西国巡礼第6回 1日目

昨年5月にスタートした西国三十三観音巡礼の旅も、暑い夏、また寒い冬の季節も過ぎ、スタートから10ヶ月、今回の6回目でようやく岐阜谷汲の華厳寺に辿り着き満願となりました。
今回のスタートは天橋立の西にある28番札所の成相寺になりました。丹後半島の付け根ですから、清水からではそこに行き着くだけでもかなり大変です。

2013年冬、初めて成相寺に行った時には電車利用の仲間3人との遊々旅でした。その一月後には一人で再訪。そして今回は夜立ちの車旅。 運転手さんも大変ですが、後部座席の巡礼者一同もなかなか大変です。 巡礼は苦行なのですから、これも苦行の一つなのでしょう。

清水から成相山展望台へ

金曜日の夜11時、清水を出発。道中長いので、早々に眠り薬を飲みましたが、なかなか眠れません。 何杯も呑んだら、滋賀県に入った頃には眠りについたようです。

目が覚めたのは成相寺の裏山成相山山頂にある展望台。
よく寝ました!
まだ夜が明けるには時間が少しありますが、この時間に起きたらもう眠れそうもありません。
外に出てみると眼下には宮津湾、そしてその西隣には天橋立で区切られた阿蘇海が広がっています。
阿蘇海は天橋立で外界と遮られている為に、生活汚水による水質汚染が大きな問題となってきているようで、そうかと言って、天橋立を切って水の流れを作り出す訳にもいきません。

成相山展望台での夜明け

偶然にもこの日の朝は、ISS(国際宇宙ステーション)がほぼ天頂を通過する好条件の日。暫く待っていたら西の空から東に移動する明るい光点がみえました。

空には少し雲が広がっていたので、暫くすると途中で消えてしまいましたが、思えば、西国巡礼の初回にも十津川温泉で見ました
あの日も空の天頂を通過する絶好の条件の朝でした。 偶然とはいえ、ISSには何かの因縁があるように感じてしまいます。

天橋立
標高500mから眺める天橋立
こちらは与謝野町方向。霧に埋もれています。

夜も明け暫く時間を潰しているうちに成相寺の開門時間が近づいてきました。 現在いる山頂の展望台から成相寺までは数分も下れば駐車場に到着します。

28番札所 成相寺

御詠歌:波の音松のひびきも成相の 風ふきわたす天の橋立

さて、最終回最初の寺参詣です。
しかし、寒い! 
何とも風が冷たいです。

過去に自分が来た時には、初回は雪で真っ白2回目は桜の咲く花の時期でした。どちらもそれなりの風情がありましたが、今回は何も無し
あと、2、3週間もすれば五重塔の廻りの桜も満開を迎えるのかも知れませんが、今はただ寒い風が吹くだけです。

五重塔

五重塔はまだ新しいもの

まずは駐車場の近くにある五重塔から見ていきました。
この五重塔は成相寺の見どころの一つである平成五重塔。
これは、雪舟が描いた「国宝天橋立図」に描かれている五重塔を復元したもので平生10年に完成しています。

撞かずの鐘

本堂に続く参道。山門はずっと後ろ
撞かずの鐘

本堂までの石段を登って行く途中右手にあるのが「撞かずの鐘」で知られる鐘楼です。

慶長14年 (1609年)、お寺で新しく鐘を作ることになり鋳造の日、人々が見物に集まりました。 その中に例の長者の妻も子供を抱えて見物をしていました。 ところが長者の妻は誤って 煮えたぎるルツボの中に我が子を落としてしまいました。出来上がった鐘の音を耳を澄まして聞くと子供の泣き声のように聞こえたそうです。 人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞くことをやめ、 それ以来「撞かずの鐘」と呼ばれるようになったという伝説を伝えています。

 

2005年6月11日、成相寺の開山1300年記念行事の一環で「撞かずの鐘供養」として約400年ぶりに1日だけ、鐘を撞いて鳴らされました。
この鐘は翌日から100年間、再び封印され「撞かずの鐘」に戻ったという事です。

本堂

本堂

撞かずの鐘から少し登れば本堂に到着です。

元々この本堂は今より高いところに建てられていましたが、山崩れの為に現在の地に移転してきました。
成相寺本堂へは下からケーブルカー、バスと、乗り継いで来るのが一般的ですが、車で上がってきた場合には山門の上に上がってしまう為、成相寺山門は見る事無く終わってしまう参詣者が多いようです。

