの本堂と大師堂の組み合わせがいまいち分かり難く、境内の案内図を見てでようやく理解できました。しかし、何故二つが一ヶ所になってしまったのでしょう。

左に神恵院 右に観音寺の寺名が架かっています。
サクラが満開で綺麗。

これについての情報を探しましたが、結局見つからず未だに分かりません。何れにせよ、一ヶ所で二ヶ所分の御朱印を頂けるのですから、少しでも楽をしようとしている自分には有りがたいことでした。

観音堂前の大楠

大楠の根元はこんな状態
巍巍園

68番の大師堂及び十王堂背後にある山の斜面には流水を上手く利用した、巍巍園(ぎぎえん)と名付けられた回遊式の庭園があり、ここはサツキの植え込みが綺麗でした。訪れたのは4月上旬でしたからサツキも咲いてはいませんでしたが、5月になった今は綺麗なサツキに彩られた庭園になっている事でしょう。

慈恵院
観音堂
ヤマザクラが満開を迎えていました。

3日目のスタートは幸先良く二つ纏めて御朱印が集まりました。しかし、今日は82番まで回ってしまう予定なので、忙しい一日になりそうです。
先を急ぎます。

第70番札所 七宝山持宝院 本山寺

門だけがポツンと建つ。仁王門は重文指定されています。

本山寺の山号も「七宝山」で、先ほどの神恵院、観音寺と同じです。なぜに連続した3ヶ所の山号が同じなのでしょう?
本山寺の本堂は正安2年(1300)建立の奈良風の造りです。この本堂は国宝指定されている貴重な建物となっています。また四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔があり、廻りに高い建物もないために遠くからも見えて、これが本山寺のシンボルとなっています。

奥に見えている本堂は国宝。
本山寺のシンボルとなっている五重塔。

また仁王門は、和様・唐様・天竺様という三つの様式を持つ珍しい山門となっており、これも国指定の重要文化財となっています。
これでようやく70番までクリヤーです。

第71番札所 剣五山千手院 弥谷寺

ようやく仁王門まで来ましたが、これでも三分の一程度。

今回は事前に各札所のことは殆ど調べてきませんでした。この弥谷寺(いやだにじ)は駐車場に到着して初めて本堂まで続く540段の石段のあることをを知りました。
この駐車場より上まで有料の道路があり、その先にある駐車場に駐車すればそこまでの270段の石段は回避出来ますが、下の駐車場から540段フルに登る事にしました。この石段は「昇運の階段」なのだそうです。苦労して昇れば良いことがあるのかもしれません。とは思ったものの、スタートから苦行が始まります。ヒーヒーしながらかなり歩いてようやく仁王門の辿り着きました。かなり登ってきたと思いましたが、仁王門まで来て、やっと大師堂までの三分の一程度です。本堂は大師堂の更にその上にありますからそれなりの体力がないと、本堂まで辿り着くのは大変です。

何処までも続く石段が恨めしい。
やっと本堂に到着です。
阿弥陀三尊磨崖仏
駐車場からの景色に比べるとかなり高いところまで上がってきたことが分かります。

汗まみれになりながら登っていくと、真っ直ぐに天に伸びるかのような108段ある赤い手摺りの石段が現れました。これを登ればようやく大師堂到着ですが、ここから160段の石段を登り、先に本堂にお参りします。
ようやく本堂に到着です。空気が澄んでいれば絶景を拝めたと思いますが、今日も春霞のボーっとした景色です。
本堂からもと来た石段を下り、大師堂へ。

この超急な石段は諦めました。


大師堂は履き物を脱がなくてはなりません。ここでお参りの後、同じ堂内にある納経所で御朱印を貰いやっと弥谷寺をクリヤーです。太陽が出ていなく、今にも雨が降ってきそうな天気でしたが、そのおかげで暑さも和らいだようです。晴れで太陽が出ていたらと思うと、曇り空には感謝感謝です。

下界の見え方がさっきとはだいぶ違います。

第72番札所 我拝師山延命院 曼荼羅寺

曼荼羅寺の仁王門は歴史を感じる重厚なつくり。
本堂
サクラは少し時期を過ぎていました。

この曼荼羅寺ではどこかの宗教の学校?の生徒さんとかち合ってしまいました。おかげで御朱印を貰うにも時間が掛かってしまい、すぐ近くにある73番の出釈迦寺ではこの学生さんたちの前に行きたいと、早々に曼荼羅寺をあとにして出釈迦寺に向かいました。既に出発していた学生さんを車で追い越して何とかこちらの方が先に出釈迦寺到着です。

