令和初めての伊豆88遍路 第3回

3月にスタートした伊豆88遍路旅も早くも3回目。

年号も5月1日からは「令和」に変わり、令和初の伊豆88遍路は、5月5日、伊豆長岡駅をスタートし、東西をジグザグに進みながら11番札所の長源寺から15番札所の高岩寺までの遍路旅になりました。先の事を考えると何とか三島駅まで進めておきたいところでしたが、やはり無理だったようで8kmも手前の伊豆仁田駅でゴールとしました。

さて、そろそろ今回の道中記をアップしよう、と書き始めたものの、あまりにも特徴の無いお寺、またその遍路道で、なかなか書く事が見つからないのです。
ネットで調べて何とか纏めようと思っても、情報が見つかりません。
仕方なし、今回の道中記はこの程度の事しか書けませんでした。


11番 長源寺

いつものように清水駅から三島駅まではJR、三島からは駿豆線で伊豆長岡駅に到着しました。駿豆線も初回から数えると7回目の乗車になります。また、スタート地点となる駅も回を追う毎に北に移動してきています。
今日は駿豆線を中心に、東に行ったり西に行ったりと東西にかなり振られながら北上して行くコースになります。
11番札所の長源寺は長岡駅から約2Km程東に歩いて、山にぶつかった辺りにあり、近くには世界遺産になった韮山の反射炉があります。

今日は富士山もハッキリ見えています。でも、今時の富士山はこんなに白かったっけ?と思う程にかなり下のほうまで雪が残っています。

何十年ぶりに見た韮山の反射炉
宝永加工がど真ん中の富士山


イチゴハウスが立ち並ぶ畑の中を進んでいくと正面に韮山の反射炉が見えてきました。

反射炉を見たのは何十年ぶりの事。
しかし、左に行けば反射炉、右に行けば長源寺のT字路を右に曲がり、今日は反射炉には目もくれず長源寺に向かいます。もう少し、と言う辺りからは坂道になり、朝一番の昇り坂に息も絶え絶えの状態です。

ようやく長源寺に到着
サルスベリなのか沙羅なのか?
鉄筋コンクリート製の本堂

長岡駅スタートから40分程でようやく長源寺に到着しました。

しかし、鉄筋コンクリート製の本堂で他にも見るべき物はありそうもないです。ネットで詳細を知ろうとしても殆ど情報はなく、敢えて特徴と言えばここからは富士山がよく見える事でしょうか。

伊豆から見る富士山はいつも見慣れた西からの富士山と違い、ど真ん中に宝永火口が大きく口をあけていて、かなりイメージが変わります。

御朱印を頂き、先を急ぎます。

12番 長温寺

長源寺を後に今度は西に進み再び駿豆線の線路を越え狩野川の土手に出ました。河原の草場の中でいろいろな鳥が賑やかに鳴いています。そのうちにケーン、ケーンとキジの鳴き声が!
それもかなり近くに居るようです。
橋を渡っている時に河原を見たら目にも鮮やかな羽を纏った雄のキジがすぐ下にいました。
鳥たちにとってもこの河原は天敵も居ないパラダイスなのかもしれません。
春の終わりかけた長閑な土手道を、鳥の囀りを聴きながらノンビリ進みます。

2回目の駿豆線の線路横断
1回目の伊豆88遍路で泊まった大仁ホテルがまだ見えています

土手道を降りて暫く行くと長温寺の入り口です。小路に入り、更に狭い小路に入ると正面の階段の先に長温寺がありました。

長温寺入り口
釈迦の足を信仰の対象にした仏足石
本堂前でしばしの休憩です

温泉地に温のつくお寺が有るものですが、長岡温泉では長の字がついて長温寺になっていました。
こじんまりとしたお寺ですが、落ち着いた雰囲気が良い感じです。
長岡駅をスタートして約5Km。そろそろ休憩の時間なので境内でゆっくりさせて貰いました。

震災暴風記念となっていました

13番 北條寺

長温寺から再び下の通りに出て、北に向かいます。長岡の温泉街は進行方向とは逆方向にあり、この辺りは温泉街の外れのようです。

凄い斜面に建つ「えびすや」
北條寺山門

長温寺から2Km程北に進むと左に北條寺がありました。
駐車場も兼ねた広いところに山門が建っており、何とも開放的な寺です。意識しないと山門を潜らずに境内に入ってしまいそうです。

