西国巡礼第4回 2日目

2日目 2018.12.16

ホテルからの朝焼けの空

昨夜は近くにあった居酒屋での夕食になりました。早い時間に戻って来ましたが、前日の睡眠不足でバタンキュー状態でした。

翌朝、ホテルの部屋からは綺麗な日の出を見る事が出来ましたが、朝焼け状態。どうやら今日の天気は下り坂で、晴れているのは午前中だけのようです。

 

興福寺南円堂

南円堂

数年前、西国巡礼を始めるまでは、興福寺五重塔を見る事はあっても南円堂は知りませんでした。
五重塔から振り向けば、正面に南円堂は見えていたのに、そこまで行く事はありませんでした。

興福寺は藤原氏の氏寺で、この南円堂は藤原冬嗣が創建しました。本尊の不空羂索観音は運慶の父である康慶の作
冬嗣が弘法大師のすすめにより、一族の守本尊だった観音を一般民衆に解放する為に新たに作ったお堂がこの南円堂です。当時の貴族としたら結構太っ腹な人だったようです。

北円堂と較べると南円堂は屋根の傾斜が急です

1717年の大火以来、復興の余力も無く主要な建物は再建されないままになっていました。その中で南円堂だけは1741年に復元され今日に至っています。

明治の廃仏毀釈では一時廃寺同然の状態となった興福寺でしたが、現在、創建時の伽藍の再建を目指しています。
今年、中金堂が復元され、残る、中門南大門もこれから順次復元されていく予定です。

南円堂は江戸時代に再建されているので国宝にはなっていません。一方、南円堂と対を成す北円堂は、鎌倉時代に再建されてはいるものの、境内では最古の建物になっており、こちらは国宝に指定されています。

堂内には本尊弥勒如来像(国宝)、法苑林・大妙相菩薩像、無著・世親菩薩像(国宝)、四天王像(国宝)が安置され、まさに宝の山のような北円堂です。

北円堂は興福寺では最古の建物。国宝です。
約300年ぶりに再建された中金堂

完成したばかりの中金堂にも入ってみてきました。こちらは完成直後という事で、眩いばかりの朱色の建物です。これから中門や南大門などもセットで完成したらさぞかし見応えのある興福寺になるのでしょう。

これで奈良県の札所は全てクリヤーです。

元興寺本堂(国宝)
本堂裏に使われている1300年前の瓦

車をならまちの駐車場に入れたので近くにある元興寺まで行ってみました。

ただ山門から中をみただけでしたが、平城遷都に合わせ明日香から移ってきた法興寺(現在の飛鳥寺)が元興寺です。

ここでの一番は飛鳥時代の法興寺の瓦が未だにそのまま使われている事で、その瓦の色が何ともいえないいい味を出しているのです。
残念ながら、この瓦は本堂裏側に使われているので、拝観料を払って境内に入らないとみる事が出来ません。
ならまちは半日ほど掛けて、ノンビリ歩いてみると結構面白い町です。

醍醐寺

西大門

奈良市内から北に向かい京都府に入りました。11番札所の醍醐寺の納経所は本来なら上醍醐の 准胝堂になっていますが、 准胝堂は平成20年の落雷で焼失し、それ以後、下醍醐の観音堂が11番札所になっています
その為に、山登りをする事も必要なくなり、巡礼者の負担は減ったと言えます。

焼失前の上醍醐准胝堂
三宝院 唐門(国宝)
金堂(国宝)
金堂内の薬師三尊と四天王像

100寺を歩こう会では2014年の10月に上醍醐に登っていますから、下醍醐の観音堂で十分です。
西大門を過ぎて驚いたのが、参道の左右の木々が根こそぎ無くなっていた事です。見事に此処だけ無くなっていました。
これは今年9月の台風21号による倒木のようですが、何故ここだけが被害を受けたのか不思議です。
西大門の先、五重塔まではかつては木々が鬱蒼として薄暗い参道でしたが、木が無くなってしまった為に、明るい参道になってしまいました。
今後、植林など行って元に戻す事になるのでしょうが、元に戻るには長い年月が掛かりそうです。

鬱蒼としていた参道も明るくなってしまいました

まずは下醍醐の最奥部にある観音堂で御朱印を頂きました。ここまで来ると境内も静かです。とは言っても紅葉も終わったこの時期は参詣する人も少ないので境内全体が静かです。

上醍醐の准胝堂に変わり11番札所となった観音堂
弁天堂

現在の拝観券は、醍醐寺全てを含んだ拝観になっていて、個別の拝観券は無いようです。この中には三宝院の拝観も含まれているので、入ってみました。これまで醍醐寺は10回以上訪れていますが、こんなに静かな三宝院は初めての事です。