第73番札所 我拝師山求聞持院 出釈迦寺

山門は小さなものでした。
大きな空海像が参詣舎を迎えています。

空海が仏道入りを決意した寺と言われているのがこの出釈迦寺です。参道脇には空海の大きな像が立って参拝者を出迎えます。

出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。

身を投げた場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。
本堂裏には捨身ヶ嶽遙拝所があり、山の上まで登らなくてもここで拝めば同じ功徳が得られると伝わります。

第74番札所 医王山多宝院 甲山寺

甲山寺山門
高山寺境内

甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所です。後に嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師は周辺住民と力を合わせてこの工事をわずか三ヶ月で完成させました。満濃池を修築した功績で朝廷より賜った報償金によってこの寺を建て、自ら祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊としています。
歴史ある札所なのですが、建つ場所が生コン工場の隣で何とも落ち着かない所にある札所でした。

第75番札所 五岳山誕生院 善通寺

さすがに善通寺は大きい! 門があちこちにあってこれは何門だったか?

弘法大師は現在善通寺の建つこの地で誕生したと伝わります。総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と言われる西院の東西二院に分かれています。金堂や五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、弘法大師が誕生まれた佐伯家の邸宅跡にあたります。

さすがに弘法大師の縁が深い善通寺だけあり、これまで廻ってきた札所とは寺の規模が桁違いです。市名が善通寺市となっているくらいですから、市の財政も善通寺に負うところが大きいのでしょう。
宿坊もあり、こちらの部屋数は和室50室、250名の宿泊が可能という大きなものです。料金は一泊二食付きで8000円ですから安く、この金額ですから豪華料理と言う訳にはいかないでしょうが、宿坊内の自動販売機ではアルコール類も買えるようです。
残り13ヶ所になりました。明日の為には今日中にまだまだ廻らなくてはなりません。

第76番札所 鶏足山宝幢院 金倉寺

特筆すべきような事もないのですが、金倉寺には明治31年から約3年、この寺で暮らした乃木希典愛用の軍帽、肖像画、夫人からの 手紙などが保存されていまるようです。

第77番札所 桑多山明王院 道隆寺

天平の時代、この付近は桑園でした。寺伝によれば和銅5年、当地の領主である和気道隆が桑の大木が夜ごと怪しい光を放ったのでその方向に矢を射ると、矢が乳母に当たり誤って殺してしまいました。
これを悲しんだ道隆は桑の大木を切り、薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源と伝えられます。

参道沿いから本堂脇、裏門にかけてずらりと並んだ観音像があります。四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所など、全国の霊場ゆかりの観音像が祀られており、その数は255体にもなります。
これらは遍路や地元の信者らが寄進したものといいます。


道隆の子である朝祐は空海の弟子になり、唐から帰朝した空海に懇願し90cmほどの薬師如来像を彫造、その胎内に道隆の像を納めて本尊としました。朝祐は七堂伽藍を建立し、父の名から寺名を道隆寺としたと云われています。

第78番札所 仏光山広徳院 郷照寺

郷照寺は瀬戸大橋のすぐ近くにあるので、境内から見えるという瀬戸大橋の景色を楽しみにしていましたが、やはり春のこの時期では春霞で見ることは出来ませんでした。
殆ど記憶に残っているものは無いのですが、ただ一つ、無数の観音像がびっしり並ぶ「万体観音堂」。一体正確には何体の観音像があるのか?でも、見ていて気持ちの良いものでは無く、部屋が地下空間と言う事もあり、不気味に感じました。

第79番札所 金華山高照院 天皇寺

長寛2年(1164)8月、この地に流されていた崇徳上皇崩御しました。都から葬儀の指示があるまでの20日間、遺体は八十場の泉に浸けて保存され、棺は高照院に安置されました。その後、上皇の冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され、高照院はその神宮寺となりました。天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」と呼ばれるようになったといいます。後に3万坪という境内を持つ寺となりましたが天正年間に兵火にあい焼失。跡地に摩尼珠院筆頭末寺の高照院が移転し、本尊を移して「天皇寺高照院」となりましたが、明治に入り、神仏分離により崇徳天皇社と天皇寺は二分され、現在、崇徳天皇社は白峰宮となっています
ここで静岡からバイクで来たお遍路さんに会いました。ここにもう一人やはり広島からバイクで来た一人が加わり、暫くの間、3人で話が出来ました。
駐車場から天皇寺に行こうと思っても、入り口には大きな赤鳥居があり、その奥の建物にはしめ縄が見えますから、これは白峰宮のようです。
さて、天皇寺は何処に?
とりあえず、白峰宮に向かって歩いて行くと、左に入っていく参道があり、この先に天皇寺がありました。
これでようやく79番。あと一ヶ所で大台の80番です。