北條寺は鎌倉幕府二代執権北条義時の創建と伝えられており、義時夫妻の墓も境内の墓地にありますが、義時は鎌倉の源頼朝墓の東の山上に葬られたといいます。そうした事から北條寺の墓は、義時の子で三代執権北条泰時が北条氏発祥の地に追善のために建てたものと伝えられています。
義時の姉は頼朝の妻の北条政子になります。

北条義時夫妻の墓 右が義時

住職に御朱印をお願いし、その間に住職に勧められてお墓まで登ってみました。お墓は少し上に上がったところにあり、疲れてきている脚には堪えます。
古い石塔が二つあり、その左に説明看板がありましたから、これが義時夫妻の墓なのでしょう。しかし、どっちがどっちなのだ?
後で調べたところ、どうやら右が義時の墓で左が妻の墓のようです。
寺が所蔵する「木造阿弥陀如来坐像」は運慶の作とも伝わるようですが、これは伝の類いのものなのでしょう。

しかし、近くにある願成就院には国宝に指定された5体の運慶の仏像がありますから、もしかしてこれも?

14番 慈光院

北條寺から慈光院までは大凡4Km。北條寺の住職によれば駿豆線の線路が中間辺りだと言っていました。

時間はまだ10:30amにもなっていません。この調子ならもしかしたら三島駅まで行けるのかもしれません。
駿豆線の線路まで来た時11:00am。この先に進んだら食事処は無さそうです。それにコンビニも無さそうな気配。
食べられる所があるうちに昼食にした方が良さそうです。

ようやくの昼食 初めての脱コンビニ弁当

通りがかりの地元の人に聞いたら、日曜なのでやっているかどうかは分からないが韮山駅の前に一軒あるとの事です。
ダメ元で行ってみたところ、営業中で何とか食事にありつけ、この遍路旅始まって以来の脱コンビニ弁当になりました。
しかし、ここでビールを飲んでしまった事が後悔の始まり。
この後はビールが効いてしまって脚は疲れる、腰も疲れる、全身が疲れる、やはりビールは止めておけばよかった。
これまでもいつも昼食はビール付きだったのに。
これも歳なのでしょうか。
酔った状態でヒーヒーしながらようやく慈光院に到着です。

ここは曹道宗の寺という事なので、庵原の一乗寺の住職をされ、その後、1980年代に永平寺 第77世貫首をされた、丹羽廉芳禅師の出生地について聞いてみたところ大仁の近辺だったようです。その後は廉芳禅師の話で結構盛り上がりました。
ここの住職さんは自分達の住む清水の事にもかなり詳しいようで、何故かと思ったら、清水区興津のお寺出身なのだそうです。
道理で詳しいはずでした。

慈光院の御朱印も頂き、今日最後のお寺、15番札所の高岩寺に向かいます。

15番 高岩院

ビールの後遺症が未だに抜け切れていません。

高岩院までは2Km程の道程です。真っ直ぐの道のそのずっと先にお寺らしきものが見えます。
ずっと前から目的地が見えているのも結構嫌なもので、やはり目的地は突然現れるのがいいです。

畑の中の一本道を真っ直ぐ進み、山に突き当たった所に大きなお寺がありました。これが高岩寺と思ったら、どうも様子がおかしいです。
寺号は国清寺となっており、地図にも国清寺は載っていますが、15番札所の高岩寺はありません。GPSで位置をよく確認したところ、どうやら隣にある小さなお寺が高岩寺のようです。

高岩寺はかつては79あったという国清寺の塔頭のうちの一寺でした。

参詣は5寺済ませ、ゴールの伊豆仁田駅に向かいます

これでは御朱印は無理かな?と思いましたが、庫裡の方へ行って呼び鈴を押したらお寺の方が出てきてくれて無事に御朱印を頂けました。

これで今日の予定は終わりです。まだ時間も早いのでお寺の境内で十分な休憩をとって最終ゴールの伊豆仁田駅に向かいます。


しかし、駅までは4Kmほどありますからまだ暫くは苦行が続きそうです。
最初の勢いでは三島駅まで行こう!なんて思っていたのに、とても行く元気はありません。

伊豆仁田駅ゴール!

伊豆仁田駅にゴール

高岩寺から1時間10分後の午後3時20分、ようやく駿豆線の伊豆仁田駅に到着しました。
三島駅まではここからまだ8Km以上ありますから、やはり当初の計画は無理があったようです。でも、この間まではそれくらいの距離どうって事なかったのですけどねぇ。
やはり歳なんでしょうかねぇ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です