花が無くても、紅葉が無くても、静かな境内はそれにも増していいものす。

昨年春中山道ゴールの時以来の三宝院拝観です。
秀吉の設計で作られたという三宝院の庭は何度見ても見事なものです。
しかし、使われている石も実際にはかなり大きいのでしょうが、庭が広い為に小さく見えてしまいます。

三宝院庭園

この庭に似合った石となると数トンもあるような巨大な石でも入れない事には釣り合いが取れそうにありません。

元慶寺

元慶寺山門

番外になっている元慶寺は醍醐寺の近くなので寄っていく事にしました。前に来た時も狭い道で入り口には苦労しましたが、今回はそれ以上に大きな車です。
事前に調べてみましたが、やはり駐車には苦労しそうな感じでした。

元慶寺の入り口まで行ってみたところ、やはり入っていくのは無理なようです。入って行けたとしても駐車場に入る角がまた狭く、どうやら何処か別の駐車場を見つけた方が良さそうですが。近くに駐車場は有りそうな雰囲気ではありません。
仕方なし、入り口にあったドラッグストアの駐車場に短時間駐めさせて貰いました。

元慶寺は西国巡礼中興の祖、花山法皇が出家した寺として西国霊場の番外に入っています。
元慶寺は、寛和2年(986)、花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられた寺で、出家し法皇となった後には、奈良時代初期に徳道上人が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の中山寺でこの宝印を探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたといいます。

この花山法皇の観音巡礼が西国三十三所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています。

藤原道兼がその後関白になったものの僅か数日後に死去し「七日関白」と呼ばれている事に対し、道兼に騙されて出家した花山法皇が残した御詠歌や、西国巡礼が未だに受け継がれてその名を残している事を考えると、騙された花山法皇が勝者だったように思えてきます。

見るべきものも無いような小さなお寺ですが、僅かでも歴史の予備知識があれば少しは興味を持って見る事も出来るのかも知れません。

園城寺(三井寺)

園城寺観音堂

山科から国道1号線を東に向かい、逢坂を越えて大津市に入ります。坂を下りきって琵琶湖の西方向に進み園城寺の駐車場に到着しました。

この辺りはかつて天智天皇がひらいた大津京があった所です、

園城寺の開基は壬辰の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に討たれた甥の大友皇子の子大友与多王が父の菩提の為に寺の建立を発願し、天武天皇が園城寺の寺号を与え建てられた寺です。

今日は、清水に午後7時までに車を返さなくてはならないので、遅くても午後2時には大津を出発する必要があり、ゆっくり参詣している時間はありません。
それに園城寺は100寺を歩こう会でも既に来ていたので、ここは取り急ぎ、いつもは左回りに廻って最後に行き着く観音堂へ逆廻りで直行する事にしました。
全員が行く事も無いので、4人で御朱印帳も預かって観音堂まで駆け上がりました。

観月舞台
観月舞台

園城寺は別名三井寺。これは天智、天武、持統の3人の天皇が産湯を浸かった井戸が有った故事によるものです。「御井の寺」が変化して三井寺となったものです。

三井寺は平安時代には朝廷や貴族の尊崇を集め、また中世以降は源氏など武家の信仰も集めて栄えていきました。

しかし1595年、園城寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、寺領の没収、事実上の廃寺を命じられています。園城寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かでありません。

この結果、三井寺の本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築されました。当時の金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存しています。

園城寺の金堂を移築した延暦寺の釈迦堂

1598年、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可しています。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためとも言われています。

秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められました。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものです。<参考 Wikipedia>

観音堂のまだ上に行けるらしく、展望台があるようです。今まで上がった事は無かったので折角ですから上がってみました。
流石に展望台というだけあって、眼下に大津の街並み、そのずっと向こうには近江富士と呼ばれる三上山が見えていました。

展望台からの大津の街
琵琶湖疎水の取水部

フェノロサとビゲロー

この園城寺の塔頭法名院には日本美術の恩人といわれるフェノロサとビゲローの墓があります。

廃仏毀釈運動の中で無残に廃棄されていく仏像や日本の伝統的な美術品を救った彼の働きが無かったら、今、どれ程の国宝クラスの美術品が残っていたか?
法隆寺の救世観音、聖林寺の十一面観音が現在存在しているのもフェノロサのお陰とも言えます。

フェノロサの墓

お寺を廻りながらこれまでに沢山の仏像を見てきましたが、一度、日本の仏像の救世主とも言えるフェノロサのお墓をお参りしても良いのかも。

散華が揃いそうです

残り11枚です

さて、西国巡礼の散華は来年の3月まででデザインが変わるというので、全てを現在の観音経のデザインで揃えるのは無理かと思いましたが、1月と3月に行く事になったようで、何とか散華も揃う可能性が出てきました。
是非とも来年3月までに満願出来るように祈っています。

現在までに22寺クリヤーです。
33寺満願までに6回の巡礼旅になりそうです。まぁまぁのペースだったでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です