第80番札所 白牛山千手院 国分寺

国分寺山門
山門から本堂までの参道の並木道は綺麗です。

いよいよ80番まで来ました。ここをクリヤーすれば残りは8ヶ所になります。
ここで、先ほど天皇寺であったバイク遍路の二人に会いました。これからの予定など話をしていたら、81番と82番は今日のうちに廻っておいた方がいいと云われました。二ヶ所とも同じ山の上の方にありますが、まだ4時前なので何とか二ヶ所廻る時間はありそうです。どちらか一方で終わってしまうと明日再び山に上がらなくてはならなくなり、厄介なことになりそうです。
そこで慌てて国分寺は済ませて五色台という山の上に向かいました。
地図で見れば近いのですが、道路が山道で曲がりながら登っていくので予想以上に時間が掛かってしまいました。

第81番札所 綾松山洞林院 白峯寺

今日14ヶ所目ともなると、短い石段でも一歩一歩が大変。
崇徳上皇の御陵があり、白峯寺は菩提寺となっています。

4時前に白峯寺に到着しました。でもあと一ヶ所廻らなくてはならないのでノンビリはしていられません。
この白峯寺の横には平将門、菅原道真と共に日本三大怨霊の一人に数えられる崇徳天皇の御陵があり、白峯寺はその崇徳上皇の菩提寺となっています。
崇徳上皇の怨念は凄まじかったようで、その祟りを治めるためなのか、上皇を祀る神社や寺が何カ所にもあります。以前、京都を歩いた時に祇園にも崇徳天皇御陵がありました。崇徳上皇の怨念に恐れ慄いた当時の様子が窺い知れます。
現在でも崇徳上皇をないがしろにしては必ずなにか不吉な祟りが起こると、折につけ、嘘か誠か、宮内庁の密使は崇徳上皇の御霊がある讃岐の白峯寺を参拝していると云われています。
しかし白峯寺近くにはサクラの名所があり、今はのどかな景色が広がっていました。
時間が無いので、早々に82番根寺に向かいます。

第82番札所 青峰山千手院 根香寺

山の尾根道を行けば根香寺はすぐに到着するはずなのに思っている以上に遠いようです。時間が迫っていいるので焦りもします。
ナビも近くまで来たところで案内を終了させてしまいました。
よくよく地図で確認してみると根香寺への分岐点に気づかず通り過ぎてしまっていました。焦るとろくな事はないようです。今日15ヶ所目となる根香寺をクリヤーして、今日はここまでで打ち止めとしました。

天然温泉きらら

駐車場に戻り、今日の風呂探しです。高松市内に「天然温泉きらら」というスーパー銭湯があるようです。根香寺からは20Km近くあるようですが、30分ほどで到着出来そうなので、今日の風呂はここに決めました。
それ程の混雑もなくきららに到着しました。食事も出来るようなので、のんびり夕食を取りながら今日の寝場所探しです。
あまり近いとも言えない場所に一ヶ所道の駅がありますが、宿泊は不可のようです。他に道の駅は見つからないので、今日も昨日同様高速道路に入ってパーキングエリアに泊まることにしました。
この場所からでは西方向に高松自動車道の高松西インターがありますから、そこから下り線に入れば数分で府中湖PAに行けるようです。それにこの府中湖PAはスマートインターになっているので、明日は下道を戻ってくる事が出来ます。
風呂に入っている間に外は豪雨になっていました。雨の中、暗くなった知らない町の道路を走るのは嫌だと思っていたら、出た頃には雨も上がって晴れ間が出てきました。今日の宿「府中湖PA」に向かいます。

3日目の宿「府中湖パーキングエリア」

今日の宿、府中湖パーキングエリア下り

このパーキングエリアは府中湖というダムで出来た人工湖のすぐ横にあるようなのですが、暗くなってからでは周りの様子も分かりません。あまり大きなパーキングエリアでもないので、トイレまでもそれ程の距離を歩くことも無く済みそうです。ここで土産を仕入れて、早々に寝ることにしました。
アルコールを仕入れてくるのを忘れてしまったので、ノンアルコールビールでも無いかと聞いてみたらないようです。店のおねぇさんも、それくらい置いても良いのにね、と云ってましたが、ほんと、ノンアルコールくらい置いてくれても良いじゃないか!
今日一日で15札所を廻ってきました。さすがに一日でこれだけ廻ると体も悲鳴を上げます。札所間の距離が短いので、体を休める時間も無く次の札所に到着してしまい、また石段登り。1日中苦行の連続になってしまいました。
しかし、今日の苦行のおかげで結願の大窪寺まで残り6ヶ所になりました。
明日の午前中には88番大窪寺に行けるでしょう。
もう少しです。

タイトルとURLをコピーしました