真向の龍

本堂内には左甚五郎作と伝わる「真向の龍」の彫刻があります。
この龍はどの方向から見ても自分を見ているように見える事から、このような名が付いています。

ただ、左甚五郎の作品には正面を見た作品は無いようで、この左甚五郎作もまた伝の類いなのかも知れません。

本尊は聖観音菩薩
左甚五郎の作と伝わる真向の龍

鉄湯船

人が入る湯船として使われた訳ではないようです。

本堂の前には鉄の水槽が置かれ、飾りの龍の口からは水が流れ出ています。この水は開創当初、本堂のあった場所(展望台の近く)で湧き出ている水をここまで引いているといいます。

時間はまだ早いのですが、今日はこの先、竹生島に渡らなければならないので、先を急ぎます。

京都縦貫自動車道に乗り、綾部JCT で舞鶴若狭自動車道に分岐し舞鶴東ICまで行きます。インターを出てからも少し東へ進むとJR小浜線の「松尾駅」があります。

徒巡礼の場合はここから松尾寺までは40分程の時間を掛けて歩く事になります。 しかし、自分たちは典型的なお気楽巡礼。車で10分も走れば松尾寺の山門前に到着です。

29番札所 松尾寺

御詠歌:そのかみはいくよへぬらん便りをば 千歳もここに松の尾の寺
松尾寺山門

個人的には西国三十三箇所の寺の中で大きなお寺の一番お気に入りは円教寺、そして小さなお寺の一番はこの松尾寺になります。

唐破風が前に出た宝形造り本堂の二層屋根が何ともいえない良い雰囲気です。
少し変わっているといえば変わった形の屋根ではあります。
以前来た時には桜シーズンだったので、桜の花越しにみるこの屋根が絶妙の組み合わせになっていました。

本尊は馬頭観音菩薩で、馬頭観音を本尊とする札所はこの松尾寺一ヵ所だけです。

山門を潜ると洒落た屋根が見えました。
本堂

 

ここの住職の松尾さんは、歩く西国巡礼では有名な方で、歩いて廻る為の詳細な地図も作成し販売されていました。
長谷寺で点灯され、その後1番札所の青岸渡寺から各寺のリレーで引き渡されてきた法灯は松尾寺にありました。各お寺の責任で次のお寺まで歩いていきリレーされるそうです。
4月になってもう少し陽気が良くなったら次の宝厳寺まで歩いて行くようでした。 まさか、琵琶湖は泳いで?......

石畳や石段の素材はこの辺りにある溶岩?らしく、一見さざれ石のように見え柔らかそうですが、長い歴史をもったこの寺の石段に使われ、それでもあまり摺り減ってはいないのですから、見た目よりは硬い石のようです。

予定の時間よりはかなり前倒しで来ています。それでも時間は余裕が有るのが一番。
次の宝厳寺へ向かいます。
先ほどの東舞鶴ICから再び舞鶴若狭自動車道に入り、小浜まで行きます。約3年ぶりの小浜ですが、今回はこのまま通過。 竹生島に渡る船着き場のある今津港に急ぎます。

この辺りで眠ってしまったようで、目覚めたら今津でした。

30番札所 宝厳寺

御詠歌:月も日も波間に浮かぶ竹生島 船に宝を積むここちして

予定していた便より1便早い船に乗れるようです。昼食がまだですが、食事を摂っている時間も無さそうです。

やがてやって来た船に乗り船上の人に。

今津港から竹生島までは約25分。湖だから波もなく静かな船旅(と言っても僅かに25分)です。 竹生島神社 今津から25分後。竹生島に上陸です。

唐門と観音堂は残念な事にシートを被っていました。

竹生島の周囲は急な崖で、この中腹に宝厳寺はあります。しかし、竹生島では宝厳寺より竹生島神社の方がメジャーなようなのですが、それぞれの建物が宝厳寺竹生島神社、どちらに属するものなのか分かり難いのです。

この竹生島神社の本殿は伏見城または豊国廟から移築したという伝承があり、国宝に指定された立派な建物です。

かわらけ投げ(竹生島竜神拝所)

舟廊下

この竹生島神社とその西側にある宝厳寺観音堂を繋いでいるのが舟廊下で、朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓を利用して作られたところから、その名がついています。

観音堂

千手千眼観世音菩薩を納めた観音堂。西国三十三所の第三十番の札所となっていますが、納経所は上にある弁財天を祀る本堂の境内となっています。 観音堂は重要文化財に指定されており、現在は国宝指定の唐門と一緒に修復工事中でシートを被っていました。

唐門

唐門は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられました。 こちらも工事中で見る事は出来ませんでした。残念!

急な石段をヒーヒーしながら登ってようやく本堂に到着です。船着き場を見ると結構上まで登ってきた事がよく分かります。それにその傾斜が凄い!!

呼吸を整え、御朱印を頂き下ります。足下に注意しないと怖いくらいの急階段。転けたら痛い程度で済みそうもありません。注意して下りきりました。

港に戻って船を待ちます。寒い!
ようやく今津行きの船が来ました。

舟が出るまでにはまだ時間があります。
船着き場の土産屋さんで、少しだけ口に入れて飢えを凌ぎます。

以前来た時にいろいろと話をしてくれた土産屋さんの面白い叔父さんはどうしたのか?と聞いたところ亡くなられたようです。 随分と元気な人だったのですが.....

竹生島では近年、川鵜によるフン害が大きな問題になってきており、これによる島の木々の立ち枯れ被害が酷いようです。またフンによる琵琶湖の水質汚染も年々大きな問題になりつつあるといい、川鵜の駆除も行っているようですが、なかなか旨く行かないようです。

かわらけ投げをやった竜神拝所
島の北半分の木々は無くなってしまっています。

寒い! 風が益々強くなってきていて、吹き流しをみると10m/s程の強さになっているようです。 暫く待つと今津港行きの舟が来て、その後無事に今津に帰還出来ました。

長浜

ここからは一気に長浜へ。
と思いきや、マキノ町の道の駅へ寄ってまたまた買い物。夜のお酒までここで仕入れていきました。 今津から長浜までは一時間程で到着です。

ホテルにチェックインし、部屋で一休みしているうちに眠ってしまったようです。
さて、ロビーに集まった巡礼者一同、何処に何を食べに行こうか? と相談の結果、ホテルの入り口の隣にあった焼き鳥の店になりました。
この店の串に刺してある鶏肉も豚肉も何もかもが超ミニサイズ。
食後、黒壁スクエアの方に行ってみましたが、この時間では何処も開いているところはありません。

帰りに、長浜に来たら是非行ってみたいと思っていた和風割烹の店「能登」に寄ってみました。

実はこの店、吉田類の「居酒屋放浪記」に出てきた店で、この放送の中で「鮒寿司のお茶漬け」が絶品!との事でした。
それなら是非食べてみたいと思っていたのですが、店で聞いた所、この鮒寿司は超高級品。20cm程の鮒寿司で4500円程するようです。

取りあえずはここまで来たのですから是非とも一度食べてみたいです。そこで注文したら 2cmx1cm 程の鮒寿司らしきものが数切れ出てきました。
これはお通しだろ、と思い本物を待っていましたが、待てども待てども出てきません。 女将さんに聞いたら、試しにといったので取りあえずは小さな鮒を出したとの事。

超高価な鮒寿司。

この小さな鮒寿司でも1200円とか。 改めて大きな鮒寿司を注文したら、今度は即出てきました。 さて、そのお味は? これは受け入れられるな人と、駄目な人の両極端
自分はこうした類いの物は好きです。 まぁ、そうかと言って4500円出してという事なら他の物を食べますけど....

小浜の「へしこ」にしてもこの「鮒寿司」にしても昔は食べるものの無かった時の保存食として考えられてもので、そもそも保存食が超旨い!と言う事もないでしょう

ただ、生産量も少ないので値段も高騰しているに過ぎないのだと思います。
そもそも鮒の発酵寿司がそんな高級なもので有るはずがないです。 4500円のマグロのトロを食べたらさぞかし旨いでしょうねぇ。

これで、これまで一度食べてみたいと思っていた珍味「鮒寿司」を食べる事が出来ました。
あっ、最初の予定だった鮒寿司のお茶漬けは食べずに終わってしまいました。
どうやらこれは頭の部分をご飯の上に乗せて、これにだし汁を掛けて食すもののようです。(確信は無し)

ホテルに戻り大浴場へ行って良い気持ちになり、部屋へ戻ればバタンキュー。 よく寝ました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です